№249 バスジャパン・ハンドブックシリーズR70 国際興業・山梨交通(星雲社)

「バスジャパン・ハンドブックシリーズR」20巻目は国際興業と山梨交通。
 前シリーズ「ニューハンドブック・33」(以下「NH」)以来、9年振りになります。

◆ 「武蔵」「甲斐」桜くらべ
 クラッセブックス編集長富田康裕による、国際興業エリアの赤羽~大宮と、山梨交通エリアの石和温泉~韮崎に点在する桜の名所を、2日間(4月3日~4日)にかけて訪れるというもの。
 前回の東急バスの時にも時々意外な紅葉の名所が出てきましたが、自然を巡るバス乗り継ぎというのも贅沢でいいものです。
 国際興業エリアから山梨交通エリアへの移動に羽田空港を経由するのは、なるほどそうか、それしかないと思いました。
 新宿には国際興業は入っていないし、大宮~甲府の高速バスは早々に廃止になってしまいましたから。
(9年前の種村直樹氏らによる乗り継ぎでは飯能エリアにも立ち寄り、各エリア間はJRや西武の電車を利用していた。)
 羽田空港の待ち合わせも含めてよく酒が入るようだけれど、酒を飲んでも長距離移動ができるのも、マイカーではできない公共交通ならではの利点です。

◆ 終点の構図 間野黒指
 国際興業の飯能エリアのローカル線の終点で、やはり山奥の終点はそれだけで味わいがあるものです。
 都心で見慣れている国際興業の姿からは大分かけ離れて見えます。
 それだけに本文にあるとおり、通常は本数が少なくて訪れるのが大変なのですが…。
 〔飯11〕はご存知の方も多いでしょうが、途中ほんのわずか東京都青梅市を走る区間があり(1ヶ所停留所も存在)、加えて都県境付近で都営バスと競合する区間も存在します。

◆ 国際興業・山梨交通の路線エリア
 国際興業は飯能エリアを除くと、例外もあるが基本的には伊勢崎線・東上線という東武鉄道の2大本線にはさまれた、東京23区北部~埼玉県西部。
 最北は宇都宮線の蓮田駅。
 なお路線一覧には深夜急行バスはありませんが、深夜急行バスでは久喜・本庄と、通常国際興業とは何の縁もない所への路線があります。
 山梨交通は清里付近の一般路線は全滅してしまったようです。
(ただ、なぜか営業所ができているようですが。)
 また塩山のエリアも、他とつながらなくなってしまいました。

◆ 国際興業・山梨交通のあゆみ
 国際興業というと、本当は「政商・小佐野賢治」の名を避けて通る事はできないと思うのですが、私は政治・経済の(特に裏の)世界は全く疎いので、ここでは触れないでおきます。
 母体となる事業者は戦前からあったようですが、国際興業自身のバス事業開始は終戦直後ですから、現在の関東地方の大手バス事業者としては、比較的歴史が浅い方だと思います。
 1970年代以降だと都営三田線・営団有楽町線・埼玉高速線の開業も大きかったでしょうが、なんと言っても1985年の国鉄埼京線の開業が最も深刻だったようで、2度に渡って大幅な再編成を強いられています。
 埼京線は他の鉄道と違い、郊外から都心へダイレクトに結ばれて快速の設定まである高速鉄道なので、影響が格段に違うでしょう。

 貸切では3年前に国際観光バスを引き継いだ訳ですが、国際観光バスについては全くといっていいほど記されていませんでした。
 国際観光バスは、末期には紫系のカラーになっていましたが、個人的にはそれより前の紺色をベースとした上、1台ずつに国の名前をつけ、国旗を書いていた旧塗装が印象的でした。

画像

国際観光バス S-8775「イラク」

 同社は所沢市内にも営業所がありましたが、そちらは廃止になったようです。
 さいたま国際バスは、「一定の効果が得られた」事から本体に再吸収したとあります。
 しかし、他に特定輸送(競艇・オートなどの公営競技やサッカーの試合。埼玉スタジアムのオープンもあった)への対応が難しくなったためだとも聞いています。
 なお、後の車両編にも関わりますが、「NH」との谷間に関わる時期に蕨市と戸田市でクセニッツのシティを使用していましたが、全く記述がありませんでした。
 クセニッツは他にも西武バスや関東バスなどでもコミュニティで使用されていましたが、サポートが早々に打ち切られた事で、あっという間に姿を消していきました。

