「JTB時刻表」2010年2月号が発売になりました。
表紙はやはり〈北陸〉でしたね。
JTB時刻表については次回書きます。
昨日、「鉄道ピクトリアル」誌の臨時増刊号で小田急について書きました。
私は、JTB時刻表とは別に、各私鉄が独自に刊行している時刻表も毎号購入しており、小田急の時刻表についても、ダイヤ改正毎に発行される時刻表の購入を続けています。
「小田急時刻表」は、1990年3月27日のダイヤ改正に合わせて創刊されました。
もっとも、その前の1985年に協和企画が「首都圏私鉄シリーズ№1」と題して小型のサイズを刊行しているのですが、実用本位(急行・準急が各駅停車を追い抜くたびに列を変えて、前後関係を解かりやすくしていた。)で面白みには欠けた感もあり、需要も少なかったのか結局この1号だけで終わっていました。
「小田急時刻表」はさすがに小田急自らの発行だけに、A4版で448ページあり、特にカラーページには相当力を入れています。
当初は年2回刊を想定していたようで、秋にはダイヤ改正がなかったにもかかわらず「秋冬号」が刊行されました。
しかし、やはり小田急程度では年2回発行できるほど需要はなかったようで、翌1991年から年1回ペースになりました。
また、2003年からは交通新聞社の発行になり、ページ数も少なくなっています。
本文のロマンスカーは、同社の「JR時刻表」と同様の赤文字。
ここでは20年前の創刊号の内容を紐解いてみたいと思います。
表紙は10000系「HiSE」。
◆ カラーページ
小田急沿線案内
簡単な行楽スポットのイラスト入り路線図、特急ロマンスカー及び急行・準急の停車駅の案内。
当時のロマンスカーは
〈はこね〉…小田原のみ 〈あしがら〉…町田・小田原 〈さがみ〉…向ヶ丘遊園・本厚木・新松田・小田原 〈えのしま〉…町田・藤沢 〈あさぎり〉(連絡急行)…町田・本厚木・松田・山北・(谷峨)・駿河小山
の停車で、愛称毎にはっきり区別されていました。
(あしがら80号は本厚木停車。)
急行の中央林間停車はこの改正時から。
湘南台には停車していませんでした。
相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄の乗り入れは9年後の事です。
また、江ノ島線に準急が設定されている事になっていますが、運転はありません。
首都圏路線図
東葉・埼玉・横浜の各高速鉄道や旧千葉急行(現京成千原線)やゆりかもめ・千葉都市モノレール・多摩都市モノレール、そしてつくばエクスプレスは影も形もありません。
北総開発鉄道(現北総鉄道)も北初富~千葉ニュータウン中央間のみの開業。
(当時は新京成の松戸まで乗り入れていた。)
東京の地下鉄では旧営団南北線・都営大江戸線はまだ開業しておらず、半蔵門線は三越前まで、三田線も三田まででした。
横浜市営は新横浜~戸塚間のみ。
主要駅周辺案内図
「時刻表の見方」に続いて、新宿・下北沢・成城学園前・向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・相模大野・海老名・本厚木・伊勢原・秦野・小田原・(小田急)多摩センター・大和・藤沢の駅の周辺地図が書かれています。
新都庁舎は工事中(当時の都庁は今の東京国際フォーラムの場所にあった。)で、海老名の「VINAウォーク」はまだありませんでした。
富士・協和・第一勧銀・太陽神戸三井・住友・三和といった銀行の名前が、時の流れを感じさせます。
構内案内図
