「バスグラフィック」は、一昨年の暮れに第1号が刊行され、昨年末に第5号が発行されました。
正式な雑誌ではないようで、「NEKO MOOK」の一つという扱いのようですが、今の所は季刊で定期的に発行されています。
誌名の通り写真が主体で、「バスラマ・インターナショナル」(ぽると出版)や「バスマガジン」(講談社)のようなジャーナリズム的な性格はなく、それだけに眺めていてもホッとさせられる部分が多くあります。
写真で勝負、というのがNEKOらしい所でしょうか。
特にアーカイヴ(そういう表現は一切ないが)的な写真が非常に多くて、うわぁ、懐かしいなぁとも思わされたりします。
◆BUS GRAPHIC TOPICS トミーテックに京都バスのP-UA32L改が引き取られ、動態保存されることになり、元国際興業のBU04と並んだ写真があります。
BU04と違って、白ながらナンバーを取得しているので、公道の走行も出来るみたいです。
以前「バスにも博物館を」とオピニオンで書きましたが、もしバス業界の手に余る事業なら、トミーテックのような、業界外からの支援を仰ぐのも手かもしれません。
はとバスの「O sola mio」は、明らかに日の丸の「スカイバス」への対抗ですね。
◆「1984」東京路線バス写真図録 凄いなー。こんなに古い写真が並んでいるなんて。
「東京」というからには、後は京急・関東・京成あたりが並んでいればもっと良かったけれど。
以前も書いたけれど、都営バスの「白+青帯」は、来年の100周年では絶対復刻して欲しい。
当ブログをスタートさせた頃、私的な昔話で東急バスについて書きましたが、その中で、「新羽線ではめったに走らなかった」と書いた日産ディーゼル+金産ボディ車の写真もありますね。(M1726)
綱島線・新城線(今は川崎〔営〕が運行)あたりで走っていたのはこの形式だと思ってください。
京王の冷房試作車の全面グリルは、キャブオーバーバスを連想させます。
また、三菱ボディのMR410やB800Kのフロントは、フォグランプがない事、ナンバープレートがバンパーじか付けで、塗装もあって、他事業者の同型と比べてのっぺりして見えます。
しかしこの頃の京王大量にいすゞを使用していましたね。
多分現在は、調布のエルガミオ位しかないのでは…。
全体を眺めて感じたのは、どこもフロントの方向幕拡大までは、系統番号の表記方法に随分腐心しているなあという事。
京王のフロント中央部の系統幕もそうですし、東急の系統番号表示板(サボ)もそう。
東急は側面の区間表示も比較的最近までサボだった訳ですが、系統が変わるといちいち交換の作業が必要になって面倒なサボを使用していたのは、つまり路線によって運用が固定されているからですね。
◆世界の「バスの車窓」から 特に印象的だったのは、ボリビアのレトロバス。
標高3,700mとなると、もちろん人間も苦しいけれど、バスを初めとする自動車も大変なんじゃないかなあ。
外国の長距離バスも、ぜひトライしてみたいと思うけれど、特に国際バスだと、国境を越えたりするのがめんどくさそう。
(鉄道でも、場所によっては大事になるので。)
シアトルの「トンネルバス」は、せめてトロリーバスにならないでしょうか。
架線は張ってあるみたいなので。
◆信州バスだより 「アルピコカラー」になる前の松本電鉄・諏訪バスのモノコック車。
特にMR410や、北村ボディのBU10Kはポピュラーだったし、後者はアルピコカラーになってオリンピック輸送にも使われたそうだから、もう少しタイミングが合えば、保存という話もありえたと思うのですが、現存していないのは残念です。
なお、白馬営業所の写真がありますが、以前書いたように、昨年12月に川中島バスに移管されています。
◆再開、そして別れ… 「バスグラフィック」らしい、情緒的な記事だと思います。
京浜急行バスから堀川バス(福岡県)に移ったP-LR312J(A1704→8278)についての記事と写真で、堀川移籍後のローカル線の写真が印象的。
この路線はこの車両の廃車と同時期に廃線となったそうで、いつ聞いても悲しい話です。
車両だけでなく、こういう路線の風景写真の撮影にも力を入れたいものだと、いつも思っています。
京急時代の写真がセピアカラーで写っていますが、1987年という割には、横浜市内(金沢区)でも結構ローカルな漁港が見られたのですね。
シーサイドライン開通前、という事もあるでしょう。
◆いにしえのバスアルバム 川崎市営の旧塗装はおぼろげながら見た事があったような…。
旧塗装復刻ブームの昨今とはいえ、このカラーの場合は復刻してもウケるかどうかは微妙だなぁ。
「公害の街」のイメージを引きずってしまっているし…。
奥多摩の西東京バスは、今は全部中型になってしまっているけれど、それにしてもふそうを使っていたのですね。
奥多摩駅前のバス乗場自体の雰囲気は、今もそんなに変わっていないです。
「若いうちは十兎も二十兎も追うぐらいの貪欲な気持ちが必要」というキャプションは同感です。
私はもう若くはありませんが…。
◆あの頃キミもバスも若かった- 岩手県交通のモノコック車両の写真集。
岩手県交通は1976年に、岩手県内の中小の事業者が合併して出来た会社なのですが、その前後で激しい労使紛争もあったりして、国際興業の資本が入るまではなかなか経営が安定しませんでした。
国際興業系列になった時点で、車両は基本的にいすゞ+川重・IKに統一されていくのですが、80年代後半位までは、合併前の事業者が使用していた日野や三菱ふそう車も、合併前のカラーリングのままで運行されていました。
そんな時代(1977年)の頃の撮影です。
ここで私が撮影した、合併前の岩手県南バスカラーのままで運行されていた、岩手県交通バスの写真をご覧頂きたいと思います。
間違っていたらゴメンナサイだけれど、確か釜石で撮ったんじゃないかなあ。
もちろん、後に県交通統一カラーに塗り直された車両もありましたけれど、私自身、既に「岩手県交通=いすゞ」というイメージが出来上がっていた頃なので、県交通カラーの日野車などには随分違和感を持った記憶があります。
◆ニューエアロスター ツーステップのメロディ♪ 新エアロスターが発表になったのは1996年ですから、もう14年も前なのですね。
今でも新ノンステップが発表されるなど息が長いモデルですが、当然初期のツーステップは、これからどんどん消えて行く事になります。
ここでは都営(グリーンシャトル)・東急・臨港・川崎市営が取り上げられていますが、私の近くでは横浜市営や神奈中からも次々にリタイアが発生しています。
でも改めて形式写真を眺めると、シンプルないい車体だと感じます。
特に東急は、尺が同じなのに、なぜか他の3社以上にスマートに思えました。
正式な雑誌ではないからか、次号の予告は特になかったのですが、次回刊も大いに期待します。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)