№167 私鉄の車両シリーズ23 熊本電気鉄道5100形

「私鉄の車両シリーズ」今日は熊本電気鉄道5100形です。
 同形式は、東急(旧)5000系のデハ5000型を、1981年と1985年に導入し、改造したものです。

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 東急5000系は1954年に東急初の高性能車としてデビューしました。
 航空機の技術を応用した張殻構造の軽量車体と直角カルダン駆動、電気ブレーキを装備し、在来の18m車と比較して30%以上の軽量化を達成しました。
 同年の直前にデビューした営団地下鉄300形と共に、後の電車に大きな影響を与えています。
 車体は緑一色となり、正面の形態と合わせて「アオガエル」のニックネームが与えられました。
 東急車輛によって105両が量産され、当初は東横線や大井町線・田園都市線、晩年には旧目蒲線で運用されました。
 東急からは1985年までに全車両引退しています。

 熊本電鉄への5000系譲渡は、1981年の5043+5044が最初でした。
 当時は東急カラーのままで、1985年のワンマン化の際に、オレンジと黄色の帯が追加されています。
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 モハ5100型4両(5101~5104)は1985年に導入、連結面側にも運転台を設けて両運転台車とし、単行でも運行できるようにしています。

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 当初よりワンマン仕様で、2連運転の際には、運転台を増設した連結面側同士を連結させていました。
 1988年にはモハ5043が両運転台化され、5105となりました。
(5044は後に廃車。)
 1989年以降は濃淡ブルー系のカラーに改められました。
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 東急5000型は熊本電鉄以外にも日本各地の中小私鉄に譲渡され、車両の近代化に貢献しましたが、車体構造から冷房化が不可能などの理由で、2000年までには、熊本電鉄以外では姿を消しました。
 熊本電鉄でも現在はモハ5101・5102の2両を残すのみです。
 この2両には2004年にATSが装備されて番号末尾に「A」がついた他、東急5000系としては最後の現役車両である事から、東急時代の緑1色のカラーが復刻しました。
 現在でも上熊本~北熊本間の区間運転で運用されています。


東急5000系について
 東急(旧)5000系は、1977年以降地方の私鉄への譲渡が行われ、合計65両が第2の活躍の場を得ました。

1.長野電鉄 1977~1998年

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 長野付近の地下線化のため、保安基準を満たす必要があったため、旧型車両を一掃するべく大量29両が譲渡されました。
 2連が2500系・3連が2600系と称し、2500系は急勾配に備えてモーターの出力を増強しています。
 正面は尾灯が窓上部に移され、窓下のタイフォンがアクセントとなっていました。
 営団日比谷線3000系に置き換えられました。

2.岳南鉄道 1981~1996年

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 旧型車の置き換えのために8両4を導入。
 デハ+クハの2連×4本でしたが、クハについてはサハにデハの運転台を取り付ける工事を行なっています。
 元京王3000系の7000形・8000形に置き換えられました。

3.上田交通(上田電鉄) 1983~1993年

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 1981年の時点ではまずサハ2両が旧型車両の増結用として譲渡、連結面に切妻のまま設けられた運転台のスタイルはユニークでした。
 しかし3年後、昇圧により編成単位で5000系が編成単位で8両導入され、先行のサハ2両と共に全車両を一斉に置き換えました。
 この車両から、新色になっています。
 他に、5000系ベースでステンレス車体とした5200系2両も譲渡されています。
 同じ東急の7200系に置き換えられて姿を消しましたが、トップナンバーの5001及び5201は、東急車輛横浜製作所で保管されています。

3.松本電気鉄道 1986~2000年

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 昇圧に伴って旧型車両を一掃するために譲渡されました。
 これが5000系最後の譲渡例になりました。
 一部の車両は連結側にも運転台を設け、単行で運転できるようにしていましたが、そのような運用例はなかったようです。
 1999年に始まった、元京王3000系によって置き換えられました。
 蛇足ですが、写真の撮影場所は終点の新島々駅。
 奥の引込み線(かつての島々までの本線)に、5000系によって置き換えられた旧型車両の姿が見えます。

 この他、画像がなくて申し訳ありませんが、福島交通には2両編成×2本、計4両が1980年~1982年にかけて譲渡されました。
 2連1本は共に元中間車で、別の廃車の運転台を接合しています。
 600Vに高圧して譲渡されましたが、ここでは他と異なり、1500Vへの昇圧のため、同じ元東急の7000系に置き換えられ、1991年に他の旧型車両と共に引退しました。
 また、№158で書いたように、台車や一部の床下機器は、大牟田線→宮地岳線に転用される西鉄600形にも再用されていました。

