№190 私鉄の車両シリーズ34 横浜市交通局1000形

 私鉄の車両シリーズ、今日から5回は大手以外の東日本の事業者を取り上げます。
 最初は、横浜市営地下鉄の1000形です。

 横浜市営地下鉄は1972年12月、1号線の伊勢佐木長者町~上大岡が開業しました。
 この時に製作されたのが1000形です。
 3両編成でデビューしましたが、その後路線の延伸や乗客の増加に合わせて増備・増結が行われ、最終的には6両編成×14本の84両が製作されました。

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 1号線・3号線(現ブルーライン)は他の鉄道線との相互乗り入れは考慮されておらず、直流750Vの第3軌条方式で建設されました。
 1000形もその地下鉄の仕様に乗っ取って設計されています。
 車体はスキン・ステンレス製で、窓・ドアの配置に特徴があり、編成を組んだ時にドアの間隔が均一になりません。
 1000形を特徴付けるものとして、ドア部分を青く塗装している事があります。
「ゼブラトーン」と呼ばれたこのカラーリングは、ホーム上での扉の位置を明確にする効果がありました。
 「く」の字形の正面は中央に窓がない非常用扉、その両側に左右非対称の窓を配置しています。
 非常用扉の内側にはしごが設置されていました。

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 1次開業時は3連でしたが、2次開業(横浜~伊勢佐木長者町及び上大岡~上永谷)直後の1977年に5連化、さらに3次開業(新横浜~横浜及び上永谷~舞岡)時に6両編成となりました。
 1989年~1992年にかけて全車両に冷房化改造が実施されました。
 この際、運転室後部の優先席がクロスシートとなった事は、地下鉄では珍しいケースとして注目されました。
 反対側は座席を撤去して車椅子スペースとしています。
 その他の座席のモケットには、1人分ずつを区別する模様がほどこされています。
 また、各ドアの上部には文字式及び地図式の次駅案内表示機が設けられました。

 1993年のあざみ野及び1999年の湘南台延伸後も主力車両として活躍してきました。
 しかし老朽化が進んでいる事、抵抗制御車両である事、さらには計画されていたワンマン運転には対応しない事とされたため2004年より順次3000R形への置き換えが進められました。
 2006年12月には後継の2000形と共にさよなら運転を行ない、引退しました。
 開業時の第1編成3両は新羽車両基地に保管、1両は横浜市資源循環局金沢工場で、古紙・古布を一時保管するためのストックヤードとして再利用されています。

【編成】
←横浜     海老名・いずみ中央
 Mc 1000 - M2 1000 - T3 1000 - M4 1000 - M5 1000 - Tc 1000

 今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1990年3月臨時増刊号 【特集】日本の地下鉄」(鉄道図書刊行会)等
を参考にさせて頂きました。

 次回のこのシリーズは、千葉ニュータウン鉄道(北総鉄道)の9000形です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)



私鉄車両編成表〈2009〉
交通新聞社

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№189 私鉄の車両シリーズ33 相模鉄道(新)6000系

 今日はついに、東北新幹線・八戸~新青森間に試験車両(East-i)が入線しました。
 今日は八戸から時速30㎞でトロトロ走って、新青森まで7時間かかって着いたそうです。
 新青森駅のホームは、一般の人も入れたのですね。
 20日には営業車両も入るそうで、いよいよ12月の開業までカウントダウンという所でしょうか。

 一方、一転してローカルな話になりますが、戸塚バスセンターの移転(移転しても名称は変わらないみたい)が18日に迫り、今日は乗務員の教習で神奈中バスが新バスセンターに乗り入れていました。
 戸塚駅西口は再開発事業が一つの節目を迎え、「トツカーナ」「パルソ」が今月2日にオープンしています。
 「パルソ」の一角には相鉄が経営するビジネスホテル「フレッサイン」が入りました。
 戸塚駅西口には30年前まで、相鉄バスが一日5往復、横浜駅西口から横浜新道を経由して乗り入れていました。
 なので、30年ぶりに戸塚で「相鉄」の2文字が見られたわけです。
 という訳…でもないですが、今日の私鉄の車両シリーズは、相鉄の(新)6000系です。

 №139で取り上げた相鉄6000系は、1970年の16次車より大幅なモデルチェンジを行い、以降1974年までの間に70両が製作されました。
 同系列を名乗りつつ、旧モデルとは印象が大幅に異なっています。

