№164 キハ52引退メモリアル 80's国鉄型DCグラフィティー 2

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 今日、ついにキハ52が大糸線から引退します。
 果たして現地はどういう状況になっていたのでしょうか。
 事故やトラブルがなければ良かったのですが。

 1987年4月、国鉄は分割・民営化され、6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社に分かれる事になりました。
 民営化直後は新体制発足まもない事で慌しく、しかも翌年には青函トンネル・瀬戸大橋開業という一大イベントが控えていた事もあってか、すぐにはオリジナルの新型車両は現れませんでした。
 特にDCは引き続き特定地方交通線の廃止が進められた事(=DC減車)、加えて北海道・四国・九州の3社には国鉄時代末期に専用形式が割り当てられた事もあってか、昭和最後の2年はどこも新形式の導入がありませんでした。
 今回はその1987(民営化後)~1988年に撮影した国鉄型DCの画像をご覧頂きます。
 JR各社とも、まずは色で国鉄時代との違いを出そうとしました。

1.1987年5月
 JRになってから初めての遠出になりました。

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JR東海 キハ30
 たぶん紀勢本線の松阪駅での撮影。
 キハ30としては結構な長距離列車です。

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JR東海 キハ82
 大変見苦しい写真で申し訳ございません。
 キハ82の写真はこれしかなかったんです。
 民営化された時点では、キハ82系の特急はもはや、JR東海の〈南紀〉と〈ひだ〉の2系統しかありませんでした。

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JR西日本 キハ58系
 小浜線の列車で、たぶん若狭本郷駅での撮影だったと思われます。

2.1987年8月
 まず、東海地方での旅。

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JR東海 キハ47とキハ58
 今現在、水害のため列車の運行が途絶えている名松線の終点、伊勢奥津駅で8月4日に撮影したものです。
 この時は前の晩に来て、駅前で寝袋の中に入って一晩を明かすという、今ではもうやらないだろうなあと思う事をやっていました。
 恐らく、2度とここに列車が来る事はないように思えます。

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JR東日本 キハ30
 今度は日帰りで房総半島に行ってきました。
 8月24日の撮影で、久留里線の久留里駅だったような気がします。
 今も奇跡的にキハ30が残り、国鉄色(クリーム+朱色)の復刻で注目されている路線です。
 タブレット閉塞で、タブレットを所持する駅係員が到着を迎えます。

3.1987年9月
 今度はJRバスや足尾町営バスをも交えての、北関東のローカル線めぐりの時です。
 暗くなってしまってからの撮影だったので今回は公開しませんが、烏山線のキハ40がオリジナル塗装に変わっていました。

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JR東日本 キハ30とキハ20
 2年後の1989年にわたらせ渓谷鉄道となる足尾線。
 9月1日の撮影ですが、どこだったっけ?

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JR東日本 キハ52
 間髪入れず、今度は信州へ。
 当時は115系の上諏訪行夜行が走っていて、これで上諏訪まで行った後、折り返して小淵沢まで戻った時、側線に留置されていました。
 小海線用のキハ52で、スペシャルカラーが施されています。
 左は165系で「すわエコー」のマークをつけています。
 9月7日の撮影だったと思います。

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JR東日本 キハ58系
 小海線の列車に乗ったら、どこかの駅(小海かな?)で出会いました。
 UCCコーヒーの全面広告編成です。
 当時はラッピングという技法はなかったはずだから、全塗装だったに違いありません。
 ちなみに当時はこの他、115系でコカコーラの全面広告編成がありました。

3.1987年11月
 この当時はJR東日本が民営化記念として「EEきっぷ」を発売していました。
 それを利用して東北に行った時の写真です。

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JR東日本 キロ58系
 「エレガンスアッキー」。
 2-1シートの洋風貸切車。
 国鉄時代の改造です。
 たぶん11月20日に、陸羽東線・鳴子(鳴子温泉)での撮影です。