 今回の記事は
「ローカル私鉄車輌20年 路面電車・東日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「ローカル私鉄車輌20年 路面電車・西日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル2004年7月臨時創刊号 【特集】東京急行電鉄」(鉄道図書刊行会)
「日本の鉄道車両史」(久保田博・グランプリ出版)
Webサイト「熊本とーまる:きくち電車クラブ」 等
を参考にさせて頂きました。

 次回のこのシリーズは、水害で廃線になってしまった第3セクター鉄道、高千穂鉄道のロマンスカー・TR300形です。
 また、高千穂鉄道の駅の写真もご覧頂く事にしています。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)



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№166 私鉄の車両シリーズ22 伊予鉄道2000形

 今日の関東地方は、日曜日としては久し振りに晴れ。
 それで、何回か名前を出している、JALの「ドラえもんジェット」を撮るつもりで、羽田空港に行ってきたのですが、「ドラえもんジェット」自体は格納庫の前に駐機していたのが見えたものの、全く動く気配なし。
 残念ながら今日はあきらめて、昼以降は別の場所でバスの撮影をしてきました。
 JALに関しては、やはり経営再建問題の影響か、特に国内線では大型機の運用が非常に少なくなっているようです。
 その事も含め、今日の事は後日取り上げます。

 本題に入って、「私鉄の車両シリーズ」、今日は伊予鉄道の路面電車です。
 市内線の2000形は、京都市電2000形を1979年に購入したものです。

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 京都市2000形は1964年~1965年にかけて6両がナニワ工機で製作された、京都市電最後の新造車です。
 間接制御方式で、単行のワンマン運転の他、ラッシュ時の連結運転や、急行運転で活躍しました。
 デビュー当初は他形式と異なるコバルトブルーとアイボリーのツートンカラーで、ワンマン運転用の設備は、後の京都市電のワンマン化の手本となっています。
 カラーはすぐにグリーンとクリームのツートンに改められたようです。
 しかし、デビュー直後の1970年より市電の廃止が始まり、整備に手間がかかるという事もあって、京都市では充分に性能を発揮できなかったようです。
 全線廃止より前の1977年、河原町~七条線廃線と同時に全車廃車となりました。

 伊予鉄道には、廃止の翌年の1979~1980年にかけて譲渡されました。
 2001号は京都市で保存される事とされたため、残りの5両(2002~2006号車)が番号もそのままで運行されています。
 伊予鉄導入時には正面の行先表示装置を改造し、その上に前照灯を設置、前照灯があった部分に尾灯を移設しています。
 側面には方向幕が新設されました。
 また、京都市(1,435㎜)とは軌間が異なるため、台車の台枠はそのままで、車軸を交換しています。
 カラーは京都市色のままとした広島電鉄の1900形と異なり、伊予鉄標準のオレンジ+クリームのツートンカラーに塗り替えられました。

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 車内は特に手を加えられてはいないようです。
 2000形の車両の導入にあわせ、在来の車両も間接制御化、モーターの出力増強などが行われ、足並みが揃えられました。
 1982年以降に冷房改造が行われています。

 デビューから46年経ちますが、今だに全車両健在で、市内線で活躍が続いています。
 2004年、伊予鉄道ではICカード「いーかーど」の実証実験を行い、その結果を踏まえて2005年8月より、郊外線電車・バスも踏まえて本格的な運用が始まりました。
 もちろん2000形にも運賃箱にICカードリーダーが設けられています。

 今回の記事は
「日本の路面電車Ⅰ 現役路線編」(原口隆行・JTBキャンブックス)
「ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編」(寺田裕一・JTBキャンブックス) 等
を参考にさせて頂きました。
 また、京都市営当時については、京都市交通局の公式ホームページ “市電保存館 on www”を参考にさせて頂きました。


 話が脱線しますが、この京都市の“市電保存館 on www”について。
 参考資料として利用させて頂いておいてなんですが、交通局のHP内で、このコンテンツを探すのがヤヤコシイので、改善をお願いしたい所なのですが。
 交通局のTOPページに名前がないんですよね。
 とりあえず、TOPページ上の「Google」の枠内に「市電」と打ち込んで「検索」をクリックすると、サイト内にある、関連するページの一覧が表示されます。 
 内容自体はデータも詳細で良いと思います。

 次回のこのシリーズは、東急5000系の熊本電鉄5100形です。
 関連して、全国各地に散った東急5000系の写真もご覧頂く事にしています。
(申し訳ありませんが、福島交通だけありません。ゴメンナサイ。)

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)



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№165 キハ52引退メモリアル 80's国鉄型DCグラフィティー 3

 寝台特急<北陸>、急行<能登>がついにラストランを迎えました。
 昨日の上野駅の模様が今朝のニュースでも放映されていました。
 かなりの人だかりだったようですが、トラブルなどがなかったようなのは幸いです。
 それにしても、もはや皆「デジカメ」とか「写メ」という時代なんですねぇ。
 今日はJRグループダイヤ改正日。
 身近な所では、横須賀線に武蔵小杉駅が開業しました。
 詳しくは後日見に行ってみたいと思います。

