また本題と関係ない所から始まりますけれど、今晩の「どれみふぁワンダーランド」(NHK BS-2)、面白かったですねぇ。
「トレインソング」が特集で、「あずさ2号」とか取り上げられたりして。
日本では童謡として認識されている「線路は続くよどこまでも」(阪神電鉄の駅で列車接近時に流れるメロディ)は、原題は「I've been working on the railroad 」、つまり元々は、鉄道の工夫の労働歌だったんですね。
再放送期待。
JTB時刻表3月号は一昨日発売になったようですが、都合で入手したのは今日になりました。
表紙は常磐線の赤塚~偕楽園間を走る651系「スーパーひたち」。
季節的にはピッタリですが、ダイヤ改正号だけに少々意外なチョイスにも思えました。
N700系〈のぞみ〉あたりかとも思ったのですが。
特に目玉になる新車両は、今改正ではデビューがないからという事もあるでしょう。
偕楽園駅は3月22日までの土休日・日中の全列車が停車。
◆ ダイヤに輝く鉄おとめ 第42回
まず、本文にもあるのですが、この連載の単行本が、今日発売になりました。
明日(28日)、神保町の書泉グランデで矢野直美氏のサイン会が行われるそうです。
今回は、津軽鉄道の「奥津軽トレインアテンダント」。
主に今の時期に運行される「ストーブ列車」の乗務などを行うそうです。
本文にもありますが、公式HPを見ると、全部で7人いるのだそうです。
意外に大人数です。
しかし、「トレインアテンダント」というネーミングは、ローカル線で、それも旧型客車に乗る乗務員としては違和感があるネーミングのような気もします。
◆ 新のりもの風土記シリーズ 112
「ひむかの国のリゾート特急 日南線『海幸山幸』」
昨年運行を開始した、キハ125形400番台改造車を使用した、日南線の観光特急。
旧高千穂鉄道『トロッコ神楽』の改造車で、おなじみ水戸岡鋭治氏のプロデュースによるものです。
グラビアでは列車そのものの他に接続の観光バス「にちなん号」や、水中観光船「マリンビューワーなんごう」も取り上げられ、「のりもの1POINT」のコーナーで、母体となった『トロッコ神楽』の紹介もあります。
ただ、せっかくの新しいトロッコ列車が有効に転用される事自体は喜ばしいのですが、何度も書きますけれど、こういう列車を「特急」という種別で走らせるのはどんなものだろう?
もちろん「特急」の「格」という事もあるかもしれないし、何しろ日南海岸の見所でわざと徐行運転を行なうような列車(ちなみに3月13日からは上りも実施)を、「特急」と呼んでいいのかどうか?
似たようなコンセプトで、同じ水戸岡氏デザインの「富士登山電車」(富士急行)のように、快速で、その上で全車指定席にした方が良いのではないかと思います。
◆ 2010 奈良へ行こう!いよいよ開幕、平安遷都1300年祭
先月に続いて、平安遷都1300年祭にちなんで、奈良付近の観光を取り上げた企画物。
奈良周辺の季節の行事や、世界遺産の薬師寺・唐招提寺が取り上げられています。
月ヶ瀬の梅林が美しそうですね。
なお、3月19日に近鉄がダイヤ改正を行いますが、平安遷都1300年祭の足として、期間中の土・休日に名古屋~西大寺間の特急が運行される(名古屋~八木間は名阪乙特急に併結)他、土休日日中の京都~橿原神宮前間特急が西ノ京に停車します。
(時刻は既に公表されています。)
「駅旅本線」は3ヶ月連続の休載。
やっぱりもう終わり?