4.1988年2月
 年が変わり、自身2度目の北海道旅行。
 青函トンネル開通・青函連絡船廃止直前の事でした。

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JR北海道 キハ56
 室蘭本線追分駅。

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JR北海道 キハ183
 追分駅を通過する特急〈おおぞら〉。
 先頭のキハ183-100は、中間電源車キハ184の改造車です。
 カラーは500番台に合わせたものに変わっています。

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JR北海道 キハ40
 これは、現在は旅客列車の停車が廃止になった、石勝線楓駅での撮影です。
 普通列車は、本線の脇にある行き止まり式の3番線で折り返していました。
 当時は4往復設定がありました。
 車掌は、追分駅の駅員が兼務していました。
 上の3枚はいずれも2月11日の撮影。

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JR北海道 キハ54 500番台
 キハ54は国鉄時代末期に北海道と四国に向けて配置されましたが、両者では相当仕様が異なっています。
 写真は宗谷本線の急行〈礼文〉で、転換クロスシートの専用車両を使用していました。

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JR北海道 キハ53 500番台
 本来キハ53は近郊型の形式ですが、500番台はキハ56の両運転台改造車。
 宗谷本線の2枚は2月13日の撮影だったと思います。

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JR北海道 キハ54 500番台
 こちらは一般仕様のキハ54 500番台。
 釧網本線のどこかの駅。

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JR北海道 キハ183
 特急〈おおとり〉。
 函館~網走の運行で、唯一札幌をスルーするDC特急でした。
 苫小牧での撮影だったと思います。

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JR東日本 キハ40
 北海道からの帰り道、青森に泊まって、翌日は八戸線に寄り道。
 盛岡色になったキハ40+58+40。
 2月20日の撮影です。


5.1988年4月~5月
 山陽・山陰地方を巡る旅から。
 特に西日本でオリジナルカラーが目立ってきました。

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JR西日本 キハ181
 京都駅に停車中の特急〈あさしお3号〉。
 この列車は、綾部~豊岡は舞鶴線・宮津線経由で走りました。
(宮津線は2年後の1990年に北近畿タンゴ鉄道に転換。)

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JR西日本 キハ47
 城崎(城崎温泉)での撮影だったと思う。
 3両全てキハ47の新色。

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JR西日本 キハ58系
 鳥取~米子の快速で、時刻表には愛称は記載されていませんが、「わかとりライナー」のヘッドマークがついていました。
 上の3枚は全て4月30日の撮影。

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JR西日本 キハ47+40
 2年後に廃線となる、大社線の列車です。
 出雲市駅で5月1日撮影。

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JR西日本 キハ35他
 加古川線のキハ35+20+47+47。

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JR西日本 キハ37
 キハ37はここと久留里線に投入されましたが、少数派に終わりました。
 加古川線では電化と同時に姿を消しました。

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JR西日本 キハ20他
 キハ20+35。
 野村(西脇市)駅での撮影ではなかったかなあ。
 今では電化されている加古川線も、当時は腕木式信号機まで残っていました。
 加古川線の3枚は、すべて5月5日の撮影だったと思う。

5.1988年6月
 また「EEきっぷ」を利用して、東北へ行った時の写真です。
 東へ西へジグザグ乗り歩きました。

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JR東日本 キハ53
 気仙沼線のどこかの駅です。
 JRの緑のマークがありません。
 6月11日の撮影。

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JR東日本 キハ58系

 田沢湖線羽後長野駅で6月12日の撮影。
 4連の内、後2両は国鉄色のまま。
 田沢湖線は既に電化され、特急〈たざわ〉は485系でしたが、ローカルは皆DC。

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JR東日本 キハ52
 山田線のどこかの駅で、6月13日の撮影。
 国鉄首都圏色に白帯を巻いただけ。
 キハ40にもありました。

5.1988年11月
 北海道ワイド周遊券を利用し、今年2回目の北海道旅行。
 青森までは東北本線の普通列車を乗り継ぎ、〈はまなす〉で初めて青函トンネルをくぐりました。

