№108 ゴメンナサイ

 実は、本当は今日は更新するつもりはなかったのですが。
 本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」で、表紙の画像の交換のみ行ったのですが、その際に前回(2009年12月26日)の更新分の確認を行ったところ…。

画像

 なんと、この車両の画像を掲載するのを忘れていた事に気付きました。
 これは、江ノ電バス藤沢が運行する、養護学校のスクールバス(PDG-RM820HAN 194号車)です。
(撮影時点は回送)
 チェック漏れでした。
 改めて本体に掲載させていただきました。
 本当にゴメンナサイ。

 なお、本体の次回の本格的な更新ですが、来月1日に行いたいと思います。
 ここでは、関西の事業者1者の画像の新規公開を行います。
 また、今の所は関東と中部の事業者の画像の追加を行う予定です。

№107 バスグラフィック Vol.5(ネコ・パブリッシング)

「バスグラフィック」は、一昨年の暮れに第1号が刊行され、昨年末に第5号が発行されました。
 正式な雑誌ではないようで、「NEKO MOOK」の一つという扱いのようですが、今の所は季刊で定期的に発行されています。
 誌名の通り写真が主体で、「バスラマ・インターナショナル」(ぽると出版)や「バスマガジン」(講談社)のようなジャーナリズム的な性格はなく、それだけに眺めていてもホッとさせられる部分が多くあります。
 写真で勝負、というのがNEKOらしい所でしょうか。
 特にアーカイヴ(そういう表現は一切ないが)的な写真が非常に多くて、うわぁ、懐かしいなぁとも思わされたりします。

◆BUS GRAPHIC TOPICS トミーテックに京都バスのP-UA32L改が引き取られ、動態保存されることになり、元国際興業のBU04と並んだ写真があります。
 BU04と違って、白ながらナンバーを取得しているので、公道の走行も出来るみたいです。
 以前「バスにも博物館を」とオピニオンで書きましたが、もしバス業界の手に余る事業なら、トミーテックのような、業界外からの支援を仰ぐのも手かもしれません。
 はとバスの「O sola mio」は、明らかに日の丸の「スカイバス」への対抗ですね。

◆「1984」東京路線バス写真図録 凄いなー。こんなに古い写真が並んでいるなんて。
 「東京」というからには、後は京急・関東・京成あたりが並んでいればもっと良かったけれど。
 以前も書いたけれど、都営バスの「白+青帯」は、来年の100周年では絶対復刻して欲しい。
 当ブログをスタートさせた頃、私的な昔話で東急バスについて書きましたが、その中で、「新羽線ではめったに走らなかった」と書いた日産ディーゼル+金産ボディ車の写真もありますね。(M1726)
 綱島線・新城線(今は川崎〔営〕が運行)あたりで走っていたのはこの形式だと思ってください。
 京王の冷房試作車の全面グリルは、キャブオーバーバスを連想させます。
 また、三菱ボディのMR410やB800Kのフロントは、フォグランプがない事、ナンバープレートがバンパーじか付けで、塗装もあって、他事業者の同型と比べてのっぺりして見えます。
 しかしこの頃の京王大量にいすゞを使用していましたね。
 多分現在は、調布のエルガミオ位しかないのでは…。
 全体を眺めて感じたのは、どこもフロントの方向幕拡大までは、系統番号の表記方法に随分腐心しているなあという事。
 京王のフロント中央部の系統幕もそうですし、東急の系統番号表示板(サボ)もそう。
 東急は側面の区間表示も比較的最近までサボだった訳ですが、系統が変わるといちいち交換の作業が必要になって面倒なサボを使用していたのは、つまり路線によって運用が固定されているからですね。

◆世界の「バスの車窓」から 特に印象的だったのは、ボリビアのレトロバス。
 標高3,700mとなると、もちろん人間も苦しいけれど、バスを初めとする自動車も大変なんじゃないかなあ。
 外国の長距離バスも、ぜひトライしてみたいと思うけれど、特に国際バスだと、国境を越えたりするのがめんどくさそう。
(鉄道でも、場所によっては大事になるので。)
 シアトルの「トンネルバス」は、せめてトロリーバスにならないでしょうか。
 架線は張ってあるみたいなので。

