№146 京王線沿線撮り歩き 6000系は来なかった

 今日・明日の京王線6000系「高尾」の運転は、またも取り止めになりました。
 引退の時期そのものも先送りとの事。
 2月12日に高幡不動で脱輪事故があり、その影響を引きずっているようですね。
(その影響で15日もダイヤが乱れたとか…。)
 いずれ、「さよなら運転」の新しい日程が発表になるのでしょう。

 さて、そんな事が起ころうとは思いもしなかった、2週間前の日曜日・7日。
 雪晴れの朝、京王の電車を撮りに行きます。
 6000系が来てくれればいいなあと思いつつ。
(そうなれば、「高尾」のマークさえ目をつぶれば混雑を回避できるし。)

 渋谷のファミレスで朝食の後、井の頭線と京王線の快速を乗り継いで、桜上水で下車。
 快晴だけれど、今日は少々風が強くて冷たい…。

画像

7724F
 正面の形態が若干変わり、側面のコルゲートが少なくなった後期のグループ。
 行先・種別表示のLED化、内装の更新が進められているようです。
 もちろん、VVVF化・シングルアームパンタ化は完了済み。

画像

7713F
 こちらは初期型。
 VVVF化・シングルアーム化は完了しているようです。
 しかし、行先・種別のLED化は全く行われていませんし、車内の更新も手をつけていないようです。
 6000系引退後は、案外早く置き換えが始まる、という暗示かも知れません…。

画像

8714F
 ついこの間デビューしたばかりだと思ったら、もう20年選手なんですね。
 行先・種別のLED化、車内更新が行われています。

 ところで、この編成で「妙な」ものを見かけました。
 なんと、中間でクハとサハが向かい合って連結されているのです。
(もちろん貫通していない。)
 大手私鉄としては非常に妙ちくりん(昔国鉄の103系であったし、ローカル私鉄ではたまに見るが。)。
 最初は検査の都合で編成をバラしたためなのかと、勝手に思っていました。
 根っからの京王ファン、ではない哀しさ…。

 9000系は申し訳ないですが省略。
 新宿線直通仕様の30番台も、本線の準特急運用に入っているのを見かけました。
 それにしてもしばらく見ない間に京王線の電車の変化の速さには驚かされました。
 パンタは全てシングルアーム。
 行先・種別表示はフルカラーLED。
(8000系・9000系の三色LEDでさえ交換されています。)

 桜上水では2時間程粘りましたが、6000系は姿を見せてくれませんでした。
 最初から運用に入っていないのか?
 半ばあきらめて、西に向かう事にします。
 快速に乗り、調布で準特急に乗り換え。
 7000系(初期タイプ)で、幕でこんな表示。

画像

 北野からは高尾行各駅停車に変化して直通するのですが、これは遠方から来た、高尾山を目指すお客さんにはわかりづらい列車設定ではないかなあ?
(現に山姿の外国人の父親が、北野で運転士に高尾へ行くのか?と聞いていましたよ。)

画像

 その7000系の速度計。
 既に試験的に車内信号を使っているようで、「チン・チン」と音も聞こえてきます。

画像

 多摩川からの富士山。
 乗客の皆さんが歓声を上げる所です。
 最も、この時は強風のため、多摩川鉄橋では45㎞/h制限が出ていました。
 東京競馬開催のため東府中に臨時停車した事もあり、若干遅れ気味になって行ったようです。

画像

 旧塗装復刻の6416Fは高幡不動の車庫にいました。
 どうも今日は動く気配がなし。
 いつになるかわからないですが、「高尾」マーク付の8連「さよなら運転」時には、この編成が先頭に立つことになるのでしょうか。

 さっきの「妙な」編成が気になったので、高尾山口発を捕まえて観察すべく、京王片倉で途中下車してみます。

画像

 連結面はこんな感じ。
 左は8564、右は8764。
 8564の貫通扉の部分は、鉄板で塞がれていました。

 後続で高尾へ向かい、北口へ。
 ちなみに、京王ホームから北口へ行くには、JRとの連絡改札を通り、跨線橋を渡って、JR駅の改札を出る事になります。
(PASMO、Suicaも同じ。)