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JR北海道 キハ56系
 札幌~函館の夜行快速〈ミッドナイト〉専用車。
 これは11月1日に札幌駅近くで撮影。
 ところで、札幌駅はこの2日後の11月3日に高架駅に移転。
 合わせて北海道ではダイヤ改正が行われました。
 急行〈宗谷〉〈天北〉のDC再置き換え等が行われています。

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JR北海道 キハ24
 今はなき天北線。
 音威子府で11月1日撮影。

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JR東日本 キハ22
 北海道からの帰りはまた東北で寄り道。
 五能線に乗ってきました。
 これは鯵ヶ沢駅で11月7日の撮影。
 キハ22というと北海道のイメージが濃いですが、№145でも書いたように東北地方にもかなりの両数が配置され、第3セクター鉄道などに譲渡されるケースもありました。

 最終回の明日は、平成の世になった1989年の写真を公開したいと思います。
 初めて足を踏み入れた、四国の国鉄型DCもご覧頂く事にしています。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

№163 キハ52引退メモリアル 80's国鉄型DCグラフィティー 1

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 大糸線で国鉄色3色を復刻して運行されてきたキハ52が、明日を持って定期運用から引退します。
 明日は平日ながらものすごい人になるのかも知れませんが、どうか何一つ事故もトラブルもなく、無事運行が終えられるよう願っています。

 キハ52の引退により、1970年台までに製作された国鉄一般型DCは、JR線内では定期運用がほぼ消滅する事になります。
(後は久留里線のキハ30のみでしょうか?)
 そこで、今日から3回はこのメモリアルとして、20年以上前、1980年代後半の国鉄型DCの写真を、多少の昔話を交えながらご覧頂こうと思います。
 この頃の国鉄・JRでは、「いい旅チャレンジ20,000㎞」という、10年にも渡る大キャンペーンが行われていました。
 詳細は省きますが、要は当時の国鉄・JR線を乗りつぶして行って、その路線数に応じて、賞状や景品がプレゼントされるというものです。
 当時私もこのキャンペーンに参加していて、休みのたびに「青春18きっぷ」とか、当時存在した各種周遊券、及びジグザグにルートを組んだ片道切符を駆使して日本のあちこちに出かけていました。
 そこで数多くの写真を撮影してきましたが、その中から国鉄型DCの写真を選んで公開いたします。
 車両だけではなく、走っていた路線も、廃止になったり、第3セクターに転換されたり、逆に電化されたりして姿を変えた路線が多数あります。
 その辺も交えて楽しんで頂ければと思います。
 第1回は1985年~1987年前半、国鉄時代末期です。

※ 画像は全てモノクロの絹目写真をスキャンして加工したものです。
 なので、いつも以上に見苦しい画像が多いと思います。
※ 当時は詳細なメモを残す事はほとんどしなかったため、撮影日・撮影場所の記憶が相当あいまいになっています。
 共に予めご了承下さい。
※ ここでは一応、国鉄時代の設計のDCを全て対象とします。
 なので、特急型や、国鉄時代末期に北海道・四国・九州向けに製作された形式も取り上げます。


1.1985年3月
 初めて北海道に行った時。
 意外にも当時は、写真を多数撮影する、という事はしませんでした。
 後に廃止になった路線も多く、もう少し沢山撮っていれば、という後悔はあります。

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キハ183
 たぶん網走駅での撮影。

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キハ40 100番台
 宗谷本線だったと思います。
 100番台は北海道向けの仕様で、窓が二重の一段上昇窓になっています。

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キハ22
 北海道ではポピュラーだったキハ20系の北海道仕様。
 撮影は確か、廃線になった名寄本線の支線の終点・湧別駅ではなかったかと思います。

 スミマセン。
 当時の北海道で見てもらえるような国鉄型DCの写真はこれだけです…。
 第2回以降、JRになってからの写真を多く出す事にします。

2.1986年5月
 この時は、国鉄線乗りつぶしの他、関西の大手私鉄線にも多数乗ってきた、という旅でした。
 私鉄については別に機会があれば、という所で。

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キハ28(58)
 たぶん5月1日の撮影。
 片町線の長尾駅です。
 当時の片町線は、長尾~木津が非電化で、急行型を初めとするDCが1~2時間に1本程度運行されているだけ(平日16往復・休日14往復)のローカル線に過ぎませんでした。
 207系が東西線を経由して、神戸や宝塚の方面に直通している現在からは想像しがたいのですが、当時の関西地域の国鉄を象徴する姿と言われていました。
 この区間が電化されたのは、JRになった後の1989年の事です。
 左は103系です。