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 新6000系は、旧モデルのMMユニット試作車、モハ6144-6145の実績を元に、本格的なMMユニットを採用、電動車は新たにモハ6300形を名乗っています。
 また、横浜方先頭車も新たにクハ6700形が起こされました。

 車体も大きく変わり、幅は2,930㎜と、在来線(狭軌)では最大級になりました。
 前面も高運転台となり、窓下に前照灯を配置。
 また、窓上には種別・運行番号表示を設けました。
 側面の扉配置も旧モデルと異なり、左右対称になっています。
 また、側窓の幅も広くなりました。
 制御システム自体は変わっておらず、旧モデルとの混結も可能です。

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 1971年製の内の4両が試作冷房車として製作され、翌1972年より本格的に冷房車となりました。
 非冷房車の室内の色調は旧モデルと同様の寒色系でした。
 この年の冷房車より、室内の色調が暖色系に改められ、これは9000系まで受け継がれています。
 非冷房車についても順次冷房化が行われ、1978年11月までには全車両冷房車となりました。

 4両1ユニットで量産されましたが、不足する2両はモハ6144-6145のユニットを組み込み、車体幅が異なるためアンバランスな印象を与えました。
 需要の増大により、2ユニット連結の8連で運用されるようになり、さらに横浜方に旧モデルの2両を連結した10連での運用もありました。
 10000系のデビューにより、2003年11月のさよなら運転で引退しました。
 これにより、相鉄から鋼製車体の形式が姿を消しています。


 ところで車体色は旧モデルと同様、濃緑+灰色をベースにしていました。
 1973年、横浜駅西口の相鉄ジョイナスが開業するのを機に車体色を変更する事になり、2種類を比較した上でライトグリーンをベースにしたカラーに改められました。
 なお、特別塗装を施した編成が3本あり、6718Fが「ほほえみ号」(久里洋二デザイン)、6717Fが「緑園都市号」(柳原良平デザイン)、6713Fが「アートギャラリー号」(池田満寿夫デザイン)として運行されていました。
 これとは別に6707Fが2002年より旧塗装を復刻しており、車体色に関しては終始バラエティに富んでいました。

 残念ながら試験カラーの黄色系・「ほほえみ号」は撮る機会がありませんでしたが、ここでは「緑園都市号」・「アートギャラリー号」・旧塗装復刻編成の画像を御覧頂こうと思います。

◆緑園都市号 6717F
「横浜八景」と題し、一両毎に横浜の名所及び相鉄沿線の風景が描かれています。
 多分に相鉄の事業のCM的な面も入っています。

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クハ6717 日本丸
 柳原良平氏といえばやはり船の絵ですから、横浜方2両はドーンと大きく、船の絵が描かれています。

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モハ6325 クィーンエリザベスⅡ世号
 当時の世界最大級の客船で、何度か横浜にも来航し、YES89の時はホテルシップにもなりました。

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モハ6326 山下公園
 隅に見えるマリンタワーが旧カラーの赤と白のゼブラトーンになっているのが注目で、人形の家や氷川丸も描かれています。

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クハ6543 赤レンガ倉庫と横浜三塔
「横浜三塔」とは、「キングの塔」=神奈川県庁本庁者、「クィーンの塔」=横浜税関本関庁舎、「ジャックの塔」=横浜市開港記念会館。
 なお、この編成は通常は分割されることはないのですが、中間に組み込まれた先頭部にもしっかりイラストが描かれています。 

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クハ6716 中華街
 ドア毎にそれぞれ異なった中華街の門が描かれています。
 どこの門なのかは申し訳ないですがわかりません。
 なお、この車両の先頭部にもイラストが描かれています。

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モハ6323 横浜駅西口
 この辺が相鉄のCM的な部分が現れている所で、相鉄ジョイナスと、横浜駅ビルの「CIAL」(今耐震補強の問題でどうするのか検討が続けられている)が描かれています。
 相鉄バスにも注目。

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モハ6324 万騎が原こども自然公園
 この公園は、南万騎が原駅または二俣川駅から徒歩で行ける所にあります。
 二俣川駅からはバスもあります。

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クハ6541 緑園都市
 これは明らかに相鉄のCMで、当時相鉄によって開発が進行中だった緑園都市の街並が描かれており、改築なったばかりの緑園都市駅も見られます。

 お披露目は1987年の事で、今だったら少し違う選択で描かれたかも知れません。
 横浜の名所ならベイブリッジ・ランドマークタワー・ズーラシア、相鉄のCMというなら「シェラトンホテル」(相鉄本社跡地に立てられた外資のホテル)が描かれたとも思えます。