新宿・町田・本厚木・小田原・藤沢の各駅の構内案内図が取り上げられています。
この中で現在と一番大きく違っていたのは小田原で、改築前は地下のJR小田原駅の通路に接続する形で小田急の連絡改札が設けられていました。
この他に西口に専用の改札口もありましたが、メインの東口から小田急に乗るためには、まずJRの改札を通る必要があったのです。
特急ロマンスカー時刻表
今現在の時刻表と比較して、はっきり違っているのが、
「箱根への観光輸送偏重になっている」点。
当時のロマンスカーは、新宿~小田原間ノンストップの〈はこね〉が主役で、平日では新宿8時50分の後、9時30分~16時まで、30分間隔で運行されていました。
また、当時は旧〈さがみ〉もかなり設定されていて、平日は10往復(他に本厚木→箱根湯本1本)、休日は11往復ありました。
(大半は小田原発着)
一方で、町田停車のロマンスカーは今の感覚からすると非常に少なく、平日午前中の上りだと、10時59分の〈あさぎり2号〉の後は、12時59分の〈あさぎり4号〉まで2時間も停車がありませんでした。
ハイウェイバス時刻表
新宿~箱根間の高速バスは、当時は小田急電鉄の直営でした。
(小田急箱根高速バスへの分社は2001年4月。)
しかし本数が非常に少ない。
新宿駅西口~箱根桃源台間が10.5往復(他に曜日限定の運行が上下1本ずつ)、東名御殿場(当時は御殿場駅前には乗り入れていなかった)→新宿駅西口が1本のみ。
その一方、当時は新宿駅西口~箱根湯本~元箱根系統があり、新宿発が土曜、元箱根発がシーズン中の休日に1本ずつ設定されていました。
この他、小田急バス(現在は小田急シティバス)や、神奈中(2009年5月廃止)の夜行バスの時刻もあります。
神奈中は和歌山行・広島行の路線もありました。
その他
さすがに私鉄1社単独だけあって、沿線の観光地がカラーでふんだんに取り上げられています。
まず「ちいさな発見・気まま旅」と題して真鶴半島が取り上げられ、「小田原からバスで気軽に行ける真鶴半島は…」と始まっています。
当時は小田原~真鶴~湯河原間の箱根登山鉄道のバスが1時間に1本程度はあり、一部は熱海へ直通していました。
現在の小田原~真鶴間は平日2往復(1往復湯河原まで)・土曜1往復のみ・休日は運休で、観光にはとても利用できません。
続いて箱根、江ノ島・鎌倉、丹沢・大山、伊豆の観光地が紹介され、沿線の行事案内と続きます。
車両ガイドは、ロマンスカーは当然HiSEが一番大きく取り上げられていますが、SEも残っています。
通勤車は1000形が最新で、既に千代田線直通にも運用されていました。
他は8000形、9000形、5000形。
高速バスは小田急電鉄の旧塗装車が富士山をバックに東名を走る姿があり、合わせて小田急沿線の深夜急行バスも紹介されています。
当時は新宿1時発本厚木行(神奈中)、1時10分発鶴川行(小田急電鉄)、1時30分発町田行(小田急バス)がありました。
車両が皆古い。
ロマンスカード(パスネットより前の券売機専用の磁気式プリペイドカード)、小田急ONカード(クレジットカード・現在は小田急ポイントカード)の営業案内の後、今はなき向ヶ丘遊園・御殿場ファミリーランドを初めとする、小田急グループのレジャー施設が紹介されています。
さらに前述した高速バスと、グループの貸切バスがカラーで紹介され、小田急グループの企業のCMが続きます。
最後に、スポンサー企業のカラー広告が41ページもあります。
ライオンの「SOFT IN 1」には薬師丸ひろ子。
サッポロ〈生〉黒ラベルの武豊が若い!