画像


 高尾駅北口のバスターミナルには、ターンテーブルが残っていました。
 ただでさえ自力での回転には狭いし、特に休日は西東京の陣馬高原下行や京王の小仏行が頻発するので、当分残るでしょう。

 京王バス随一のローカル線、〔高01〕系統の沿線で、どこか絵になる撮影場所はないかと乗り込んでみます。
 平日は1時間毎ですが、休日の午前中は20分間隔。
 しかし、沿線は意外に電線がうざったいし、それに工事中の圏央道のジャンクションが目障りだったりして、適当な場所が見当たらない…。

画像

 それでも、裏高尾で下車して、小仏から下ってきた便を撮影。
 若干後方の中央高速が邪魔とは思いますが。
 それにしてもこの付近だと、さすがに(恐らく2日の)雪が残っています。
 今の所、この写真は、3月1日の本体の更新時に、表紙写真として使う予定です。

 この後、延々と小仏の終点まで歩いてみました。

画像

 右から左と並走していたJR中央本線と分かれたすぐ右手にあります。
 1999年刊行の「バスジャパン・ニューハンドブックス」でここが取り上げられ、

「雑草に覆われた殺風景な回転場」

とあるのですが、現在はすぐ脇にJRの変電所が設けられています。
帰宅のハイカー対策なのか、レインボーⅡノンステップが2台待機していました。

 帰り道、小仏からバスに乗って高尾へ戻ろうと思いましたが、駒木野付近に梅が咲いていたのでちょっと途中下車。
 折り返してくるのを待ってみました。

画像

 手前にバスが下りてくるのを待つマイカーが入ってしまったので、ちょっと様にならなかったですね。
 しかし寒い寒いといいながら、他にも花が咲いている場所もあったし、少しづつではありますが、春は近づきつつあるようです。

 ところで、お気づきの方もおられるかも知れません。
 実は、この路線は京王電鉄バス本体ではなく、京王バス南が運行しているのです。
 高尾からの他の京王電鉄バスグループ路線は全て京王電鉄バスで、京王バス南としては、他とはつながっていない、独立した落下傘路線という事になります。
 しかし、いちいち南大沢から回送して来るとなると、あまり効率が良くない気もしますが…。
(以前は高尾駅南口~本沢ダム入口も担当していたようだが、既に廃止になっている。)

 午後は高尾駅南口でバスを撮影。
 その中から2枚。

画像

 西東京バスの多摩バス塗装車。
 西東京バスは基本的には北口発着ですが、〔元八03〕系統のみ、大回りして南口に入ります。

画像

 京王電鉄バスの新ブルーリボンⅡ。
 京王電鉄バスは館ヶ丘団地行が10分間隔。
(2本に1本が八王子駅始発。)
 また、拓殖大行の直行バスも、休日でも30分間隔で運行されています。
 両系統で新ブルーリボンⅡが運用されていました。
 この他、西八王子駅行〔西62〕系統があり、新レインボーⅡが運用されていますが、今回は敢えて撮影していません。
(同型で別に撮りたい車両があるので。)

 新宿への帰りは、先の8564が組み込まれた8000系を狙って乗りました。
 車内の連結部はこんな感じ。

画像


 帰宅して、京王ファンの皆様のWebサイトを色々眺めてみたら、どうもこのサハ8564というのは、事故で廃車になったクハ8728の代替車輌だったのですね。
(クハ8814を改番して転用し、その後にサハ8564を組み込んだ。)
 知っていたら、全体の写真を撮っておいたのに…(泣)
 しかし、クハでなくサハを製作するという事は、もはや昔の「八王子・高尾」行という列車は、もう走らない、という事ですね。
 今後、8000系は10連の中間運転室の処遇が課題になるかもしれません。

 明日は幕張に行って、京成の新連接バス(ベンツ・シターロG)を撮りに行く事にしましょうか。
 うまく行くでしょうか。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)



