№126 時刻表1000号物語(交通情報部編 JTBパブリッシング)

 昨年、手持ちのJTB時刻表のバックナンバーを元に、「JTB時刻表大研究」の不定期連載を書きましたが、我ながら舌ったらずな面が否定できませんでした。
 それで、今後記事を修正するための参考文献として、昨年の1000号発売と前後して発売された、JTBのキャンブックスシリーズ、「時刻表1000号物語」を、今年になってようやく購入しました。
「大研究」と被る部分が多々あるのを承知で、改めて当書から、表紙を中心にJTB時刻表を見直してみます。

「時刻表1000号物語」は、
1.表紙で見る「時刻表」のあゆみと鉄道史
 創刊号(1925年(大正14年)4月号)から昨年(2009年5月号)の1000号までの表紙がメインですが、戦時中を中心に29冊が見つからず、空欄になっています。
2.「1000号記念」特別編集時刻表
 ニュースを中心に、路線図や構内案内図、営業案内などを一部再褐
3.時刻表1000号の証人たち
 時刻表の政策プロセスや歴代編集長の証言
の3部構成になっています。
 特に各号の表紙は、単に技術の向上だけでなく、その時々の国鉄・JR等の交通業界や交通公社・JTBの置かれた状況をも物語っているようです。

1.表紙で見る「時刻表」のあゆみと鉄道史
 1987年3月号以前の国鉄監修時代と、国鉄民営化以降の4月号以降に分けて書いてみたいと思います。

(1)1987年3月号以前
Ⅰ.創刊~太平洋戦争時
 表紙なし(破けてしまった?)の1926年(大正15年)11月号には、朝鮮半島の路線図が記されています。
 終戦の年の1945年となると、やはり戦争の影響なのか所在不明のものが多くなり、現存するものも薄くなってしまっているようです。
 もっとも、時刻表があっても、戦中~戦後の混乱の中ではどれだけまともな旅行ができたでしょう?
 コラムにもありますが、現存している時刻表にはローマ字が目立ちます。
 占領下のアメリカの兵士が利用する事があったのでしょうか。
 ようやく落ち着いたのが1947年(昭和22年)6月号あたりからで、1950年からEL(EF57みたい)、1953年(昭和28年)4月号~1956年(昭和31年)11月号の間は、EF5835の同じイラストがひたすら使われ続けてきました。
 カラー写真は1963年(昭和38年)8月号が初めてで、東海道新幹線0系が起用されていますが、試作車のようです。
 この後151系・153系・20系・101系など、国鉄時代の名車が表紙を飾っていきます。
 1964年(昭和39年)10月号は当然東海道新幹線で、1年間新幹線が表紙を飾りました。
 その後は在来線が続きますが、1966年(昭和41年)には、ローカル線の写真が意外に多く使われています。
 3月号では日ノ影線(後の高千穂線→高千穂鉄道→廃線)の鉄橋を渡るキハ20、5月号では仙石線の73系(クリーム+朱色)、7月号では北海道の興浜北線(廃線)を走るレールバスが登場しています。
 田舎(ローカル線)の旅も注目されるほど、国民(鉄道ファン)の暮らしにも、少しは余裕が出てきたという事でしょうか?

Ⅱ.昭和40年代~ 
 通巻500号の1967年(昭和42年)10月号からは表紙のレイアウトも変わりましたが、写真はほとんどが新幹線・特急で、急行がわずかに取り上げられるものの、ローカルはほとんど出てこなくなりました。
 高度成長真っ只中で、特急が押せ押せで増発され続けた事があるでしょうか。
 その中では11月号では名神高速バスが新幹線と共に、1969年(昭和44年)6月号では東名高速バスが単独で取り上げられています。
 鉄道以外の乗物は初めて。
 また、1970年(昭和45年)は万国博覧会の年で、3月~8月号はひたすら万国博関連の写真が表紙を飾りました。
 ほとんどはパビリオンでしたが、4月号が会場内のモノレールで、変則的ながら国鉄以外の鉄道が表紙を飾るのはこれが初めてでした。
 1971年(昭和46年)2月号の上越線の排雪列車は、当時としては(ひょっとしたら現代でも)かなりマニアックなのでは…?
 1976年(昭和51年)1月号は、宇高連絡船の「讃岐丸」で、船舶が初登場。
 1977年(昭和52年)9月号でも、青函連絡船「津軽丸」が表紙を飾っています。

