のと鉄道は1988年3月、第3次特定地方交通線に指定されていたJR西日本・能登線を引き継いで営業を開始した第3セクター鉄道です。
旧能登線は戦後の1959~1964年にかけて全通しましたが、既に能登半島はマイカーの時代に入っており、輸送量は減少の一途をたどっていました。
石川県は鉄道存続のためには早期の第3セクター化が有効と考え、のと鉄道が設立されたものです。
この際に普通列車用として導入されたのが、NT100形でした。
NT100形は富士重工が開発した「LE-DC」で、わたらせ渓谷鉄道わ89-300形等と同系です。
前面窓はパノラミックウィンドウとなり、能登線内にトンネルが多い事から、貫通扉上部にもヘッドライトを2器装備しています。
エンジンは横型直噴式を1台装備、ブレーキはSME三管式の他、機関・排気ブレーキを備えています。
車内はセミクロスシートで、1次車は座席のモケットがオレンジ色でした。
富士重工製らしくバス用の部品を多用しており、冷房も直結式のバス用を使用しています。
(屋根上のクーラーのユニットが明らかにバス用ですね。)
暖房はエンジン冷却水仕様の温風ヒーターで、凍結防止のためドアレールとトイレ部にもヒーターを設けています。
13両が製作・投入されました。
続いて1991年にはJR七尾線の内の和倉温泉~輪島間がのと鉄道に譲渡されました。
この際は線路・施設は引き続きJR西日本が保有(第3種事業者)、のと鉄道は第2種事業者として営業すると共に、すべての列車が七尾まで乗り入れる形態となっています。
この際に2次車13両が製作・投入されました。
座席のモケットが赤系になった事と、燃料制御回路に若干の違いがあります。
1次車は後に2時車の性能に合わせる改造を行いました。
1次・2次合わせた合計が26両となり、JR以外の鉄道のDCの最大勢力になりました。
1997年以降、3両が畳敷きに改装されて、イベント列車に運用される事になります。
NT112(「くつろぎ」・1997年12月)・127(「やすらぎ」・1999年4月)・111(「やわらぎ」・1999年8月)です。
2000年3月一杯で七尾線の穴水~輪島間が廃止になった事で3両の廃車が発生。
NT103は能登線存続の願いを込めた黒ベースの「NOTO-EXPRESS」色となりました。
しかし、2005年3月一杯で能登線が全線廃止となり、16両が一気に廃車になりました。
さらに残存区間で運用されていた車両も老朽化が進んだ事から、能登線廃止と入れ替わりにデビューした新型NT200形へ置き換えられ、最後まで残ったNT127・132の2両も2006年一杯で引退しました。
廃車となった車両の大半はミャンマーに輸出され、一部は個人によって保存されています。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2001年5月臨時増刊号 【特集】北陸地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
「ローカル私鉄車両20年 第3セクター・貨物専業編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「私鉄気動車30年」(寺田裕一・JTBキャンブックス) 等
を参考にさせて頂きました。
次回からは7回連続で、関西の大手私鉄の車両について書きます。
まず次回は、名鉄初のVVVF系列、3500系です。
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