 山梨交通は正直馴染みが薄い事業者なので解りにくい部分もありましたが、国際興業の資本が入ったのが1960年前後位で、国際興業の本体エリアが確立した時期と一致しています。
 一つ物足りないと思ったのは、清里エリアの変遷。
 上で書いたように、一般路線は全滅してしまったように見えるのですが、引き続きレトロバスが残り、営業所まで開設されているのはどういう事か、そのあたりまで踏み込んでいただければ。

◆ 車両の現況
国際興業
1. まず、貸切・高速を除いた一般路線車(ここではコミュニティ・深夜急行等は含む)の傾向を分析してみます。
 各営業所の配置台数と、9年前との比較を記してみます。

       2001年3月1日現在 2010年4月1日現在 増減
〔東京都〕
池袋     38→           49           11(+28.9%)
練馬     58→           70           12(+20.7%)
赤羽     70→           83           13(+13.6%)
志村     61→           71           10(+16.4%)
小計    227→          273           46(+20.2%)
〔埼玉県〕
戸田     82→           98           16(+19.5%)
西浦和    79→           82            3(+ 3.8%)
川口    112→          117            5(+ 4.5%)
鳩ヶ谷   112→          115            3(+ 2.7%)
さいたま東 118→          143           25(+21.2%)
飯能     28→           37            9(+31.2%)
小計    531→          592           61(+11.4%)
【合計】  758           865           107(+14.1%) 

 東京都よりも埼玉県、それも京浜東北線より東に手厚く配置されている事が読み取れます。
 離れ小島の飯能〔営〕が少なめなのは当然としても、都心の池袋〔営〕も意外に少ない。
 今は郊外から都心に向かう路線が中心だから、都心だけ走る営業所は、台数が少なくなっていくのでしょう。
 最も、9年前と比較して全ての営業所で増車がなされています。
 さいたま東〔営〕は20%以上の大幅な増車。
 なるほど、埼玉高速鉄道の開業の影響は、それ程マイナスではなかったようです。

 メーカー別では、9年前はいすゞ以外は日野が1台あるだけでした。
(日高市コミュニティ用リエッセ・但し2007年3月を持って廃止)
 現在は日野が40両・三菱ふそうも4両あります。
 但し全て地方自治体のコミュニティバスなのですが。
(飯能〔営〕のリエッセⅡはよく解らないが)
 なお、特定輸送は行っていないようです。
 エリアには有力な特定バス事業者が多いからでしょうか。

2. 平均車齢は5.74年という結果が出ました。
 ただし、やはり離れ小島の飯能〔営〕に経年車が集中するため、ここだけ12.68年と図抜けて高くなっています。
 U-LV324Kも3台残っています。
 練馬〔営〕も6.63年と意外に高いのですが、ここは中型のKC-LR333Jが相当残っている事があるでしょう。
 国際興業というと、飯能〔営〕を除けば置き換えのサイクルが早目である事、そして一般路線車は全ていすゞを採用している事で、特にこの数年は、大型路線車といえばエルガばかりが目に付きます。
 それはデータからもはっきり出ています。
 2000年発表以降のエルガ8形式(深夜急行用を含む)は、既にいすゞ路線車全体の76.2%。
 特に志村〔営〕では、なんと94.3%がエルガという数字が出ました。
 キュービックは今や飯能〔営〕を除くとわずかなノンステップ車(これとて既に移籍車両も発生している)と、あとは企業などの輸送用と思われる貸切車などばかり。
 遠からず、都心では全部エルガ・エルガミオという時期が来るでしょう。

 年式別では、2004年式が145両、2002年式が142両。
 逆に2001年式はわずか7両(一般路線車は1両だけ)ですが、これは埼玉高速鉄道の開業があったからでしょう。
 2004年も17両と少ないのですが、これはちょっと理由が解りませんでした。
 