◆ 駅弁細見 272
室蘭本線・母恋駅の「母恋めし」。
喫茶店を経営する夫婦の奥様が、料理のコンテストで賞を取ったのを機に生まれたのだそうです。
ホッキ貝の炊き込みご飯と、燻製チーズに玉子の組み合わせ。
母恋駅の駅弁ではありますが、駅自体はJRの職員がいない簡易委託駅のようです。
そのためか、母恋駅では駅待合室で9時~14時の発売。
(木曜日は休みだそうです。)
他に室蘭駅、東室蘭駅、白鳥大橋記念館などでも発売だそう。
◆ 黄色のページ
3月13日ダイヤ改正が中心ですが、「NEWS」の中で、改正以降に行われる、気になる工事が2件。
1.4月24日(土)~25日(日)にかけて、横浜駅の横須賀線・湘南新宿ラインのホームの拡幅工事のため、東海道線も含めて時刻の変更が発生し、25日は湘南新宿ラインで運休や発着駅の変更が行われるとの事。
この工事は、以前の東横線のホームの跡地を利用して、JRの9・10番線ホームを広げるものですが、数年前から工事が進められていたものの、何だかかなり時間がかかっているようでした。
ようやく線路の切換、という所まで来たようです。
詳細は4月号。
2.5月22日(土)~23日(日)にかけて、今度は東海道線辻堂駅のホーム拡幅工事で、大幅な運転形態の変更が行われそうです。
こちらはもっと大掛かりで、東海道線では一部が藤沢折返しになり、平塚の方から来る上り列車は、なんと貨物線を経由するため、辻堂・大船・戸塚・横浜・川崎には停車しなくなります。
藤沢(たぶん「ライナー」用のホーム)を出ると、次の停車駅は武蔵小杉だそう。
横浜市内に止まらないのですね。
こちらの詳細は5月号。
この他、東京モノレールも、国際線ビル駅新設に伴う線路切換で、4月10日(土)の13時から終電までは、流通センター~羽田空港間で全列車が運休になるとの事です。
この後、13日以降の臨時列車の案内の後、私鉄や高速バスなどの時刻(改正前・改正後が混在・または季節運転の系統)を掲載しています。
横浜~河口湖間の高速バスは、13日以降御殿場駅に入るようです。
◆ 本文
改正ダイヤを全部検証するのは難しいですが、目についたところをあげて見ます。
まず、ダイヤ以前の大きな変化として、JR西日本・九州は「L特急」の名を廃止し、単に「特急」と呼称。
(東海直通の〈しらさぎ〉〈しなの〉〈ひだ〉は「L特急」のまま)
既に東日本が「L特急」の名をやめていますが、「L特急」というのは、昔特急がまだ1日に1~2本程度だった頃、フリークエントサービスを行う特急の愛称としてつけられたものでした。
しかし今は急行がほとんどなくなって特急偏重になり、「L特急」でなくても本数が多い特急も現れているので、実態に合わなくなった、という事でしょう。
北海道・東海・四国はまだ残っていますが、これら3社の廃止も、時間の問題でしょう。
また一つ、「国鉄」の面影が消えていきそうです。
武蔵小杉駅ですが、結局〈スーパービュー踊り子〉も、臨時を含めて全列車停車。
通過するのは「ライナー」だけです。
ところで、改正初日の3月13日に〈リゾート踊り子65号〉が新宿~伊豆急下田間で運転され、武蔵小杉駅は11時32分に発車します。
一方、5月15・16日には〈リゾート踊り子91号〉が立川~伊豆急下田間で運転され、こちらは武蔵小杉発11時08分。
武蔵小杉は当然、在来の南武線ホームに発着になる訳ですが、この列車はこの先浜川崎・鶴見を経由して走り、小田原からは〈リゾート踊り子65号〉と同じダイヤで走ります。
つまり、同じ「リゾート21」の特急なのに、武蔵小杉~小田原間で24分も違う訳です。
広島地域では、日中の山陽本線の快速が全て廃止になり、普通列車が1時間に4本のみになります。
この付近は国鉄時代末期、地方重視のダイヤのモデルケースとして、「広島シティ電車」の愛称の元、普通列車の増発を行い、広島~大野浦・岩国間では15分間隔のフリークエントサービスが実現しました。
この時に、2ドア・転換クロスの115系3000番台が投入される訳です。
その後、JRになってからは10分間隔になり、さらに一部を快速に立て替える所まで行ったのですが、快速は〈シティライナー〉の愛称がついたものの、ここへ来てダイヤ改正毎に削減が続きました。
代わりに普通列車を運行するという事もなく、結局今回の改正で、「広島シティ電車」時代に逆戻りしてしまった感があります。
広島ではJRのみならず広電でも昨年運行本数の削減が行われています。
中国地方最大の都市なのに、広島では鉄道の利用者が減少しているのでしょうか?
