箱根はおろか練馬でも積雪があったそうだし、羽田空港ではみぞれのため旅客機の出発にも影響が出たようです。
なんだか今週一週間の気温は、ジェットコースターのようでした。
さて、今日の私鉄の車両シリーズは、都電荒川線で今でも主役を張る、7000形について書きます。
車体更新車なのですが、そのデザインは後の日本の路面電車にも影響を与えました。
都電荒川線は1911年8月に開業した王子電気軌道を祖としています。
1930年までに現荒川線区間が全通した後、1942年に東京都電気局(現東京都交通局)に買収されました。
1970年代になり他の都電の路線が全線廃止になる中、荒川線は専用軌道が大半を占めていた事もあって存続が決定。
しかし、近代化・ワンマン化を進める必要があり、7000形については1977年より車体を新造して交換する事になりました。
1978年鉄道友の会のローレル賞を受賞。
路面電車では初です。
旧7000形は1954年から3次に渡って製造され、改造車も含めて93両が製作されました。
それまでの都電から大きく形態が変わり、前中2ドア、正面2枚窓、側面の大型窓で軽快なイメージがあります。
2次車から間接制御となり、3次車では当初はZパンタグラフを採用(後にビューゲルに交換)するという違いがあります。
2次車のうち10両は路線の縮小に伴い、函館市に売却されて1000形となっています。
(残念ながら今年3月一杯で引退。)
車体の更新は3次車のうち、荒川線に残留していた31両に対して施されました。
アルナ工機で製作された新車体は、旧車体からは一転、角ばったスタイルと正面の大型1枚窓で、近代的な軽快電車風のスタイルとなりました。
また、ホームを嵩上げした事でステップを廃止、床は全面フラットとしています。
車体色は、黄色ベースは変わらないものの、帯の色が赤からワンマン車を示す青に変わっています。
車内は優先席を前向きとし、戸袋部分を立席スペースとしました。
ワンマン化により車掌の立ちスペースは廃止。
ただし、車掌の合図だった鈴の音は自動で残されており、ドア閉じ完了を運転士に知らせる合図として機能しています。
車体更新に合わせ、番号は全て改番されました。
1985年より順次冷房化工事が進められ、同時にカラーリングも緑系の現行のものに改められました。
冷房化されなかった6両は廃車となり、内2両は豊橋鉄道に売却されています。
パンタグラフはビューゲルから、通常の菱形パンタグラフに交換されました。
2000年度より車体の修繕が始まり、車体の補修や室内の化粧版の張替え、2001年度からは加えて行先表示のLED化も進められています。
2両は更新の対象から外れて廃車となり、豊橋鉄道に売却されています。
7022号車は2005年より、更新時の黄色+青帯の旧塗装を復刻。
同車を含めた5両はパンタグラフがシングルアーム化されています。
現在は22両が引き続き荒川線で運用中です。
しかし、更新から23年経って既に現車体の時期の方が長くなっており、8800形デビューによって、今後の去就が注目される所です。
今回の記事は
「わが街 わが都電」(東京都交通局)
「日本の路面電車Ⅰ 現役車両編」(原口隆行・JTBキャンブックス)
「ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル2000年7月臨時創刊号 【特集】路面電車~LRT」 等
を参考にさせて頂きました。
明日からしばらくは、少し前になりますが、4月3日(土)の秩父鉄道と、5日~8日の東北旅行について書きます。
したがって、私鉄の車両シリーズの次回は再来週になります。
次回は、その秩父鉄道の3000系(元JR165系)を書く予定です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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