3. ここからは貸切車・高速車も含みます。
 そうして経年車は早目にグループを中心とした他事業者に譲渡・売却を行うので、国際興業というと、中古車両の供給元というイメージが強いと思われます。
 昔からそうですし、何しろ今は国際興業自ら中古バスの販売に力を入れているのですから。
(歴史編では全く触れられていませんでしたが、商事部で中古車の売買を行っており、公式HPにもコンテンツがあります。)
 ところが、その一方で東京の事業者でありながら、意外に他社の中古車も相当数購入しているのです。
 路線車でも、鳩ヶ谷〔営〕の9501号車はなんと江ノ電バスから。
 高速・深夜急行車でも、セレガ4台は全て他社からの移籍です。
 これは意外だった。
 国際観光バスからの引継車両は大半が引き続き板橋、あるいはさいたまの営業所に在籍していますが、川崎〔営〕及び国際興業大阪への配置も見られます。

山梨交通
1.やはり地方の事業者らしく、一般路線車の平均車齢は15.46年(ボンネットとK-CCMを除くと14.97年)とかなり高目。
 しかも、1999年までの車両が全体の80%と、逆ピラミッドの構成になっています。
 当然、他事業者・特に国際興業本体からの移籍が中心だからでしょう。
 最古参は動態保存的な上2台を除くと1986年式のP-LR312J。
 最も離れ小島の静岡に、エルガミオ2台が新製配置されているのは目につきました。

2.山梨交通でも高速・貸切車に中古車両が多く使用されています。
 地方の会社だと、特に東京へ行く高速路線は看板だから、多少苦しいかもしれないがエース級の最新鋭車両をバンバン投入する、というイメージがありますので、少々意外に感じられました。

画像

(2004年4月16日撮影)
 例えば、これは新宿発甲府・湯村温泉行の運用のC721号車(1998年式KC-LV781R1)ですが、淡路交通からの移籍だそうです。

 これは事業者に対しての感想なのですが、まず国際興業。
 飯能〔営〕は離れ小島ゆえ経年車が多くなるのは現状では仕方ない事でしょうが、飯能エリアとてローカル線ばかりでもなく、ニュータウンや最近では埼玉医科大学への路線もあるのだから、都心と同様のノンステップ車の導入も期待したいところ。
 あと、山梨交通ですが、これは国際興業グループ全体でそうですけれど、貸切・高速はともかく、一般路線車については、もう少し地域カラー・事業者オリジナルカラーを尊重しても良いのではないかと感じました。
 
 次回刊は京阪バス。
 グループ3社は、京阪宇治バス・京阪シティバス・京阪京都交通でしょう。
 このグループは1993年の「ハンドブックシリーズ17」以来17年振りになりますが、この間に京阪国際観光自動車の廃業に加えて京都交通の南部エリアを引き継いだ事もあり、年月以上に大きく様変わりしているのではないでしょうか。
 その次の予告がないのですが、続刊を期待したい所です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)



1/32 R/Cバス No.3 国際興業 いすゞ エルガ (路線)
スカイネット





amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る

№248 私鉄の車両シリーズ55 小田急電鉄3100形

 昨日の事ですが、ルフトハンザのA380がいよいよ成田に就航しました。
 早く撮りに行きたいのも山々ですが、いよいよ本格的な梅雨のシーズンに入り、関東地方も明日には梅雨入りしそうで、しばらく撮影には行けなさそうですね…。
 当面は週3回のみの乗り入れですし、毎日就航になる8月を待つ事にしましょうか。

 今日は旅客機ではなくて鉄道、「私鉄の車両シリーズ」です。
 小田急のロマンスカーを取り上げます。
 3100形は、昭和30年代らしいシンプルかつ優雅な曲線美が出ているような気がして、個人的にも小田急の中では好きな系列でした。

画像

 3100形は1963年にデビューしたロマンスカーで、

New Super Express”=「NSE

の愛称があります。
 高運転台方式で最前部に展望席を設け、冷暖房完備・固定窓の採用など全体的なグレードアップが図られており、ロマンスカーの方向性を決定付けた名車です。
 1964年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。