JR西日本では、この他にも七尾線の快速が廃止される事になり、他にも路線によっては始発列車が遅くなったりしています。
姫新線のスピードアップや、山陰線(嵯峨野線)の複線化もありますが、全体的にちょっと元気がない気もします。
境港線は平日・土休日の2本立てとなり、土休日の列車番号は山陰線と同じ「K」がつく事になります。
大糸線では、3月20日~23日、〈キハ52ありがとう号〉を運転。
全車指定席で、糸魚川~南小谷間ノンストップ。
会社線では、3月15日に東北急行バスと両備バスで東京(東雲車庫)~岡山・倉敷線が運行を始めるそうです。
これで東京と岡山県を結ぶ夜行バスは5路線になりますが、ツアーバス台頭で業界全体が四苦八苦する中、大丈夫なのかな?という気もします。
また、熊谷・川越~京都・大阪線〈ウィングライナー〉は国際十王交通が撤退し、3月31日からは近鉄バス単独運行になるとの事です。
一方、八王子・渋谷~金沢線では新たに昼行便が設定されます。
これは復活という事になります。
ところで、新聞記事などでもご存知でしょうが、宇野~高松間の四国フェリー・国道フェリーは揃って3月26日を持って廃止という事になりました。
(黄色のページに「訂正」という形で通知あり。)
例のETC割引の影響と思われますが、過去には国鉄・JRの連絡船もあった宇高航路は、これで全滅です。
今月も巻頭のトピックスで謳われていませんが、茨城空港(IBR)が3月11日に開港します。
なお、当日はスカイマークが記念フライトとして神戸→茨城2便・茨城→神戸1便・茨城→羽田1便を運航する(時刻は掲載されていません。)他、4月16日より茨城~神戸線を1日1往復就航させる事になっています。
国際線では、ノースウエストのデルタへの完全統合により、ついに「NW」の2文字が消えました。
◆ JR線営業案内
この改正時より、JR東日本の「Suica」と、JR九州「SUGOCA」・西鉄「nimoca」・福岡市営「はやかけん」の相互利用が始まります。
それも含めてICカードの営業案内の記述が増えていますが、JRの各カードで私鉄系のカードとの相互利用もあり、少しわかりづらくなってきている気がします。
もう少し図表も使って整理して書いた方が良い気がしますし、そろそろ非JRのICカード(PASMO、PiTaPaなど)の営業案内も必要になってくるかもしれません。
東海道新幹線は、これまで「EX-IC」以外のICカードは一切使用できなかったのですが、この改正から、三島~岐阜羽島間ではTOICA定期券で利用できるようになるようです。
「周遊きっぷ」のゾーン券は「田沢湖・十和田」「山寺・松島」「福島・蔵王」が3月31日を持って廃止。
全て東北なのは、何か理由があるのでしょうか。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
なお明日は、本体の更新のため、ブログの更新はお休みさせていただきます。
結局今月は関東地方の外へ行く機会がありませんでした。
しかし、春の「青春18きっぷ」がいよいよ発売になりましたし、久々に列車で遠くに行きたいですね。
№151 私鉄の車両シリーズ15 京阪電気鉄道1900系
浅田真央選手、銀メダルおめでとうございます。
確かにいくつかミスもあって悔やしい部分はあるかも知れないけれど、それでも自己ベスト更新だし、何より直前に、金妍児選手に世界歴代最高得点なんて出されてしまっては仕方ないですね。
胸張って日本に帰って来て下さい。
安藤美姫・鈴木明子両選手もお疲れ様でした。
それにしても日本国内の各メディアは皆騒ぎすぎ。
全然関係ない話題から始まってしまいましたが、今日は京阪の元特急車、1900系を取り上げます。
ちなみに1900系には、1956年デビューの1810系からの編入車がありますが、この1956年には、イタリアのコルティナ・ダンペッツェオで冬季オリンピックが行われています。
フィギュア・スケートは、男女とも日本人の出場はなかったようです。
京阪1900系は、1963年の淀屋橋地下線開業時に製作され、後に通勤車に改造されて21世紀を迎えてなお走り続けた元特急車です。
新造車と旧1810系の編入車からなり、最長で45年の間走り続けました。
旧1810系は1956年ダイヤ改正時の特急の増発に対応して、1800系の増備として製作された系列で、2ドア転換クロスシートを踏襲しつつ、車体を延長して18m級となり、京阪初の付随車を組み込んだ3連と、増結用の単行で構成されていました。
空気バネ台車を本格的に採用しています。
19両製作されました。
淀屋橋地下線開通時に最初から1900系として新造されたグループは、張り上げ屋根となり、正面は「スーパーカー」2000系と同様の丸みを持ったスタイルになりました。
ただし、アクセントとしてダミーのバンパーを設けています。
24両を製作し、旧1810系の内17両を改造・編入。