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 さて、今日は昭和から平成の世になった1989年の写真をご覧頂きます。
 JR各社でもそろそろ新型車が矢継ぎ早にデビューするようになります。
 DCの世界ではJR東海が一番早く、この年には特急〈ひだ〉用のキハ85に続き、JRグループ初の一般型新形式DC・キハ11がデビューしています。
(その前年にはJR九州が〈オランダ村特急〉の運行を開始しているが、183系。)
 ただ、他のJRでは、新形式のデビューは特急型・一般型共、ほとんどが1990年代になってからでした。
 したがって、まだまだ国鉄型DCの活躍は続く事になりますが、会社によってはエンジン換装、冷房化などが進められる事になります。
 それと、そろそろJRでも、前年の大湊線(東日本)等に始まった、ローカル線のワンマン化が本格的に進められるようになってきました。

1.1989年1月
 昭和から平成の世になったばかりで、日本全国に重苦しいムードが漂う真っ只中というのに、なんと初めて四国への旅に向かいました。
 瀬戸大橋開通後でしたが、行きの宇野→高松はあえて民間のフェリーを利用したものです。
(今年になって一旦廃止を表明したものの、当面は運行を継続する事になったようです。)
 国鉄時代は「急行王国」と呼ばれた四国では、この当時もまだ急行が数多く運行されていました。

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JR四国 キハ47
 土讃線のキハ47+キハ20。
 どこの駅で撮影したかは失念しました。
 申し訳ありません。
 先頭のキハ47は冷房改造されています。
 ちなみに、四国ながら寒地向けの1500番台です。
 なおJR四国では、前年に「本線」の呼称を廃止しているのですが、JTBの時刻表では「本線」のままでした。

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JR四国 キハ54
 キハ54は、国鉄時代の末期に北海道と四国に配置された新型車両ですが、北海道と異なり、バス風の折戸・2段窓・ロングシートと、かなり仕様が異なっていました。
 見た目にもかなり軽快に見えます。
 また、2両目も国鉄時代末期のデビューのキハ32です。
 どちらも、後にはJR四国統一カラーに変わる事になります。

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JR四国 キハ181
 四国内の特急〈しまんと〉。
 先頭のキハ181は、先頭車改造の100番台。

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JR四国 キハ58系
 繁藤駅を通過する急行〈あしずり〉。
 キハ58+65…と続いているようです。
 ヘッドマークは健在ですが、四国色にはあまり合わない気もします。

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JR四国 キハ32
 キハ32も、国鉄時代末期に製作され、四国に投入された形式です。
 見ての通り、かなりの小型で、第3セクター鉄道のDCのようです。
 しかし、キハ20と併結しているのは、「国鉄型」らしいかな。
 デビュー当初は配置の地域によって色が異なり、撮影場所の徳島は写真の通り紺色。
 高知は赤で、松山はオレンジでした。

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JR四国 キハ185
 キハ185系も国鉄時代末期に投入された特急型。
 中間車のキロハ186もありましたが、運転台付・ドアが片側2ヶ所のキハ185が中心とは、コンセプトは急行型のそれに近いものでした。
 デビュー当初はグリーンでしたが、さすがに特急用という事か、民営化後すぐに四国色に変わったようです。
 高徳線の〈うずしお〉は、キハ185の2連でした。
 車内は北海道向けのキハ183 500番台に似ています。

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JR四国 キハ58
 高松駅での撮影。
 こういう色のキハ58もありました。
 どういう意図があったのでしょうか。
 四国には、他にも塗り訳が異なるキハ58系が多数見られました。

2.1989年2月
 北陸地方に行ってきました。

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JR西日本 キハ58系
 電化前の七尾線のキハ58系で、宇野気駅での撮影。
 6連の内、後部2両が国鉄色のまま。

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JR西日本 キロ65系
 大阪~和倉温泉の特急〈ゆぅトピア和倉〉。
 大阪~金沢は485系〈雷鳥〉の後部に連結されていました。
 七尾線電化時まで運行。
 七尾線の2枚はどちらも2月23日の撮影。
 昭和天皇の「大葬の礼」の前日でした。

3.1989年5月
 この頃のGWは、毎年遠出をするのが常でした。
 この年は、山陰ワイド周遊券を利用して、中国地方をグルッと一周。
 DC以外ではクモハ42や、一畑電鉄の旧型電車にも乗ってきましたが、これについては別の機会に。

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JR西日本 キハ45
 因美線のどこかの駅で、5月5日の撮影。
 国鉄首都圏色のままで、JRマークすらないのですが、キハ45だけの2連って、意外に珍しかったのでは?