 車体は3000形「SE」と同様、中央部を低床構造とした低重心の連接車としていますが、車体数は8→11となり、輸送力の増強も図られています。
 最大の魅力は先頭部にあります。

画像

 運転室を2階に上げてその真下を展望席とし、10人分の座席を設けました。
 製作に関してはあらかじめモックアップが製作されて形状を決定しています。
 側窓はSEの一段下降窓から大型の固定窓となり、眺望性が向上しました。
 また、当初から冷暖房が完備し、当初は床下のヒートポンプのみで冷暖房を兼用していました。
 3次車より冷房専用となり、暖房は床下のヒーターが専用になっています。
 制御方式はSE同様の抵抗制御。
 台車は空気バネのミンデンドイツ式になりました。
 12台車中4台がTですが、全車両をM車としています。

 車内は、当初はWC・洗面台部分を除いて仕切りを設けずに開放的な雰囲気を出し、車内のインテリアは、3ブロックに分けて変化をつけていました。
 喫茶カウンターは3・9号車に設置されて「走る喫茶室」のサービスが提供されていました。
 WC・洗面所は4・8号車に設けられています。

 1967年にかけて7編成が川崎車輛と日本車輛で製作されてロマンスカーの主力となり、<はこね><あしがら><さがみ>など、箱根直通特急を中心に運用されました。
 その後1977~1978年にかけて冷房能力増強のため屋根上に冷房装置を増設。
 さらに1984年~1988年にかけて体質改善工事が行われました。

画像

 車内では仕切り扉の増設、喫茶カウンターの拡大、座席モケット(全車両で統一)や化粧板の交換などが行われました。
 外観では正面の愛称表示装置の自動化が行われ、五角形のプレートから長方形の幕に変わっています。

画像

 1995年の30000形「EXE」デビューにより、翌1996年から廃車が始まり、1999年までには1編成を残して全廃。

画像

 その1編成(3161F)は1997年に小田急開業70周年を記念したイベント列車「ゆめ70」に改装。
 定期検査期限の2000年4月までの期間限定でイベント列車や臨時特急で運用されました。
 外観は人間を模したデザインとなり、先頭車の車内はサロン風のフリースペースとしていました。
 現在は喜多見検車区に1編成(6連化)、開成町(開成駅前・通常はカバーに覆われて見えない)に先頭車1両が保存されています。

【編成】
←新宿     小田原・藤沢
 Mc1 3100 = M2 3100* = M3 3100 = M4 3100 = *M5 4300 = M6 31000 = M7 3100* = M8 3100 = M9 3100 = *M10 3100 = Mc11 3100
= 連接部  * パンタグラフ

 今回の記事は
「私鉄の車両2 小田急電鉄」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1991年7月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年12月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2010年1月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。

 次回のこのシリーズは、東急の目黒線用3000系について書きます。
 ただし、明日は違う事を書く予定です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

№247 JTB時刻表大研究(グラビア編) 駅旅本線

 多少間が空いてしまいましたが、「JTB時刻表大研究」のカラーグラビアについて取り上げる第2段。
 今回は、杉﨑行恭氏の「駅旅本線」。
 連載開始が2005年5月号で、途中休みを挟みながら2010年6月号で55回目を迎えています。
(ただし6月号は映画「RAILWAYS」関連のスペシャルで、レギュラーは5月号の高野山駅で54回目。)

 杉﨑行恭氏は主に駅舎関係の著作をされているようで、過去にはJTBキャンブックス「日本の駅舎」「駅舎再発見」を刊行されています。
 JTB以外だと、新潮「旅」ムックの「日本鉄道旅行地図帳」シリーズにもコラムを寄せられています。
 そして、「駅旅本線」連載50回を記念して、今年の春、「駅旅入門 行ってみたい駅50」として単行本になりました。
 なので、ここではこの単行本のレビューという形式も合わせてみたいと思います。