Ⅲ.昭和50年代後半~国鉄分割民営化まで
 明らかに傾向の変化が見て取れたのが、1978年(昭和53年)10月号。
 表紙デザイン自体も変わりましたが、この号(女の子が上野駅のホームで待ち合わせ)から表紙がはっきり人物本位になり、列車の単独走行シーンは1985年(昭和60年)位まではほとんど見られなくなりました。
 1979年(昭和54年)1月号は改築前の鎌倉駅の駅舎で、駅が表紙を飾るのは初めて。
 この後も、改札口の光景(1980年(昭和55年)の上野駅なんか、ほんの30年前なのに大きな時代の違いを感じさせる佇まいだ。)とか、ホームでの列車の待ち合わせとか、沿線でレジャーを楽しむ人々等が列車や駅舎と共に写っています。
 1980年(昭和55年)10月号のの「札幌駅のスチュワーデス」というのは、最初は良く解からなかったのですが、見直してみて解かりました。
 地平時代の札幌駅ホームに、特急<ライラック>の隣にスチュワーデス(たぶんJAL)の姿が見えました。
 10月改正で千歳空港(南千歳)駅が開業し、北海道のダイヤ体系が函館(連絡船接続)→札幌(航空便連絡)に転換した事に合わせています。
 スチュワーデス(いまはキャビンアテンダントと呼称するのが普通)は、事前のキャンペーンで訪れていたのでしょう。
 この表紙の傾向の変化について、コラムでは「国鉄の各種キャンペーンに合わせた」ものとしています。
 1978年11月からの「いい日旅立ち」、1984年2月からの「エキゾチック・ジャパン」が、タイアップ曲のヒットもあって有名になったのはご存知でしょう。
 それと、これはあくまで私の見方ですが、当時の国鉄自身の状況もあったと思います。
 分割・民営化の是非を巡る論議が国会等で交わされていた当時、国鉄の現場が殺伐としたものになっており、1982年・1984年に発生した飲酒運転による寝台特急の大事故を頂点にした大小様々な不祥事が、連日マスコミを騒がせていました。
 せめて時刻表の表紙位は穏やかなものにしたいという、国鉄当局の思慮があったような気がします。
 1985年になってようやく落ち着きを取り戻したという事か、再び列車の走行風景が中心に据えられるようになりました。
 最後の「国鉄監修」(1987年(昭和62年)3月号)は、根府川付近を走る東海道新幹線100系でした。

(2)1987年4月号以降
 「国鉄監修」の文字が消えた最初の号を飾るのは、やはり新幹線100系。
 それ以降今日まで、基本的には、「自然豊かな地方を走る新幹線・特急」が表紙の定番になっているようです。
 やはり旅情を誘うという意味があるのでしょう。
 ただ、一時期の「国鉄監修」時代ほど特急偏重でもなく、民営化時点ではかなり残っていた急行や、ローカル列車もふんだんに起用されるようになっています。
 通勤電車は基本的に旅情を感じさせないので少ないですが、それでも1993年(平成5年)2月号の中央線201系、同年6月号の根岸線209系、2001年(平成13年)4月号の桜島線103系(USJラッピング)、2006年(平成18年)12月号の中央線201系(快速)・E231系(各駅停車)等の例も見られます。
 一方で国鉄監修時代の末期には多用された、列車の姿がない駅のみという表紙は逆にほとんどなくなり、1992年(平成4年)6月号の原宿駅と、1993年(平成5年)4月号の矢祭山駅のみになります。
(1001号の昨年6月号はみなとみらい駅。)
 なお、通巻800号の1992年10月号の表紙はスタンプ調のイラストで、写真が使われていませんが、これは1963年(昭和38年)7月号以来、実に29年ぶりの事でした。

 鉄道業界内外のトピックス、特にダイヤ改正が表紙に反映されるのは、国鉄監修時代もそれ以後もかわらない傾向ですが、21世紀以降では、新テーマパークのオープン(USJ、TDS)、国際的なイベントの開催(サッカーW杯、愛・地球博)も、表紙のテーマに影響を与えているようです。
 ダイヤ改正というと、夜行列車を中心に廃止になる列車も多くありますが、JTB版では先日の2010年2月号の〈北陸〉の如く、改正直前号で廃止となる列車の写真を多用する傾向も見られます。
 2001年(平成13年)2月号の(旧)白鳥、2006年(平成18年)3月号の〈出雲〉、2007年(平成19年)3月号の〈東海〉、昨年の2月号の〈富士・はやぶさ〉とあります。
 JR版ではこういう傾向はないように見えますが、どうだったでしょうか。
(JR版の今年の2月号はE259系〈成田エクスプレス〉だった。)