3.1986年9月
 名古屋まで東名ハイウェイバス、そこから国鉄バスを挟んで越美南北両線に乗り、大糸線から帰るという旅でした。
 国鉄バスについては、またの機会に。

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キハ48+キハ28
 今は第3セクターの長良川鉄道に転換した越美南線の終点、北濃駅。
 9月17日の撮影です。
 キハ48はキハ40系の片運転台仕様ですが、キハ47の存在もあって、少数派に終わっています。

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キハ23
 一方、こちらは越美南線の終点、九頭竜湖駅で出発を待つキハ23。

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キハ58
 今日・明日は大いに盛り上がるに違いない、大糸線南小谷駅で9月18日の撮影。
 当時は北側のDC列車も、白馬・信濃大町まで直通がありました。
 JRになった後も、災害で長期間運休になるまでは続けられたようです。
 右は165系ですが、急行〈アルプス〉ではなく、普通列車です。

4.1987年2月
 なんと、来月で国鉄も終わりという1987年も2月になって、ようやく初めて九州の地に足を踏み入れました。
 既に民営化に向けた動きが、車両の面でも現れていました。

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キハ52他
 豊肥本線のどこかの駅だったはずです。
 既に民営化後をにらんでか、白地+青帯の「JR九州カラー」になった車両が、前の年から現れ始めていました。

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キハ65他
 久大本線の急行〈由布〉。

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キハ40
 大隅線の、たぶん大隅境駅での撮影だったと思います。
 違っていたらゴメンナサイ。
 大隅線は、この後約1ヶ月後の3月14日、民営化を見る事無く廃線になりました。
 右側に見える黄色の張り紙が、廃線の「お知らせ」です。

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キハ58他
 指宿枕崎線の快速〈いぶすき〉。
 見た感じではキハ58+65+58のようです。

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キハ31
 キハ31は、国鉄時代末期に九州向けに製作された軽快タイプのDCです。
 ステンレスボディに一段上昇窓、バス風の折戸など、だいぶそれまでの国鉄型DCとは様相が異なっていました。
 車内も、転換クロスシート(新幹線0系の再生品らしいが。)が並んで、それなりに豪華ともいえます。
 ただ、見た感じではキハ47+58(28?)と連結しています。
 この点は、やはり国鉄型らしいかも知れません。
(JRになってからの新形式 … キハ125やキハ200 … は、国鉄型との連結はできません。)
 筑豊地域のどこかでの撮影です。たぶん。

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キハ66他
 筑豊地域のエース、キハ67系。
 常にキハ66+67のペアで運用し、新幹線接続の快速を中心に運用されていました。
 国鉄の2ドア転換クロス車というと、117系が圧倒的に人気ですが、元祖はこちら。
 鉄道友の会のローレル賞も受賞しています。
 小倉での撮影ではなかったかなあ。

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キハ45
 キハ23系の片運転台仕様。
 キハ23系は近郊型DCと位置づけられましたが、製作数も少なく、地味な存在でした。
 ただ、JRになってからも、比較的最近までしぶとく生き残った車両もあったようです。
 筑豊本線の終点、若松での撮影です。