 まず、この連載が開始されてから、今年5月号までに取り上げられた駅を並べてみます。

1 2005年 5月 上野 (JR東日本)
2 2005年 6月 南島原 (島原鉄道)
3 2005年 7月 湯田中 (長野電鉄)
4 2005年 8月 川湯温泉 (JR北海道)
5 2005年 9月 津軽五所川原 (津軽鉄道)
6 2005年10月 鞍馬 (叡山電鉄)
7 2005年11月 琴平 (JR四国)
8 2005年12月 長瀞 (秩父鉄道)
9 2006年 1月 嘉例川 (JR九州)
10 2006年 2月 比羅夫 (JR北海道)
11 2006年 3月 出雲大社前 (一畑電車)
12 2006年 4月 養老 (近鉄 ※現在は養老鉄道)
13 2006年 5月 片瀬江ノ島 (小田急)
14 2006年 6月 弥彦 (JR東日本)
15 2006年 7月 遠野 (JR東日本)
16 2006年 8月 別所温泉 (上田交通 ※現在は上田電車)
17 2006年 9月 河口湖 (富士急行)
18 2006年10月 遠軽 (JR北海道)
19 2006年11月 嵯峨嵐山 (JR西日本)
20 2006年12月 永平寺口 (えちぜん鉄道)
21 2007年 1月 門司港 (JR九州)
22 2007年 2月 銭函 (JR北海道)
23 2007年 3月 八幡浜 (JR四国)
24 2007年 4月 極楽寺 (江ノ電)
25 2007年 5月 吉ヶ原 (片上鉄道保存会 ※同和鉱業・1991年廃止)
26 2007年 6月 天竜二俣 (天竜浜名湖鉄道)
27 2007年 7月 美瑛 (JR北海道)
28 2007年 8月 松代 (長野電鉄)
29 2007年 9月 渋民 (IGRいわて銀河鉄道)
30 2007年10月 三峰口 (秩父鉄道)
31 2007年12月 柏崎 (JR東日本)
32 2008年 1月 日光 (JR東日本)
33 2008年 2月 稚内 (JR北海道)
34 2008年 3月 山梨市 (JR東日本)
35 2008年 4月 隼人 (JR九州)
36 2008年 5月 芦ノ牧温泉 (会津鉄道)
37 2008年 6月 竜王 (JR東日本 「駅旅入門」不掲載
38 2008年 8月 宇治山田 (近鉄)
39 2008年 9月 陸別 (ふるさと銀河線りくべつ鉄道 ※ちほく高原鉄道・2007年廃止)
40 2008年10月 鳴子温泉 (JR東日本)
41 2008年11月 大歩危 (JR九州)
42 2008年12月 大磯 (JR東日本)
43 2009年 1月 浜寺公園 (浜寺公園)
44 2009年 2月 萩 (JR西日本)
45 2009年 4月 伊予西条 (JR九州)
46 2009年 6月 若桜 (若桜鉄道)
47 2009年 7月 芦野公園 (津軽鉄道 ※旧駅舎)
48 2009年 8月 知床斜里 (JR北海道)
49 2009年 9月 加賀一の宮 (北陸鉄道 ※2009年廃止)
50 2009年10月 直方 (JR九州)
51 2009年11月 寺田 (富山地鉄)
- 以上が「駅旅入門」掲載 -
52 2009年12月 能代 (JR東日本)
53 2010年 4月 下小代 (東武 ※旧駅舎)
54 2010年 5月 高野山 (南海)

 まず最初にあれっ?と思った事。
 時刻表の連載では51回目だった寺田駅が入って、それで単行本では50駅。
 実は上でも注釈を入れましたが、第37回の竜王駅が単行本では掲載されていないのです。
 この駅はパーク&ライドを実施しており、特急<かいじ>2往復が始発・終着としているのですが(他の特急は全て通過)、2008年の3月に、安藤忠雄氏設計の橋上駅舎に改築されたばかりだったのです。
 駅自体は斬新・モダンな造りなのですが、どうも単行本に載せるには、コンセプトからして合わなかったようです。
 杉﨑氏自身、後書きで「昭和30年代以前に建てられた独特の雰囲気を持つ駅から選んでいる。」と書いています。
 また、すぐ近くで同じ中央本線の山梨市(34回)が取り上げられている事もあったかも知れません。
 なので竜王はあえてはずし、51回目の寺田を加えて50駅としたのではないでしょうか。
 もっとも、鳴子温泉や陸別のように、平成になってから改築された駅もなくはないのですが。