翌年に4両を新造して合計45両の勢力になりました。
この内14両がテレビカーになっています。
1971年に冷房装備の特急車3000系がデビューした後、翌年より1974年にかけて、全車両通勤車への格下げが行われました。
中間に扉を増設して3ドア・ロングシートとなり、カラーも濃淡グリーンのツートンカラーに変わりました。
元両運転台車の4両は、増設した中間の扉が両開きになっています。
1983年の1500V昇圧は、親子方式(MMユニットで片方を600V、片方を1500V仕様とした)を採用した編成替えを行って迎えました。
1985年より冷房化が行われ、同時に5両編成×9本にまとめられました。
先頭車は1両を除いて新造車グループが当てられ、旧1810型の1両を含めて正面のスタイルの変更(バンパー部を切り取り急行・標識灯を設置・車掌側窓の固定化・行先表示装置取り付け等)が行われています。
側面は保護棒を撤去し、すっきりとした外観になりました。
1900系は元々2つのグループから成立っている上に、それぞれ片運転台車・両運転台車・中間車が存在、さらに幾多の大掛かりな改造が繰り返されてきました。
そのため、1両毎の形態がかなりバラエティに富んだものになり、京阪ファンの格好の研究材料となってきたようです。
上に掲げた1921Fでは、
1921→新造車(最初から片運)
1995→元1810形の編入車(1890→1912 元片運 Tcから1900系編入時に電装)
1956→新造車(最初から中間車)
1996→元1810形の編入車(1820→1911 元片運)
1922→新造車(最初から片運)
となっています。
冷房化・編成替え以降は、本線の普通列車や宇治線・交野線で運用され、21世紀を迎えてもなお「奇跡的に」、全車両が健在でした。
しかし10000系等の投入により、2001年より廃車が始まり、2008年10月までに全編成が運用を離脱。
年末にさよなら運転を行なって引退を迎えました。
1929Fは赤+黄色の特急色を復刻して花道を飾っています。
【編成】
←出町柳・私市方 淀屋橋方→
*Mc1 1900 - M2 1980* - T 1950 - *M1 1980 - Mc2 1900*
* パンタグラフ(ない車両、位置が異なる車両がある)
今回の記事は
「私鉄の車両15 京阪電気鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻 ↓)
「鉄道ピクトリアル1991年12月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2000年12月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道」(鉄道図書刊行会) 等
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、阪急6000系です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
確かにいくつかミスもあって悔やしい部分はあるかも知れないけれど、それでも自己ベスト更新だし、何より直前に、金妍児選手に世界歴代最高得点なんて出されてしまっては仕方ないですね。
胸張って日本に帰って来て下さい。
安藤美姫・鈴木明子両選手もお疲れ様でした。
それにしても日本国内の各メディアは皆騒ぎすぎ。
全然関係ない話題から始まってしまいましたが、今日は京阪の元特急車、1900系を取り上げます。
ちなみに1900系には、1956年デビューの1810系からの編入車がありますが、この1956年には、イタリアのコルティナ・ダンペッツェオで冬季オリンピックが行われています。
フィギュア・スケートは、男女とも日本人の出場はなかったようです。
京阪1900系は、1963年の淀屋橋地下線開業時に製作され、後に通勤車に改造されて21世紀を迎えてなお走り続けた元特急車です。
新造車と旧1810系の編入車からなり、最長で45年の間走り続けました。
旧1810系は1956年ダイヤ改正時の特急の増発に対応して、1800系の増備として製作された系列で、2ドア転換クロスシートを踏襲しつつ、車体を延長して18m級となり、京阪初の付随車を組み込んだ3連と、増結用の単行で構成されていました。
空気バネ台車を本格的に採用しています。
19両製作されました。
淀屋橋地下線開通時に最初から1900系として新造されたグループは、張り上げ屋根となり、正面は「スーパーカー」2000系と同様の丸みを持ったスタイルになりました。
ただし、アクセントとしてダミーのバンパーを設けています。
24両を製作し、旧1810系の内17両を改造・編入。
翌年に4両を新造して合計45両の勢力になりました。
この内14両がテレビカーになっています。