高尾界隈—中央線・京王線沿線の新国際観光名所! (コミュニティ・ブックス)
日本地域社会研究所
中央線沿線楽会・富樫康明

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る

№145 私鉄の車両シリーズ12 下北交通キハ85形

 今日は2001年に廃線になった、下北交通大畑線のキハ85について取り上げますが、その前に。
1.京王の「高尾」のマーク付6000系の運転は明日(20日)・明後日(21日)も取り止める事になったそうです。
 引退の時期自体もしばらく先になるという事。
 これで日曜日は、京成の新連接バス(ベンツ・シターロ)かなあ。
2.その京成では、「成田スカイアクセス」が7月17日(土)開業予定と、今日プレスリリースがありました。
 新スカイライナー、非常に楽しみです。
 今年は電車もバスも、「京成」が熱い!

 それでは本題に入ります。
 当シリーズ初のディーゼルカーです。

 下北バスは下北半島一体を中心に路線網を持つバス事業者でしたが、1985年7月1日に旧国鉄の特定地方交通線だった大畑線(下北~大畑・18.5㎞)を引き継ぎいで鉄道事業者となり、下北交通と改称しました。
 この時国鉄よりキハ22形3両を導入し、開業年にちなんでキハ85形として運行を開始しました。
 津軽鉄道より北の、本州最北の私鉄という事になります。

画像

 国鉄キハ22形は、ローカル線の主力だったキハ20系の酷寒地向けとして製作された形式です。
 両側にドアを設け、デッキを仕切りで客室と完全に分離した構造は、他のキハ20系各形式には見られないものです。
 窓も二重とし、車内の保温性を高めて酷寒に備えています。
 北海道・東北にかけて配置され、主に普通列車で運用されましたが、一部は急行でも使用されました。
 80年代に入り、老朽化や特定地方交通線の相次ぐ廃止により急速に数を減らし、一部は中小私鉄や第3セクター鉄道に譲渡されました。

画像

 下北交通には、1962年に製造されて東北地方で使用されていた3両が入線しました。
 ワンマン運転を行なうため、ロングシート延長とデッキの仕切り・トイレの撤去、ワンマン対応各機器の取り付けなどの改造を行っています。
 外観は同社のバスと同じイメージの、白と赤のツートンカラーに塗り替えられました。

 下北交通大畑線は、1985年7月の転換後は1日10往復に増発され、朝方は2連、他はワンマンの単行で運行されてきました。
 しかし、利用者の減少に歯止めが掛からなかった上、キハ85形の老朽化が深刻な状況に陥った事もあり、2001年3月31日を持って廃線になりました。
 16年近くに渡り、終始このキハ85形3両が走り抜きました。

 廃線後、日本エアシステム機長の有志による「大畑線キハ85動態保存会」により、旧大畑駅構内で動態保存が行われてきました。
 この活動は後にNPO法人の傘下で行われるようになり、現在は4月~11月の第3日曜日に運転会が行われています。
 キハ85-2は旧国鉄色のキハ22 150に復元されました。
「大畑線キハ85動態保存会」については、こちらをご覧下さい。

 ここで、下北交通の駅の写真をご覧頂こうと思います。
 転換時に、ほとんどの駅(下北除く)で、キハ85と同色の駅舎に建て替えられました。

画像
下北交通 下北駅ホーム

下北
 JR東日本の管理駅。
 レールは転換時に分断されました。

画像

海老川 下北から1.4㎞

画像

田名部 海老川から1.7㎞
 むつ市の中心に近く、少々離れた場所にむつバスターミナルがあります。
 駅前にはJRバス東北が乗り入れていました。

画像

樺山 田名部から4.8㎞
 この駅は乗降が皆無に近く、12月~3月の冬季4ヶ月間は全列車通過扱いでした。
 今残っていれば、間違いなく「秘境駅」の仲間入りでしょう。