◆信州バスだより 「アルピコカラー」になる前の松本電鉄・諏訪バスのモノコック車。
 特にMR410や、北村ボディのBU10Kはポピュラーだったし、後者はアルピコカラーになってオリンピック輸送にも使われたそうだから、もう少しタイミングが合えば、保存という話もありえたと思うのですが、現存していないのは残念です。
 なお、白馬営業所の写真がありますが、以前書いたように、昨年12月に川中島バスに移管されています。

◆再開、そして別れ…  「バスグラフィック」らしい、情緒的な記事だと思います。
 京浜急行バスから堀川バス(福岡県)に移ったP-LR312J(A1704→8278)についての記事と写真で、堀川移籍後のローカル線の写真が印象的。
 この路線はこの車両の廃車と同時期に廃線となったそうで、いつ聞いても悲しい話です。
 車両だけでなく、こういう路線の風景写真の撮影にも力を入れたいものだと、いつも思っています。
 京急時代の写真がセピアカラーで写っていますが、1987年という割には、横浜市内(金沢区)でも結構ローカルな漁港が見られたのですね。
 シーサイドライン開通前、という事もあるでしょう。

◆いにしえのバスアルバム 川崎市営の旧塗装はおぼろげながら見た事があったような…。
 旧塗装復刻ブームの昨今とはいえ、このカラーの場合は復刻してもウケるかどうかは微妙だなぁ。
「公害の街」のイメージを引きずってしまっているし…。
 奥多摩の西東京バスは、今は全部中型になってしまっているけれど、それにしてもふそうを使っていたのですね。
 奥多摩駅前のバス乗場自体の雰囲気は、今もそんなに変わっていないです。
「若いうちは十兎も二十兎も追うぐらいの貪欲な気持ちが必要」というキャプションは同感です。
 私はもう若くはありませんが…。

◆あの頃キミもバスも若かった- 岩手県交通のモノコック車両の写真集。
 岩手県交通は1976年に、岩手県内の中小の事業者が合併して出来た会社なのですが、その前後で激しい労使紛争もあったりして、国際興業の資本が入るまではなかなか経営が安定しませんでした。
 国際興業系列になった時点で、車両は基本的にいすゞ+川重・IKに統一されていくのですが、80年代後半位までは、合併前の事業者が使用していた日野や三菱ふそう車も、合併前のカラーリングのままで運行されていました。
 そんな時代(1977年)の頃の撮影です。
 ここで私が撮影した、合併前の岩手県南バスカラーのままで運行されていた、岩手県交通バスの写真をご覧頂きたいと思います。

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 間違っていたらゴメンナサイだけれど、確か釜石で撮ったんじゃないかなあ。
 もちろん、後に県交通統一カラーに塗り直された車両もありましたけれど、私自身、既に「岩手県交通=いすゞ」というイメージが出来上がっていた頃なので、県交通カラーの日野車などには随分違和感を持った記憶があります。

◆ニューエアロスター ツーステップのメロディ♪ 新エアロスターが発表になったのは1996年ですから、もう14年も前なのですね。
 今でも新ノンステップが発表されるなど息が長いモデルですが、当然初期のツーステップは、これからどんどん消えて行く事になります。
 ここでは都営(グリーンシャトル)・東急・臨港・川崎市営が取り上げられていますが、私の近くでは横浜市営や神奈中からも次々にリタイアが発生しています。
 でも改めて形式写真を眺めると、シンプルないい車体だと感じます。
 特に東急は、尺が同じなのに、なぜか他の3社以上にスマートに思えました。

 正式な雑誌ではないからか、次号の予告は特になかったのですが、次回刊も大いに期待します。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