1971年に冷房装備の特急車3000系がデビューした後、翌年より1974年にかけて、全車両通勤車への格下げが行われました。
中間に扉を増設して3ドア・ロングシートとなり、カラーも濃淡グリーンのツートンカラーに変わりました。
元両運転台車の4両は、増設した中間の扉が両開きになっています。
1983年の1500V昇圧は、親子方式(MMユニットで片方を600V、片方を1500V仕様とした)を採用した編成替えを行って迎えました。
1985年より冷房化が行われ、同時に5両編成×9本にまとめられました。
先頭車は1両を除いて新造車グループが当てられ、旧1810型の1両を含めて正面のスタイルの変更(バンパー部を切り取り急行・標識灯を設置・車掌側窓の固定化・行先表示装置取り付け等)が行われています。
側面は保護棒を撤去し、すっきりとした外観になりました。
1900系は元々2つのグループから成立っている上に、それぞれ片運転台車・両運転台車・中間車が存在、さらに幾多の大掛かりな改造が繰り返されてきました。
そのため、1両毎の形態がかなりバラエティに富んだものになり、京阪ファンの格好の研究材料となってきたようです。
上に掲げた1921Fでは、
1921→新造車(最初から片運)
1995→元1810形の編入車(1890→1912 元片運 Tcから1900系編入時に電装)
1956→新造車(最初から中間車)
1996→元1810形の編入車(1820→1911 元片運)
1922→新造車(最初から片運)
となっています。
冷房化・編成替え以降は、本線の普通列車や宇治線・交野線で運用され、21世紀を迎えてもなお「奇跡的に」、全車両が健在でした。
しかし10000系等の投入により、2001年より廃車が始まり、2008年10月までに全編成が運用を離脱。
年末にさよなら運転を行なって引退を迎えました。
1929Fは赤+黄色の特急色を復刻して花道を飾っています。
【編成】
←出町柳・私市方 淀屋橋方→
*Mc1 1900 - M2 1980* - T 1950 - *M1 1980 - Mc2 1900*
* パンタグラフ(ない車両、位置が異なる車両がある)
今回の記事は
「私鉄の車両15 京阪電気鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻 ↓)
「鉄道ピクトリアル1991年12月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2000年12月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道」(鉄道図書刊行会) 等
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、阪急6000系です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№150 「シーガル幕張」デビュー
当ブログも、昨年8月16日の開始以来、半年強で150回を迎えました。
拙いブログではありますが、これだけ続けられたのも、ひとえに皆様のおかげです。
今後とも、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」共々、よろしくお願いいたします。
幕張地域を走る京成バスでは、19日金曜日、いよいよベンツ・シターロGの新型ノンステップ連接バスの運行が始まりました。
愛称「シーガル幕張」。
2日後の21日日曜日。
午前中は晴れだったし、今週も京王の「高尾」マーク付6000系の運転が取り止めになった事もあり、早速「シーガル幕張」を撮りに行きました。
早朝の横須賀線~総武快速線直通で、まずは津田沼に着き、駅前のファミレスで朝食。
自宅を出るのが早かったから…。
南口では、バスを数枚撮影。
その中から2枚。
習志野新京成バスの貸切車、S-114。
貸切車ですが、特定輸送ではなかったでしょうか。
日曜日ながら企業の従業員送迎バス運用が目立ち、平和交通やちばシティバスも見かけました。
京成バスの4045。
「ボートピア習志野」(競艇の場外舟券売場)送迎用のレインボーⅡ特定車。
休館日を除き…つまり、ほとんど毎日9時30分から20分間隔で津田沼駅~京成津田沼駅~ボートピア習志野間を走ります。
片道約20分との事で、3運用、つまり3台あります。
京成津田沼から幕張本郷を目指します。
しかし、この頃から上空は雲が多くなってきました。不安…。
京成津田沼駅での3000形の並び。
左の4番線がうすい行。
右の(新京成ホーム)5番線がちはら台行。
3000形で行先・種別表示のフルカラーLED化が急速に進んでいるようです。
「成田スカイアクセス」開業に整備が進んでいるようです。
フォントはなんとなく名鉄に似ています。
メーカー(日車)が同じだから?