 九州へ行った翌3月、日本国有鉄道は解体されました。
 4月スタートの各JRでは、しばらくの間、国鉄型DCが活躍を続けます。
 それについては明日。

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№162 私鉄の車両シリーズ21 神戸電鉄3000形

 きのうファミレスのジョナサンに行ったら、入口にSuica・PASMOのマークの他、「TOICA」(JR東海)、「ICOCA」(JR西日本)、「Kitaca」(JR北海道)に加え、「Sugoka」(JR九州)、「はやかけん」(福岡市営)、「nimoca」(西鉄)のマークが掲げられていました。
 ジョナサンは以前からSuica電子マネーを採用していて(関東地方のみ・一部店舗は除く)、相互利用している各ICカードも利用できるのですが、PASMOはともかく、他地域のICカードなんて、店員さんわかるかなあ?
 なお、「TOICA」(電子マネー機能)「Sugoka」「はやかけん」「nimoca」の相互利用開始は13日(土曜日)からであり、ジョナサンでのマークの表示はフライングなので念のため。

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 本題に入って私鉄の車両シリーズ、今日は昨日に続いて神戸の鉄道です。
 神戸電鉄3000形は、利用者の増加に対応し、1973~1981年、1989~1991年の長期にわたって4両編成×9本の36両が製造され、同社の主力通勤車として活躍しています。

 
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 3000形は、在籍車両が100両を突破する事からその記念の意味も込め、従来の神鉄電車の標準スタイルを一新、大幅なモデルチェンジが図られました。
 初の無塗装アルミ車体(クリアラッカー仕上げ)で、当初は窓周りのみオレンジ塗装としていました。
 神鉄の新車としては初の3ドア車となり、他系列との連結を考慮していない事から、正面も大型2枚窓の下に前照灯を配置する非貫通形となり、イメージを一新しています。
 全M編成でMMユニットを採用。
 最大50‰の急勾配に備えて電磁直通ブレーキの他、初採用の抑速低速装置と非常電制を併設。
 3000形では、空気ブレーキが破壊されても、その車両の非常電制が自動的に作動するようになっています。
 台車も神鉄初の空気バネを採用。
 運転台のマスコンは水平軸式で、力行と電制を併用しています。
 神鉄初の冷房車でもあり、3011Fまでは分散式冷房を1車両につき4基を搭載しています。
 内装は木目調になりました。
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 8年振りの新造車となった、1989年の3013Fからは仕様を一部変更しています。

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 補助電源をSIVに変更、車内では座席にモケット張りの袖仕切りを新設。
 冷房装置は省エネタイプを1車両に3基搭載し、車内の天井部にはラインフローが新設されました。
 乗務員室扉の真横には「K」マークが取り付けられています。
 外観は、1987年以降の新塗装に準じたものになり、下部に帯が入ってドア付近は全体を赤に改めました。
(3011F以前の編成も既に変更済みです。)
 側面の行先表示は種別を分離した上、共に大型化され、見やすくなりました。

 当初は三田線の道場南口~三田、粟生線の志染~粟生はホームの有効長が短いため入線できませんでしたが、1991年に三田線、2001年に粟生線も全線で4連の運用が可能になりました。
 現在は公園都市線を除く全線に入線が可能になっています。
 なお、ワンマン運転の開始に備え、2002~2003年にかけて、全編成にワンマン機器が搭載されました。
 戸閉センサーや自動放送装置・通話式非常通報装置が新設されています。
 車椅子スペースも設けられました。
 2005年6月より、全線でワンマン運転を行ない、今日に至っています。

【編成】
←三田・有馬温泉・粟生     湊川(新開地)
 Mc1 3000* - M2 3100 - M1 3100* - Mc2 3000
* パンタグラフ

 今回の記事は
「私鉄の車両19 神戸電気鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1990年5月臨時増刊号 【特集】山陽電気鉄道/神戸電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2001年12月臨時増刊号 【特集】山陽電気鉄道/神戸電鉄」(鉄道図書刊行会) 等
を参考にさせて頂きました。
※神戸電鉄は1988年3月末まで神戸電気鉄道でした。

 なお、神戸電鉄グループの公式Webサイトで、3000形の形式図が公開されています。
 TOPページから「交通」→「神戸電鉄」→「車両のご案内」→「車両の形式図」と選択してください。
 次回の当シリーズは伊予鉄道の市内線(路面電車)、2000形(京都市電)です。
 ただし、明日から3回は、大糸線キハ52型引退メモリアルとして、国鉄・JRのディーゼルカーについて書きます。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)