画像

陸奥関根 樺山から2.7㎞

画像

川代 陸奥関根から2.6㎞

画像

正津川 川代から2.3㎞

画像

大畑 正津川から2.5㎞
 本州最北の駅でした。
 大間へ行くバスが発着していて、大間からフェリーで函館へ行く事もできました。

 今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1997年4月臨時増刊号 【特集】東北地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
「ローカル私鉄車輌20年 東日本編」
「私鉄廃線25年」
「私鉄気動車30年」(いずれも寺田裕一・JTBキャンブックス) 等
を参考にさせて頂きました。

 次回から、このシリーズは西日本に向かい、久々に大手を取り上げます。
 最初は名鉄の7500系です。
 ただし、明日は違う事を書きます。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

№144 私鉄の車両シリーズ11 函館市交通局8000形

「私鉄の車両シリーズ」、今回は路面電車で、函館市電8000形です。
 函館市や前々回の東京都は公営なので、本当は「私鉄」ではないのですが、公営交通もまとめて扱う事にします。
 何度か参考文献としている「私鉄の車両」シリーズ(保育社・現在はネコ・パブリッシングによって復刻)も、第16号は「大阪市交通局」ですから…。

画像

 函館市交通局(函館市電)8000形は、800形の車体更新車として、1990年~1997年にかけて8両が製作されました。

 母体となった800形は1962年~1965年にかけて12両が新潟鉄工所で新造されました。
 710形とほぼ同型ですが、制御装置は間接非自動制御となり、側窓は上部が固定、初期の10両は前扉が1枚になるという違いがあります。

 新しいボディはアルナ工機製作で、当時各地の路面電車で導入が試みられていた軽快電車に似たタイプとなりました。
 前扉は折戸となり、側窓は上段下降・下段上昇の2段窓。
 正面は大型1枚窓となり、行先方向幕は大型・自動化されて英文表記を併用するようになっています。
 この車体は後の新造車・2000形及び3000形の基礎となっています。
 500形・710形の更新車と同様の保安ブレーキと共に、落ち葉・積雪対策として新たに砂撒き装置が取り付けられ、保安度の向上が図られています。

画像

 寒冷地である事を考慮し、座席は暖色系を採用して温かみを感じさせるものになりました。
 乗降口ステップは3段となり、乗降性の改善を図っています。
 なお、冷房装置は現在に至るまで設けられていません。
 定員は800形の90名に対して80名に減少しています。

 現在まで710形に次ぐ勢力で、函館市電の主力として活躍しています。
 デビュー当時の1990年時点では、東雲線(松風町~宝来町間)・宮前線(函館駅前~ガス会社前~五稜郭公園前間)の路線もあり、次の4系統が運行されていました。

1系統 駒場車庫~松風町~宝来町~末広町(東雲線経由)
2系統 湯の川~松風町~函館駅前~谷地頭
3系統 駒場車庫前~ガス会社前~函館駅前~函館どっく前(宮前線経由・通称「ガス会社回り」)
5系統 湯の川~松風町~函館駅前~末広町 

 しかし、東雲線は1992年、宮前線も1993年に相次いで廃線となり、現在は2系統(湯の川~函館駅前~谷地頭)・5系統(湯の川~函館駅前~函館どっく前)で運行されています。

〔新旧対応〕
803 → 8001 (1990年3月)
808 → 8002 (1990年12月)
804 → 8003 (1992年3月)
801 → 8004 (1993年1月)
802 → 8005 (1994年3月)
805 → 8006 (1995年3月)
806 → 8007 (1997年3月)
809 → 8008 (1997年3月)

 今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1994年7月臨時増刊号 【特集】路面電車」(鉄道図書刊行会)
「日本の路面電車Ⅰ 現役路線編」(原口隆行・JTBキャンブックス)
「ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編」(寺田裕一・JTBキャンブックス) 等
を参考にさせて頂きました。

 次回のこのシリーズは津軽海峡を渡って、当シリーズ初のディーゼルカー。
 2001年に廃止になった下北交通のキハ85を、同鉄道の駅と共に取り上げる予定です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)