(ダイヤ改正時点では21歳。)
1997年に自主廃業した山一證券もあります。
今にして思えば、「走る喫茶室」の営業案内があっても良かったですね。
◆ 小田急線時刻表
参考資料として、この時刻表から作成した、新宿駅の平日の時刻表があります。
こちらをクリックしてご覧下さい。(PDFファイル)
なお、当時の土曜日は平日ダイヤでした。
前提として、当時の小田急は、
1.複々線化がほとんど完成していない。
2.10両編成が停車できるのが、新宿~本厚木間の準急停車駅(経堂を除く)のみ。
したがって全体の輸送力も小さいし、ラッシュ時の急行は信じられない位鈍足でした。
一番遅い急行は、町田→新宿間(30.8㎞)でなんと59分。
(片瀬江ノ島発1528列車・町田7:09→8:08新宿)
また、長距離を走る急行は分割・併合が必須になりますが、本厚木以西の上りでは、4連の各駅停車と6連の急行を続行させ、本厚木で1本の10連に仕立てる急行が6本設定されていました。
急行の増結・切り離しは基本的には相模大野で行いましたが、朝方の上りは本厚木で実施。
準急でも、朝方に小田原始発が5本あって、内3本は本厚木で増結していました。
それと、今見直すと、新宿~町田間の移動が案外不便に見えます。
日中は急行が毎時4本(土曜の午後と休日は6本)だけ。
準急は新百合ヶ丘で急行に抜かれるし、昨日書いたようにロマンスカーの町田停車もまだ多くはありませんでした。
ロマンスカーについては、夕方の新宿→町田間で、回送編成を客扱いし、帰宅の利用者に着席サービスを提供しています。
これが、国鉄・JRの「ホームライナー」のお手本になったとされていますが、当時は小田急としても、あくまで「回送列車の有効活用」の域を出ていません。
20時以降新宿発のロマンスカーは全て町田まで。
しかも、接続の列車がなく、その先へ行く場合、時間的には後続の急行に乗っても同じになります。
さらに22時30分発の〈あしがら23号〉で終わり。
ダイヤ上は浮いた存在のようにも感じられます。
〈ホームウェイ〉が23時台後半まで設定され、小田原、秦野、本厚木、藤沢、唐木田行があり、途中駅・終着駅での各駅停車への直接の接続もあり、まして千代田線からの直通も走るようになった現在とはかなり様相が異なります。
日中もノンストップの〈はこね〉が中心だから沿線からは利用しにくいし、日中でも慢性的に混雑する通勤列車への不満もあって、沿線からは、ロマンスカーはうっとおしいだけの存在だったかも知れません。
この事が、特に複々線延伸後の、ロマンスカーの営業政策の転換を促したようにも思えます。
ところで、〈あさぎり〉は特急ではなく、「連絡急行」と呼称していました。
国鉄・JR御殿場線内では急行の扱いだったからですが、苦し紛れの感もあり、小田急時刻表ではあまり使用していませんでした。
(特急と違って、号車のみを指定した定員制。)
SE置き換え前のディーゼルカー時代は「特別準急」と呼称していた列車ですが、1991年のRSE置き換え・沼津延伸・JR東海との相互直通開始時に晴れて「特急」になりました。
千代田線直通は平日ダイヤの準急14往復のみで、中途半端の感が否めませんでした。
当然10両編成なので、経堂は全列車通過。
多摩線は朝ラッシュ時に唐木田→新宿が4本ある以外は線内折返しが約15分間隔。
江ノ島線は7月~8月のみ、朝方の下りと夕方の上りで急行が増発されました。
ただし、休日の一部を除いて、相模大野切り離し・増結車の延長になりますが。
廃線になったモノレールは平日15分・休日10分間隔が基本でした。
◆ 他社線時刻表
20年前ともなれば、小田急でなくても、様相が現代とかなり異なります。
東海道・山陽新幹線は当然〈のぞみ〉はまだなし。
小田急らしい点として、他の駅が発車時刻(下りの小倉と上りの新横浜は到着時刻)だけなのに対し、小田原は着発両方の時刻を掲載しています。
当時、小田原に停車する〈ひかり〉は3往復でした。
JR在来線は、東海道線で夜行が特急・急行・普通を合わせて11本もあり、快速〈アクティー〉は戸塚・早川・根府川が通過で、夕方に横浜折返しの普通列車が設定されていた事、横浜線の快速が平日60分・休日30分間隔で菊名・長津田・相模原が通過だった事、なにより相模線がまだ非電化だった事(電化は翌年)が目に付きます。