 一方で、国鉄・JRの縛りがなくなった事で、表紙で取り上げられる乗物(乗物以外も)も、年を追う毎に多彩になってきました。
 1988年(昭和63年)9月号は、海外の鉄道では初めて韓国・ソウル郊外の〈セマウル〉号と通勤電車が取り上げられましたが、2007年(平成19年)11月号では台湾の新幹線「台湾高速鉄路」が表紙を飾りました。 
 2001年(平成13年)1月号(通巻900号・社名変更号)はJTB本社ビル前を走る東京モノレールで、万博を除けば、(日本国内の)国鉄・JR以外の鉄道は初めて。
 2005年(平成17年)3月号は小田急VSEで、初の私鉄特急。
 2008年(平成20年)7月号の「ナッチャンWorld」(現在は休航)は、国鉄連絡船を除けば初の船舶。
 同年10月号の広島市民球場の前を走る広島電鉄は、初の路面電車でした。

 なお、1000号以降になりますが、昨年の9月号がはとバスのエアロキングで、国鉄ハイウェイバス以外のバスでは初、12月号がJALのB777-300で、旅客機が単独で表紙を飾るのも初めてでした。
 さらに、7月号が和歌山電鐵のスーパー駅長「たま」(猫)で、人間以外の生物が表紙に起用されるのは異例でした。

2.「1000号記念」特別編集時刻表
「国鉄写真ニュース」 準急「日光」は上野~日光が途中宇都宮のみ停車で約2時間。
 今の東武直通の特急〈日光〉も新宿~東武日光で約2時間ですから、ディーゼルカーの列車(しかも宇都宮経由)としては相当の俊足です。
 新幹線の広告にある「第一銀行」は、今のみずほ銀行の母体。
「車両シリーズ」 現在50系客車はJRからは全滅し、真岡鐵道でSL列車用に3両残るのみ。 
 国鉄色復刻ブームの最中ですから、この連載も復刻してみたら面白いかも知れません。
「ひと目でわかる電化と複線区間」 黄色のページの定番企画。
 青森~熊本が電化された「ヨン・サン・トオ」時のものが掲載されていますが、今の目で見るとまだまだ非常に貧弱。
 関西・紀勢・山陰・羽越といった本線でさえまだ全線非電化。
 一方で今はなきローカル支線が相当書かれています。
(大半は終点の駅名が省略されてしまっている。)
 国分寺から支線が延びていますが、東京競馬場への路線ですね。
(武蔵野線は開通していない。)
 尻内→八戸、氷川→奥多摩、武蔵岩井→武蔵五日市。
「創刊号索引地図」 東京では南武線、大阪では阪和線がありません。
 どちらも私鉄として開通し、後に国営化される事になります。
「東海道新幹線索引地図」 トンネルの数が12箇所と意外に少なく、合計しても44.5㎞しかありません。
 一番長いトンネルは新丹那の8.0㎞ですが、今の目ではこれでも短く見えるから恐ろしい。
(今年12月開業の東北新幹線・八甲田トンネルは26.5㎞)
 東北新幹線や、来年3月の九州新幹線の全通時にもこの企画をやってみたら面白いのではないでしょうか。
「特急運転図」 新幹線岡山開業時のもので、当時は黄色のページに掲載されていたようです。
 山陽本線で岡山から先は、名古屋以西始発だけでも昼夜合計25本の設定がありました。
 これに東京からの寝台特急が加わる訳です。
 現在、倉敷~門司の在来線特急は0です。
「駅構内図」 新宿駅が狭い!
 10番線までしかありません…。
 山手線内外以外は全て中央線関連。
「付録ページ」 1978年(昭和53年)10月改正というと、愛称番号の統一(下り→奇数・上り→偶数)になった改正。
「8時ちょうどのあずさ2号…♪」が消えた改正でもあります。
(現在の8時ちょうどは〈スーパーあずさ5号〉)
 一部特急の食堂車廃止が、座席数が増えるのでプラスになると見えるように書かれています。
「連絡早見表」 国鉄時代最後のダイヤ改正となった1986年(昭和61年)11月号と、創刊999号の2009年(平成21年)4月号の比較。
 逆に3時間しか縮まらなかったのか、という感もあります。
「営業案内」 食堂車の営業案内は、こういうメニューがある食堂車が復活して欲しいなあと思った方も少なくはないでしょう。
 今や、予約制で大枚叩いてフルコースを食べるしかないような食堂車が、ほんのわずかですから…。
 最後に「たいむたいむてぇぶる」