◆アートギャラリー号 6713F
 どこか抽象的に自然が描かれています。
 ドアが左右で別の色になっているのが特徴。

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クハ6713 UMI(海)

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モハ6317 SAKANA(魚)

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モハ6318 KUMO(雲)

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クハ6538 TORI(鳥)
 なお、「緑園都市号」と異なり、中間に封じ込められた先頭部には、何も描かれていません。

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クハ6715 HANA(花)

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モハ6327 KAWA(川)

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モハ6328 KI(木)

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クハ6542 HITO(人)

 なお、池田満寿夫氏デザインの車両は、現在も樽見鉄道で運行されています。


◆旧塗装復刻車 6707F

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【編成】
←横浜     海老名・いずみ中央
 Tc 6700 - M1 6300* - M2 6300* - Tc 6500 + Tc 6700 - M1 6300* - M2 6300* - Tc 6500
* パンタグラフ

 今回の記事は
「私鉄の車両20 相模鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1986年8月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年7月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両編成表 91年版」(ジェー・アール・アール) 等
を参考にさせて頂きました。

 私鉄の車両シリーズ、次回から5回は大手を離れ、地下鉄・都市近郊・路面電車・ローカル線・第3セクターを取り上げます。
 次回は同じ横浜の横浜市営地下鉄、1000形です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)


徹底チェック 民鉄車両?JR発足後、民鉄はどんな車両をつくってきたか〈下〉
中央書院
川島 令三

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№188 バスグラフィック Vol.6(ネコ・パブリッシング)

「バスグラフィック」の第6号が先月発行されました。
 相変わらず昔の写真がテンコ盛り。

◆BUS GRAPHIC TOPICS 立川バス2題。
 以前にも書いた「リラックマバス」2号車デビューと、入れ替わるようにキュービック中型系(KC-LT333J・K711号車)の引退。
 後は日産ディーゼル→UDトラックスの社名変更。
 ちなみに、上尾市内にある東武バスの「日産ディーゼル前」バス停は、まだ名前が変わっていません。

◆続・「1984」東京路線バス写真図録 相も変わらず凄いなー。
 Vol.5の時に「京急・関東・京成あたりが並んでいれば良かった。」と書きましたが、今回はやってくれました。
 車両もさることながら、方向幕に書かれている行き先や系統番号、さらには撮影場所自体、時の流れを感じさせる部分が多々あります。
 西東京バスだと、「石川」へ行くバスは系統がまったく変わっているし、八王子駅の「国鉄」の2文字も懐かしい。
 京成は奥戸〔営〕(現在は高速バスのみになり、一般路線は京成タウンバスに分社)の車両が「〔新小71〕新小岩駅」の幕を掲げているけれど、奥戸持ちのダイヤもあったのでしょうか?
 京王の中型レインボーが掲げている〔宿42〕系統は、今は存在しません。
(経由地の「花見橋」は、今は〔渋64〕系統の早朝・深夜の一部が通過するのみ。)
 中型車を使用するとは、どんなルートだったのでしょうか。
 西武バスは、青梅〔営〕はもちろん今は存在しないし、青梅駅への乗り入れ自体ありません。
 昔は日向和田の方まで路線があったようですが。
 西東京バスも大幅に少なくなり、今現在青梅駅前に乗り入れる路線バスは、都バス以外では西東京バスの〔青20〕系統(青梅駅~小作駅西口)のみ。

 それにしても、前号から通じて全体的に感じるのは、

「1980年代が、東京の路線バスが一番エキサイトしていた時代だった。」

という事。
 1970年代の旧型車がまだまだ健在の一方で、スケルトン構造の新型車も幅を利かせ始めていて、ボディメーカーの数も多かったし、非常にバラエティが豊富。
 私も「あと10年早く生まれていればなあ。」と思いました。

◆春の予感は 路線バスとともに… 多摩地域の、桜並木の下を走る路線バス。
 京王バス(当時は京王帝都電鉄)が過渡期で、キュービックのフロントに旧社章が掲げられる一方で、CJMは「KEIO」のロゴになっていたりします。
 1991年3月の撮影という事ですが、もう新カラーもお目見えしていたはずですが、まだ数は少なかったようで、ここでは1枚も見られませんでした。