 それと、JR東海の駅が一つもありません。
 杉﨑氏選定の「新『日本の駅舎』100選」には8駅がノミネートされているので、いずれは取り上げられるのかも知れません。

 取り上げられる駅の傾向としては、もちろん杉﨑氏が語っているように、駅舎に雰囲気がある駅が多いという事はあるでしょう。
 加えて時刻表のグラビアを飾る訳ですから、やはり駅そのものが旅情をかき立てるものでなければならない、という事はあるかと思います。
 なので上野は例外としても、一日に百万人前後の利用がある東京や新宿・大阪といった大ターミナル、あるいはニュータウンに新しく造られた新線の駅といった所は対象にはなり得ない。
 逆に駅舎もなく、「こんな所、乗り降りする人なんているのか?」と思うような「秘境駅」も、独立しては入れられない。
 純粋な無人駅がほとんどない(現役では加賀一ノ宮のみ。廃止間近という事もあっただろう)事でも解る通り、ある程度人的なコミュニケーションが発生している事も、選定の基準になっているように思えます。

 杉﨑氏は駅舎の保存についても意見を入れています。
 しかし、私は建築の素人だからはっきりとは言えませんが、門司港駅の「シロアリの問題がある。」との駅長の発言にもある通り、特に木造駅舎だと保守・修繕に相当な労力や費用がかかってしまうだろう事は十分創造できます。
 門司港は国の文化財指定だから国レベルで支援してくれるかもしれないが、地方の小駅だと難しい部分も多くなるだろうと思われます。
 また私鉄で顕著ですが、輸送力増強や都市整備計画により高架化あるいは地下化が行われるとか、逆に利用者の大幅な減少で鉄道そのものが廃線になり、現スタイルの駅舎を維持できなくなる場合もあります。
 吉ヶ原や「入門」番外編の熱塩のように地元が保存に熱心ならいいのでしょうが。
 ただ、私個人の意見としては、やはり駅舎なのだからモニュメント的なものではなく、「駅」の機能の一部として残って欲しいとは思います。
 単に「残せ」と叫ぶだけでなく、ではどうやって残していくのか?
 維持の費用はどうするのか、需要が増大して駅舎等の施設が対応できなくなった時は?
(例外もあるだろうが、乗降が1万人位になると、平屋建てでは苦しいかも)
 そんな事も、あらかじめ考えておくべきだろうと思います。
 あるいは№79で書きましたが、旧駅舎のイメージそのままに新駅舎に建て替えられた、関東鉄道常総線の騰波ノ江駅も、一つの解答なのかも知れません。

 多少脱線してしまいますが、ここでその高架化によって姿を消した、個性的?な駅舎の写真をご覧頂こうと思います。
 
画像

 西武池袋線の中村橋駅。
 1995年の撮影。
 東京23区内にこんな駅舎があったとは奇跡的ではありました。

画像

 こちらは1991年撮影の名鉄名古屋本線・本宿駅。
 背後には既に工事中の高架線が見えます。

 建築的な視点で言うと、駅だけでなく、周辺の建物も注意して眺めてみたいですね。
 「駅旅本線」では、津軽五所川原駅前の津軽鉄道本社もそう。
 それから写真がなくて申し訳ないのですが、JR御殿場線の松田駅前にあるタクシー会社のビルとかも機会があったら見て下さい。

 ところで、宮崎県の口蹄疫流行の問題が、連日TVや新聞を賑わせているのはご存知の通りです。
 処分されてしまった家畜の事を思うと胸が痛いのですが…。
「駅旅本線」では今の所宮崎県の駅は取り上げられていませんが、杉﨑氏選定の「新・100選」には、最初に口蹄疫が発見された川南町の隣にある都濃駅がノミネートされています。
 今は駅旅どころではないでしょうが、いつか口蹄疫の流行が収束した時、都濃駅も取り上げられればいいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)



北陸線写真帖?機関車 駅舎 鉄道マン
北國新聞社




amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る