 欲を言えば、列車の編成図が欲しかった所です。

3.時刻表1000号の証人たち
 8代目編集長の石野哲氏と言うと、名著「時刻表名探偵」を書かれた方ですよね。
 あれ面白くって、本屋で立ち読みしまくった経験があります。
(買わなかった。セコイ…。買っておけばよかった!)
 あと、2003年に姿を消した交通案内社の時刻表についての裏話が興味深いと思いました。
 非常に申し訳ない言い方になりますが、地味だったので書店に並ばなくなっても全然気付かなかったんです。

 オマケとして、表・裏見返しに、「1000号歴史時刻表」。
 表は東京から東海道・山陽・九州方面。
 架空の列車として、「平成23年春から運転予定」の1101A〈さくら101号〉。
 新大阪10:00→14:03鹿児島中央。
(途中岡山・広島・小郡・小倉・博多・熊本に停車の設定。)
 裏は東京・上野から東北・常磐・北海道方面。
 昭和57年6月23日の東北新幹線大宮暫定開業時点では、上野~大宮〈リレー号〉の時刻も欲しかった。
 架空の列車は「平成22年12月から運転予定」の101B〈はやて101号〉。
 東京9:00→12:20新青森。
(途中上野・大宮・仙台・盛岡・八戸に停車の設定。)
 もう1本、相当フライング気味ですが、「平成28年春から運転予定」の新函館行201B〈はやて201号〉。
 東京10:00→13:45新函館。
(途中上野・大宮・仙台・盛岡・八戸・新青森に停車の設定。)
 なお、(仮称)七戸は正式名称が七戸十和田と決まっています。
 架空の新幹線の時刻表を見ると、なんだか宮脇俊三氏の「線路のない時刻表」を思い出してしまいますが、実際に開業したら、どんなダイヤ、列車名になるでしょうか。

 ダラダラと長文になってしまいましたが、それにしても表紙だけを眺めても、80年あまりの日本の鉄道事情の様変わりブリに驚かされた気がします。
 当ブログ「JTB時刻表大研究」がいかに不備だったかというのも思い知らされました。
 今後、当書も参考にしながら過去の記事についても書き加えるべき部分は書き換え、さらにこの後は遅れているカラーグラビアの研究もやりたいと思います。

※今後のJTB時刻表に望む事
 もう少しページ数を少なくできないか。
 一部の長大路線では区間によって運行本数に大きな格差があり(山陰本線、室蘭本線・千歳線など)、掲載区間を分割する事で、ある程度は圧縮が可能なのではないか。
 また、民営化以降の快速の増発によって、幹線では普通列車との前後関係がわかりづらくなってきており(曜日毎に設定される列車の存在も拍車をかける。)、こちらも運転系統に応じてページを分割し、発車順を整理する事で解かりやすさとページ圧縮が図れないか。
(東海道本線なら浜松、鹿児島本線なら博多というように。)
 さらに東海道新幹線と山陽新幹線も、もう新大阪を境に分割した方が良いと思う。
 民営化で会社が別々になって、ダイヤ体系に違いが出てきているし、来年の〈さくら〉運行開始でその傾向がさらに顕著になるはずだから。
 一方で、東京・大阪近郊区間については、全駅全列車掲載を期待したい。
 特に関西は各路線で快速の新設・増発が行われているし、関西線(大和路線)は快速と普通が全く別々のページで不便だ。
 この他、「高速バス」を名乗る会員制ツアーバスの扱いも、今後大きな課題になるだろう。
 索引地図では、以前にも書いたが、「周遊おすすめ地」は廃止すべきだ。
 網が掛かっていないところは「おすすめ」じゃないのか、という事になるし、アクセス路線の廃止も目立ってきているので。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

 明日は、本体の更新のためお休みします。
 大阪市営バスの画像を新規に公開する他、関東バス・小田急・JR関東・神奈中・しずてつ・名古屋市・名鉄で画像を追加します。
 これらの事業者では、画像のサイズを拡大します。
 また、明後日2月1日、日産ディーゼルが「UDトラックス」と社名を変更するため、これらの事業者では先行してコンテンツの呼称を変更します。
 当ブログに関しては、来月はJTB時刻表のカラーグラフを取り上げると共に、これまで撮影してきた私鉄の車両について、少々やってみたいと考えています。