№106 窮屈になるのか 空の旅

 新年明けましておめでとうございます。
 拙いテキストではありますが、今年も当ブログ、そして本体のサイトをよろしくお願いいたします。

 おめでたいはずの新年にふさわしくない話ではありますが…。

 昨年末のクリスマスにデトロイトで発生した旅客機爆破未遂事件を受けて、アムステルダムに次いで、ロンドンのヒースロー空港に「全身スキャナー」を設置する事になったとか。
 2001年9月11日の「同時多発テロ」や、その後の数々のテロ未遂事件を受けて、搭乗時のチェックが年々厳しくなり、液体物の持ち込みに制限が加えられたり、CIQに加えて搭乗直前のゲートでもパスポート拝見やボディーチェックが行われるようになりました。
 でも、どれも決定的な対策にはなりえていないようです。

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(エルアル・イスラエル航空 B737-500 2005年10月22日・チューリヒで撮影)
 搭乗時のチェックの厳しさ、と言って思い浮かぶのは、イスラエル・テルアビブへ行く路線です。
 別にイスラエルに行った事はないけれど、ヨーロッパのどこかの空港(確か、フランクフルト)のゲートで、たまたまテルアビブ行のフライトの搭乗の様子を見た事があります。
 確か搭乗客が皆一列に並べられて、その先に数箇所、係員が待機するブースがあって、1人ずつ呼ばれて色々質問をされるスタイルだったと思います。
 当然搭乗までの時間がえらくかかる事になるので、エルアル・イスラエル航空はもちろん、他の航空会社も、チェックインの締切の時刻を、テルアビブ線に限って、他の路線と比べて大幅に早くしていました。
 恐らくは、オンライン・チェックインが幅を利かせる今もそうなんでしょう。
 探せばイスラエル旅行記のWebページはいくらでもあるから、そちらで体験談をご覧頂ければと思いますが、これを見ると、イスラエルへの旅行って、私的にはちょっと考えてしまいますね。

 しかし、今の国際情勢からすると、他の国際航空路線、特にアメリカ行は、企てられるテロの計画に警備体制が追いついていない感じがしてなりません。
 このまま際限なく保安体制の強化がエスカレートすると、下手したらイスラエル行と同じ程度の厳しさになってしまうかも知れない…。
 そうなると、アメリカ行だと路線も便数も乗客も比べ物にならない位多いから、影響は大になるでしょう。
 既に成田空港でもこのために大幅な出発の遅延も発生していると聞いています。
(しかし「9・11」で痛い目にあっているはずなのに、航空保安に関する機密情報が流出したりするあたり、どうなっているんだろう?)
 各航空会社は特に欧米線などの長距離路線でサービス合戦を繰り広げて、ANAでも2月のニューヨーク線から新サービスをスタートさせる事になっています。
 しかし、いくら機内が快適になっても、それに乗るまでの間で体力や神経を使ってしまったら、せっかくの空の旅も楽しくなくなりそう…というか、キャビンはつかの間(たとえ半日がかりの超長距離路線でも)、地上の喧騒を忘れさせる場所、という意味を持たされる事になるのかも知れません。

 もっとも、乗ったら乗ったで、今度は電子機器の制限…常時電波を発生させる携帯電話などは全面禁止、それ以外の電子・電気機器は離着陸時使用禁止、それに昨年12月からは機内手荷物の持ち込みのルールの厳正化、というのもあります。
 別に私は携帯電話なんて持っていないし、持込の手荷物も少なくしているから、その辺はどうでもいいけれど、以前書いたように、離着陸時の非デジタルカメラまで「ON/OFFスイッチがあるからダメ」とか言われると、一気に旅の楽しみが失われてしまうような…。
 もちろん、こちらは機体の性能、運行そのものの安全に直接かかわる事だし、離着陸時にカメラを使いたいなんて、所詮自分のわがままに過ぎないけれど、なんだか諸々あって、空の旅が少しづつ、窮屈になりつつあるような気がしてなりません…。
 こういう規制等は皆、陸上の交通にはない事なので、国内線だと、新幹線や高速バス等との競争になった時、意外なハンデになってしまうかもしれません。
 観光の利用だと特に…。
 何か、良い方法があればよいのですが。
 旅客機に限りませんが、せっかくの旅の乗り物なのですから、気持ちよく乗りたいですね。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)