私鉄は接続駅の時刻のみで、京王相模原線は橋本まで到達していたものの、快速と各駅停車が20分間隔だけと少ないのが目立つ所。
それと、各駅からのバスの時刻が、律儀に全部の駅から全路線、乗場の地図付で掲載されています。
当然今とは大幅に違っていて全部は書けませんが、鶴川に京王電鉄、相武台前・本厚木・鶴間に相模鉄道、秦野・渋沢に箱根登山鉄道のバスが乗り入れていたのが注目。
相鉄は平日のみ、本厚木(10:21)~海老名~大和~二俣川間の運行がありました。
また、厚木駅前は神奈中・相鉄の路線があり、茅ヶ崎や藤沢へ行く路線もありました(本厚木始発)が、現在は全滅です。
高架化前の狛江は駅から離れた所に乗場が分散し、踏切を渡る必要もあったから(遮断時間も長かったろうし)、バスへの乗換は不便だったはずです。
最後に箱根・真鶴・伊豆半島のグループのバス路線の時刻表があり、鎌倉・箱根・伊豆の定期観光バスで締められています。
今は1コースだけの箱根登山バスの定期観光は、20年前は10コース・14本も運行されていたのですね。
◆ 営業案内
ブルーのページで記載されています。
特別急行券・連絡急行券は、乗車日の1ヶ月前の10時からの発売。
しかし、〈あしがら2号〉(小田原7:50→9:18新宿)のみ、毎月1日の10時から翌月分を発売するとしています。
これって、JRの〈湘南ライナー〉に似ていませんか?
(〈湘南ライナー〉はセット売りだけれど。)
事前の予約も〈あしがら2号〉のみ不可。
観光偏重といいながら、既にロマンスカーの通勤利用も無視できなくなっていたのでしょう。
再びスポンサー企業の広告が続き、最後に付録として、切り取り式の各駅発時刻表がついています。
(駅で配布するものと同じ。)
裏表紙は三菱電機のパソコン「MAXY」シリーズ。
山口美江が色っぽい姿で微笑んでいますが、標準価格が
16ビット・ラップトップタイプ(HDD 40MBモデル) … 498,000円
32ビット・デスクトップタイプ(HDD 80MBモデル) … 800,000円
…皆様、どう思われますか?
テキストが取り留めのないものになってしまって、読みにくいものになってしまったかも知れません。
20年も経てば、どの鉄道会社もその変化は大きなものになりますが、特に小田急のその変わりぶりは著しいものがあります。
車両の面でも、施設の面でも、ダイヤの面でも、営業政策の面でもです。
20年前の時刻表をひっくり返してみて、興奮も覚えました。
さて、これから先20年は、どのような変化が待っているでしょうか。
さしあたり、3年後(予定)の下北沢の地下複々線化の完成が、大きな影響を与えるでしょう。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№122 鉄道ピクトリアル2010・1月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル」は、いくつかある鉄道専門月刊誌の中でも老舗で、かつ専門的な内容が多いので、ファンの中では、一番地味に映る雑誌かもしれません。
「ピクトリアル」では年に1~2回程度、大手私鉄・大手公営事業者を中心に1者を特集した臨時増刊号を発行しており、2010年1月は小田急の特集でした。
1999年12月以来11年振りです。
昨年末には既に書店に並んでいましたが、購入したのは今年になってからで、取り上げるのは大分遅くなってしまいました。
ここでは、各記事を横断して、小田急そのものに関わるいくつかの点について気がついた事、考えている事を記してみたいと思います。
上の2枚は、この20年の間に小田急を走った、あるいは走っている系列の中で、私的にこれが好きかな、というものを掲げてみました。
上はロマンスカーNSEで、展望室や「走る喫茶室」を備えた11連接構造は、後のロマンスカーの基本となりました。
デザイン的にも、古きよき昭和40年代の雰囲気が良く出ていると思います。
下は数を減らしつつ今も現役の5000系(5200番台)。