なお、3700形にもフルカラーLED車があるらしいですが未確認。
車内の「シーガル幕張」運行開始告知ポスター。
今回の「シーガル幕張」デビューに合わせて整備された、幕張本郷駅のバス発車・乗場案内表示装置。
別に海浜幕張方面だけでなく、他の京成バスの表示も出ます。
まずはブルーリボンⅡで海浜幕張駅を目指します。
途中で、ボルボの在来連接車と出会います。
一気に全車両交代という訳ではないようです。
とりあえず、海浜幕張駅前に現れた「シーガル幕張」を1枚。
しかし雲行きはいよいよ怪しいものに。
かろうじて晴れ間は見えるのですが、「シーガル幕張」は1運用だけのようで、果たして次の機会に撮れるかどうか。
海浜幕張駅の幕張本郷駅行乗場では、京成バスの職員が、「シーガル幕張」運行開始の告知と、合わせて新サービス及び乗車方法の変更を記したチラシを2枚配っていました。
これは本社製作の公式のチラシで、表は先にご覧頂いた、電車の車内づりと同じですね。
裏面の下部には、「非常ドアがないので、緊急時にはハンマーで窓ガラスを割って外に出るように」と注意書きがあります。
神奈中(厚木ルート)と同じです。
これは営業所サイドで作られたものでしょう。
新車の幕張本郷駅行のみ乗車方法が変更になり、幕張本郷駅まで乗り通すPASMO・Suica所持の大人1名の時は、右側の列から乗車できるというもの。
乗車時分短縮のため、2列乗車を行うという訳です。
海浜幕張駅前の京成バス案内所では、「シーガル幕張」運行開始記念の乗車券を発売していました。
幕張本郷駅⇔マリンスタジアム間の往復で500円。
以前なら共通バスカードだったでしょうが。
(京成グループでは3月31日を持って発売を終了。)
つかの間の晴れ間を利用して、駅の西側でバスを何枚か撮影して見ました。
千葉海浜交通の313号車。
稲毛海岸から乗り入れるレインボーⅡの新車。
最後の力走を見せるボルボの4819号車。
成田空港行のエアロエース、5376号車。
せっかくなので、「シーガル幕張」も、幕張本郷から折り返した所を撮影してみました。
たまたま雲の隙間から日がわずかながら覗いたので。
でも、もう一度取り直してみたい気がします。
「シーガル幕張」は、最終的には15台揃いますが、窓上の帯の色は一台ずつ異なるものになるそうです。
海浜幕張駅前の「プレナ幕張」1Fにある、千葉ロッテマリーンズのオフィシャル・グッズショップ。
正直別にマリーンズのファンという訳ではなかったけれど、油性ペンを1本買ってみました。
隣のハンバーガーショップはもちろんロッテリア。
マリーンズネタをもう一つ。
京成バスの4586号車(ブルーリボンシティ)は、マリーンズのユニフォームをイメージした、縦縞のラッピングが施されています。
「26」というのは、「ファン」の番号とされています。
(現在マリーンズに背番号26の選手は存在しません。)
間もなく引退する事になる、ボルボの在来連接車のフロントには、こんな横断幕が掲げられていました。
午後になって空はもはや完全な曇り空。
なので撮影はあきらめ、「シーガル幕張」の試乗に充てようと思いました。
しかし、海浜幕張駅からマリンスタジアムまで行き、折り返して本格的に試乗しようと思いましたが、残念ながらスタジアムからは回送で車庫に帰ってしまいました。
それで、少し早いかもしれないけれど、ボルボ車の「お別れ乗車」をする事にします。
その前に。
スタジアムの前に立つ、「マリーンズ6冠達成記念モニュメント」。
2005年にマリーンズが6冠(交流戦、パ・リーグ、日本シリーズ、アジアシリーズ、それに2軍のイースタンリーグとファーム日本選手権V)を記念して建てられているもので、当時のバレンタイン監督を初め、選手の手形が刻印されています。
右から2番目の下が、「ジョニー」黒木。
スタジアム前の広場で待機していたボルボが、時間になって乗場に姿を現わしました。
後方に見えるのは、千葉シーサイドバス。
海浜幕張駅・幕張駅を経由し、八千代台駅の方へ行く便もあります。
しかし付近はスタジアム以外には何もないように思えましたが、他に千葉海浜交通の乗り入れもありますし、京成バスの本数も多く、思いの他移動に便利です。
ちなみに海浜幕張駅までだと、現金では100円です。
車内はこんな感じ。