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JR西日本 キハ58系
 美作河井駅を通過する急行〈砂丘〉。
 タブレット閉塞で、助手がタブレットをホーム上のタブレット受器に放り投げていました。
 もはや日本では見る事ができない光景です。
 この日はさすが子供の日という事もあって、沿線はどこも立派な鯉のぼりが泳いでいました。

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JR西日本 キハ53
 「やまたのオロチ」の木次線カラー。

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JR西日本 キハ40
 これは当時の境港線カラー、だったのかな?
 ただし、米子~出雲市の列車です。

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JR西日本 キハ58系
 キハ28+58の急行〈ちどり〉。
 たぶん備後落合駅での撮影だと思います。

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 ちょっと脱線しますが、米子支社発行の、〈ちどり〉のオレンジカードです。

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JR西日本 キロ58系
「ふれあいSUI-IN」。
 米子駅での撮影だったと思います。

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JR西日本 キハ28系
 キハ28には、こんなカラーもありました。
 これも米子での撮影だったと思います。

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JR西日本 キハ181
 特急〈いそかぜ〉。
 米子~博多の特急で、かつての京都~(山陰本線経由)~博多の特急〈まつかぜ〉の片割れです。

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JR西日本 キハ30
 山陰本線の支線・長門市~仙崎、そして1997年3月に廃止になった、美祢線の支線・南大嶺~大嶺のワンマン運転用のキハ30です。
 南大嶺駅で5月7日の撮影。

4.1989年6月
 再びは山陽・山陰へ。
 ただし行きはなんと、小田急バスの夜行高速〈エトワール〉。
 国鉄・JR〈ドリーム号〉及び東北急行以外の夜行バス(つまり3列シート車)を利用したのはこれが初めてだったのですが、これについては機会があれば別に。

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JR西日本 キハ40
 三江線用の「おさかな列車」。
 ただ、撮影場所は出雲市だったはず。

5.1989年10月
 SL〈やまぐち号〉にも乗って、山陰・山陽をジグザグに乗り歩きながら九州へ。
 九州に足を踏み入れるのは、民営化後は初。
 長崎から、初めて単独で飛行機に乗って帰るという旅でした。

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JR西日本 キハ40
 山陰本線(西部)の専用色だったようです。
 長門市駅で10月9日の撮影だったでしょうか。

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JR九州 キハ58
 香椎駅に停車中のキハ58。
 10月10日の撮影。

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JR九州 キハ58
 長崎本線ですが、どこの駅だったかなあ。
 
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JR九州 キハ58とキハ31
 喜々津~浦上の通称「長与回り」にある本川内駅。
 当時はスイッチバックでした。
 ホームが1面しかないので、普通列車同士の交換でも、片方は通過になります。
 写真ではキハ31が、普通列車ながら通過していきます。
 スイッチバックは2002年に廃止になっているそうです。

5.1989年12月
 暮れも押し詰まった12月、山形まで。
〈スーパーひたち〉とJRバス、それに板谷峠の50系に乗って、帰りは東北急行バスという小旅行。

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JR東日本 キハ58
 新潟~山形間の急行〈べにばな〉。
 新潟色です。
 塗分けが複雑。
 米沢から山形まで乗りました。
 山形で12月28日の撮影でした。

 以上、3回に渡って、1980年代後半、国鉄民営化前後の国鉄型DCのグラフィティーをご覧頂きました。
 写真が見苦しかったり、データがあやふやだったりしたのは申し訳なく思います。
 1990年以降、JR各社は特急型・一般型とも新型を導入、国鉄型を淘汰していきます。
 これらはもはや国鉄型との連結は考えられず、性能・アコモデーションとも完全に一線を画したものになりました。

 3回に渡って1980年代後半の国鉄型DCを特集してみましたが、いかがだったでしょうか?
 一般型については国鉄時代はもちろん、民営化以降もしばらくはオレンジ一色の「首都圏色」ばかりで、記事を作成している最中でも多少食傷気味になったのは事実でした。
 しかし、それが今「鉄」たちの追っかけの的になっているのだから、なんだか勝手なものだなあ…。

 さらに、この記事を作成する過程で、昔のアルバムを多数ひっくり返して見ましたが、DCばかりでなく、電車も、客車(特に50系)も結構写真があって、懐かしさ倍増でした。
 機会があれば取り上げるつもりですが、特に国鉄バスについては、早い機会にやりたいと思います。

 それと、この記事を書くに当たり、1989年の時刻表を取り出したのを機に、2009年10月13日にアップした「№51 JTB時刻表大研究 1989年」について、大幅な加筆を行いました。
 良ければ今一度見てやってください。
 それ以降の年についても、順次改定を行います。

 今回の連載を書くに当たっては、
「国鉄車両形式集・2 気動車」(写真・広田尚敬 山と渓谷社)
を参考にさせて頂きました。

 明日は「私鉄の車両シリーズ」に戻る予定です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)