◆大団円 京成・初代連接バス 幕張を走っていた初代連接バス(ボルボ)の最後の記録。

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 「バスグラフィック」らしく、各部のディティールを中心にふんだんに写真が掲載されています。
 当ブログでも少しですが、№150で書いていますので、良ければご覧ください。
 なお、巻末には折込ポスターが組み込まれ、初代連接車の両サイドの写真が掲げられています。

 「番外編」でつくば万博の「スーパーシャトルバス」も取り上げられています。
 日本初の連接バスで、万博中央駅~万博会場を結んでいました。
 運行はいくつかの事業者に委託されていたようで、後部車体の裾に小さく書かれている運行会社を見ると、680号車は茨城交通、697号車は千葉交通と書いてあるようでした。

 連接バスからは離れますが、一般車両による万博輸送も注目。
 関東鉄道が2台、茨城観光自動車(2001年5月に廃業)が1台掲げられていますが、その写真の端には茨城オートや茨城交通、そして東武鉄道のカラー車(クリームと紺色のツートンカラー)の姿も見えます。
(当時は東武も茨城県内にかなり路線があった。)
 会場近辺だと国鉄や大利根、日立電鉄あたりは関わっていなかったのでしょうか。
 もし記録があるのなら、ぜひ特集でやって欲しいと思いました。

◆日野スケルトン・バスものがたり  日野自工開発担当主査として、スケルトンバスの開発に関わった根本直樹氏が語るエピソード。
 軽妙な語り口で読ませてくれます。
 面白いと思ったのは、高速道路上でのテスト走行では、いかに秘密を保持するのか(SAで休憩のため停車するので、どうしても人目に触れてしまう。)、というのと、後の三菱バスフォーラムの「三菱エアロバス勝利宣言」の下り。
 そうか、だから初期のエアロバスのヘッドライトの上には「INDEPENDENT SUS」の文字があるのか。
 それにしても、K-RS360Pのボディの、なんとシンプルで美しい事。
 これを読んで少し思ったのですが、今のバスの開発で、少し足りないものがあるとすれば、キザったらしく言えば

「情熱」

なのかな、という事。
 今のノンステップバスも今一つ完成度が低い事がたびたび指摘されていますが、これも設計する者が、どこか「逃げて」しまっているからかも知れない。
 数々の困難を乗り越える「情熱」こそが、今のバス業界に求められるものではないでしょうか。

◆平成ボンネットバス物語 -陽春- 東海バスの「伊豆の踊子号」。
 昔は2台あって、専用ダイヤで運行されていたようですが、現在は休日に一般路線車のダイヤに入って運行されています。
 残念ながらJTB時刻表上では判別できません。
 見開きページで後ろに国鉄色をまとったボンネットバスがいますが、茨城の個人による動態保存車という事です。

◆日立電鉄 早春賦 日立電鉄のバス部門は変遷が多く、現在は日立電鉄交通サービスで運行されていますが、ここでは鉄道が残り、バスが直営だった1985年2月の写真がモノクロですが多く掲げられています。
 モノコックの4枚折戸は、確かに採用例はあまり思い浮かばないですね。
 都心でさえなかったのですから。
 やはり日立関連の工場を多数抱えていた事があるのでしょうか。
 電車もラッシュ時には編成がかなり長くなっていたようですし。
(一方で日中はワンマンの単行だった。)
 しかし、当時は方向幕が小さいのに、ずいぶんたくさんの経由地や路線名を詰め込んで書いていること。
 今は日立駅前でも、大型車は全然見かけなくなりました。

◆あの頃キミもバスも若かった- 前回までとは一転、今度は1970年代後半の関西のバスです。
 大阪市営は、ユニークなボディが多いですね。
 キャプションで、バスだけでなく、マイカーの解説が多いのが目につきました。

◆太陽たちの咆哮 川崎市内を走っていた、東芝の従業員送迎バスのカタログ。
 堀川町工場と小向工場の間で走っていたようですが、見たことはあったかなあ…。
 しかし全部で22枚も掲載されていて、これは圧巻です。
 全車両が一度に使われていたのではないでしょうが。
 社歴もオリジナル車両もあれば、近郊の営業車両の中古もあり、1ドアもあれば3ドアもあり、車種も4社を平等に導入していて、営業事業者顔負けのバラエティがあります。
 でも、工場間の連絡だけで、これだけのバスを使用する程の需要があったのでしょうか。
 さすが東芝という事でしょうか。
 なお、堀川町工場の跡地は、今は「ラゾーナ川崎」や西口北バスターミナルになり、バスターミナルからは東急の小向工場行直行路線が発着します。

 次回刊も大いに期待。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)