更新時に座席の地が、マリーンズのマスコット(マーくん、リンちゃん、ズーくん)を描いた柄に変わっています。
後部の車体はサイドシート中心になっています。
最後部に乗車。
ミッドエンジンなので、静かです。
バス停毎に乗客が増えていきますが、立つ客は多くありません。
連接車ですから当然で、一般の単車だと立つ客も多くなるでしょう。
その意味では、日本の道路でも、「嵌れば」連接バスが有効な路線もあるのでしょう。
しかし、運行開始から10年以上、そろそろ目に見えて疲れが見える部分があるのは事実でした。
ボルボ連接バスは、外部への売却も行われるという事で、購入者の公募も行われています。
間もなく京成からは姿を消しますが、最後のその日までめい一杯走りぬく事を期待します。
「シーガル幕張」の本格的な試乗はまた次の機会。
もう少し台数が増えてからの方が良さそうです。
できれば平日朝方の幕張本郷駅行に乗り、2列乗車が実際にどの程度有効か見てみたいと思います。
また、「環7シャトル」に投入された、BLCハイブリッドとの乗り比べもして見たいと考えています。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
拙いブログではありますが、これだけ続けられたのも、ひとえに皆様のおかげです。
今後とも、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」共々、よろしくお願いいたします。
幕張地域を走る京成バスでは、19日金曜日、いよいよベンツ・シターロGの新型ノンステップ連接バスの運行が始まりました。
愛称「シーガル幕張」。
2日後の21日日曜日。
午前中は晴れだったし、今週も京王の「高尾」マーク付6000系の運転が取り止めになった事もあり、早速「シーガル幕張」を撮りに行きました。
早朝の横須賀線~総武快速線直通で、まずは津田沼に着き、駅前のファミレスで朝食。
自宅を出るのが早かったから…。
南口では、バスを数枚撮影。
その中から2枚。
習志野新京成バスの貸切車、S-114。
貸切車ですが、特定輸送ではなかったでしょうか。
日曜日ながら企業の従業員送迎バス運用が目立ち、平和交通やちばシティバスも見かけました。
京成バスの4045。
「ボートピア習志野」(競艇の場外舟券売場)送迎用のレインボーⅡ特定車。
休館日を除き…つまり、ほとんど毎日9時30分から20分間隔で津田沼駅~京成津田沼駅~ボートピア習志野間を走ります。
片道約20分との事で、3運用、つまり3台あります。
京成津田沼から幕張本郷を目指します。
しかし、この頃から上空は雲が多くなってきました。不安…。
京成津田沼駅での3000形の並び。
左の4番線がうすい行。
右の(新京成ホーム)5番線がちはら台行。
3000形で行先・種別表示のフルカラーLED化が急速に進んでいるようです。
「成田スカイアクセス」開業に整備が進んでいるようです。
フォントはなんとなく名鉄に似ています。
メーカー(日車)が同じだから?
なお、3700形にもフルカラーLED車があるらしいですが未確認。
車内の「シーガル幕張」運行開始告知ポスター。
今回の「シーガル幕張」デビューに合わせて整備された、幕張本郷駅のバス発車・乗場案内表示装置。
別に海浜幕張方面だけでなく、他の京成バスの表示も出ます。
まずはブルーリボンⅡで海浜幕張駅を目指します。
途中で、ボルボの在来連接車と出会います。
一気に全車両交代という訳ではないようです。
とりあえず、海浜幕張駅前に現れた「シーガル幕張」を1枚。
しかし雲行きはいよいよ怪しいものに。
かろうじて晴れ間は見えるのですが、「シーガル幕張」は1運用だけのようで、果たして次の機会に撮れるかどうか。
海浜幕張駅の幕張本郷駅行乗場では、京成バスの職員が、「シーガル幕張」運行開始の告知と、合わせて新サービス及び乗車方法の変更を記したチラシを2枚配っていました。
これは本社製作の公式のチラシで、表は先にご覧頂いた、電車の車内づりと同じですね。
裏面の下部には、「非常ドアがないので、緊急時にはハンマーで窓ガラスを割って外に出るように」と注意書きがあります。
神奈中(厚木ルート)と同じです。
これは営業所サイドで作られたものでしょう。
