№243 私鉄の車両シリーズ52 東武鉄道1800系

 いつも「私鉄の車両シリーズ」にお付き合い下さり、有難うございます。
 今日は、東武のかつての急行車、1800系です。

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 1800系は、伊勢崎線(浅草~太田・赤城)で運行されていたビジネス急行<りょうもう>用の急行用車両です。
 日光線から転用されていた旧型車両を置き換えて体質改善を図るべく、1969年にデビューしました。

 側窓は大型固定式、ドアは1箇所(Mのみ2箇所)と特急並みの車体を持ちます。
 カラーはローズレッドと白い帯という鮮やかなもので、このカラーリングは後の200系にも受け継がれます。
 正面は非貫通型で大型2枚窓を持ち、独特の表情を持ちます。
 冷房装置は分散型で、搭載スペース確保のため、私鉄初の下枠交差形パンタグラフが採用されています。
(下枠交差型パンタの初採用は新幹線0系)

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 車内は960㎜ピッチの回転式クロスシートが並び、リクライニングこそしませんが特急並のアコモデーションを誇ります。
 当初はデッキ部に予備席を備えていましたが後に撤去され、その跡には飲料の自動販売機が設けられています。
 トイレはこれも東武では初の循環式になっています。

 当初は4連(2M2T)でしたが、需要の伸びから1979年に中間車2両(サハ1850+モハ1860)を組み込んで6連(3M3T)化されました。
 所属する館林検修区(当時)の事情により、サハ1850には簡易運転台を設置して分割が可能になっています。
 1987年の最終増備編成1819Fでは仕様がかなり変わりました。
 正面窓はパノラミックウインドウとなり、ヘッド・テールライトは角型のケースに収められました。
 運転台にはモニター装置を設置。
 冷房装置も集約分散型に変更され、ドア横には行先表示装置が設けられています。
 車内では座席がバケットタイプとなり、6050系と同様の折畳み式小テーブルが設置されました。
 壁面もアルミ化粧版が用いられ、より明るいイメージになりました。
 モハ1820形にはカード式公衆電話も設けられています。
 なおこの1819Fより番号の付与方法が変わり、これに合わせて在来編成も改番を行っています。
(1850→1840、1860→1850、1840→1860)

 1991年より後継系列200・250系の就役により順次<りょうもう>から撤退、24両は300・350系に改造されて日光線の急行<南会津><しもつけ>等で運用されました。

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 他の6連×4本は長らく休車を余儀なくされていましたが、後にその内の3本が釣掛車5000系置き換えのため通勤用に転用、佐野線・小泉線で運用されました。

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 中間車2両ははずして4連とし、座席の一部やデッキの仕切りを撤去して収容力を向上させました。
 座席も固定化し、モケットも通勤車と同様の緑地に変更されています。
 車体色も通勤色の白+濃淡の青帯に変更され、正面の愛称表示部はLED式の行先表示装置になりました。
 ただ、扉の増設等は行われず、車体は原型を留めました。
 2001年から使用されましたが、2006年には早くも8000系ワンマン改造車に再度置き換えられて引退しました。
 現在は最終増備編成の1819Fのみが、原型・原色のまま波動輸送用に残され、団体輸送などで使用されています。

【編成】
←浅草     赤城
 Tc 1810 - M 1820 - *M 1830* - T 1840 - M 1850* - Tc 1860
 Tc 1810 - M 1820 - *M 1830* - Tc 1840 (デビュー時・及び通勤車改造後)
* パンタグラフ

 今回の記事は
「私鉄の車輛24 東武鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1990年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1997年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2001年10月臨時増刊号 新車年鑑2001年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2008年1月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。

 次回のこのシリーズは、既に廃車になって久しいのですが、西武401系です。

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