新車の幕張本郷駅行のみ乗車方法が変更になり、幕張本郷駅まで乗り通すPASMO・Suica所持の大人1名の時は、右側の列から乗車できるというもの。
乗車時分短縮のため、2列乗車を行うという訳です。
海浜幕張駅前の京成バス案内所では、「シーガル幕張」運行開始記念の乗車券を発売していました。
幕張本郷駅⇔マリンスタジアム間の往復で500円。
以前なら共通バスカードだったでしょうが。
(京成グループでは3月31日を持って発売を終了。)
つかの間の晴れ間を利用して、駅の西側でバスを何枚か撮影して見ました。
千葉海浜交通の313号車。
稲毛海岸から乗り入れるレインボーⅡの新車。
最後の力走を見せるボルボの4819号車。
成田空港行のエアロエース、5376号車。
せっかくなので、「シーガル幕張」も、幕張本郷から折り返した所を撮影してみました。
たまたま雲の隙間から日がわずかながら覗いたので。
でも、もう一度取り直してみたい気がします。
「シーガル幕張」は、最終的には15台揃いますが、窓上の帯の色は一台ずつ異なるものになるそうです。
海浜幕張駅前の「プレナ幕張」1Fにある、千葉ロッテマリーンズのオフィシャル・グッズショップ。
正直別にマリーンズのファンという訳ではなかったけれど、油性ペンを1本買ってみました。
隣のハンバーガーショップはもちろんロッテリア。
マリーンズネタをもう一つ。
京成バスの4586号車(ブルーリボンシティ)は、マリーンズのユニフォームをイメージした、縦縞のラッピングが施されています。
「26」というのは、「ファン」の番号とされています。
(現在マリーンズに背番号26の選手は存在しません。)
間もなく引退する事になる、ボルボの在来連接車のフロントには、こんな横断幕が掲げられていました。
午後になって空はもはや完全な曇り空。
なので撮影はあきらめ、「シーガル幕張」の試乗に充てようと思いました。
しかし、海浜幕張駅からマリンスタジアムまで行き、折り返して本格的に試乗しようと思いましたが、残念ながらスタジアムからは回送で車庫に帰ってしまいました。
それで、少し早いかもしれないけれど、ボルボ車の「お別れ乗車」をする事にします。
その前に。
スタジアムの前に立つ、「マリーンズ6冠達成記念モニュメント」。
2005年にマリーンズが6冠(交流戦、パ・リーグ、日本シリーズ、アジアシリーズ、それに2軍のイースタンリーグとファーム日本選手権V)を記念して建てられているもので、当時のバレンタイン監督を初め、選手の手形が刻印されています。
右から2番目の下が、「ジョニー」黒木。
スタジアム前の広場で待機していたボルボが、時間になって乗場に姿を現わしました。
後方に見えるのは、千葉シーサイドバス。
海浜幕張駅・幕張駅を経由し、八千代台駅の方へ行く便もあります。
しかし付近はスタジアム以外には何もないように思えましたが、他に千葉海浜交通の乗り入れもありますし、京成バスの本数も多く、思いの他移動に便利です。
ちなみに海浜幕張駅までだと、現金では100円です。
車内はこんな感じ。
更新時に座席の地が、マリーンズのマスコット(マーくん、リンちゃん、ズーくん)を描いた柄に変わっています。
後部の車体はサイドシート中心になっています。
最後部に乗車。
ミッドエンジンなので、静かです。
バス停毎に乗客が増えていきますが、立つ客は多くありません。
連接車ですから当然で、一般の単車だと立つ客も多くなるでしょう。
その意味では、日本の道路でも、「嵌れば」連接バスが有効な路線もあるのでしょう。
しかし、運行開始から10年以上、そろそろ目に見えて疲れが見える部分があるのは事実でした。
ボルボ連接バスは、外部への売却も行われるという事で、購入者の公募も行われています。
間もなく京成からは姿を消しますが、最後のその日までめい一杯走りぬく事を期待します。
「シーガル幕張」の本格的な試乗はまた次の機会。
もう少し台数が増えてからの方が良さそうです。
できれば平日朝方の幕張本郷駅行に乗り、2列乗車が実際にどの程度有効か見てみたいと思います。
また、「環7シャトル」に投入された、BLCハイブリッドとの乗り比べもして見たいと考えています。
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