端正な「小田急顔」と、側面の1段下降窓がベストマッチで、小田急の通勤車の最高峰ではないでしょうか。
★ 各駅の乗降人員
私にはどちらかと言うと、情緒的な記事もいいのですが、こういうデータ的な部分に興味を引かれる部分が多々あります。
【ベスト10】
1位 新宿 491,631人 2位 町田 291,952人 3位 代々木上原 223,176人 4位 藤沢 153,515人 5位 登戸 147,118人 6位 本厚木 146,668人 7位 下北沢 135,225人 8位 海老名 135,012人 9位 相模大野 121,338人 10位 新百合ヶ丘 120,516人
以下大和、中央林間、成城学園前、湘南台…と続きます。
代々木上原と下北沢は、ノーラッチで他線に乗り継ぐ乗客の方が多いと思われますが、まあ納得の順位だと思います。
基本的に、東京都下~神奈川県東部の他線接続駅で乗降が多いという傾向がはっきり出ています。
11位以下ではありますが、江ノ島線の中央林間と湘南台の乗降客が急激に増加し、10年間で中央林間が約15,000人、湘南台はなんと32,000人も増えています。
湘南急行→快速急行が、在来の急行停車駅の南林間(34位)・長後(31位)を差し置いて停車駅としたのも当然でしょう。
本厚木は他線の接続がありませんが、何でも小田急の広報誌によれば、JR以外の鉄道において、他線との接続がない駅で一番乗降が多いのは本厚木だそうです。
【ワースト10】
70位 足柄 3,038人 69位 南新宿 3,083人 68位 はるひ野 5,771人 67位 蛍田 5,850人 66位 東北沢 6,876人 65位 富水 7,003人 64位 黒川 8,265人 63位 世田谷代田 8,566人 62位 五月台 9,220人 61位 栢山 9,554人
以下開成、本鵠沼、参宮橋、和泉多摩川…の順。
神奈川県西ローカルと多摩線に加え、東京23区内の駅が3箇所あります。
南新宿がブービーというのも意外に感じられるかもしれませんが、新宿の中心部まで歩いていける位置だし、JRや大江戸線の代々木駅もすぐそばですから。
東北沢や世田谷代田も、自線に加え、京王井の頭線の駅が近くで、そちらを利用する住民も少なくないはずです。
こうしてみると、5位の登戸にロマンスカーが今だ停車しないというのは、もはや不自然だと思います。
小田急は、「ロマンスカーは箱根へのアクセスがメインなので、停車させる考えは今の所ない。」としていますが、南武線の沿線から箱根等に呼び込む、という策もあるはずです。
また、隣の向ヶ丘遊園に「さがみ」が一部停車している事を考えると、やはり矛盾です。
今はまだ改良工事が残っているので仕方ない部分もありますが、それが完成した時点で、ロマンスカーの停車が望まれる所です。
一方、その向ヶ丘遊園駅は、遊園が閉鎖した事、快速急行や多摩急行が通過している事もあって、もはや急行停車駅としては失格、通過駅にせよ、という意見がWebの世界ではかなり幅を利かせているようです。
しかし、それでも今なお64,000人強(18位)の乗り降りがあり、明治大学・専修大学のキャンパスや大規模な団地も控え、小田急バスの有力なターミナルともなっています。
例えば、登戸駅付近の区画整理事業が進み、大規模なバスターミナルの整備も行われて向ヶ丘遊園駅発着路線がロスなく登戸駅前に乗り入れられるというのなら、急行停車廃止の意見もわかります。
しかし、その実現が相当先という現状では、急行の全面的な通過には賛成できません。
もう少し、周辺の状況を丁寧に観察してから、列車の停車の是非について語るべきではないでしょうか。
それにしても、新宿から遠く離れた、最下位の足柄でさえ3,000人強の利用者がいるとは、やはり小田急は全線規模で乗客が相当多い鉄道だと思います。
関西だと、大阪に近い本線の駅でも、もっと乗降が少ない駅もありますから。
★ 東北沢~和泉多摩川間(あるいはその先)複々線化
長年の懸案になっている東北沢~和泉多摩川間の複々線化工事が、なかなか完成しません。
2004年までに梅ヶ丘~和泉多摩川間は何とか完成したものの、肝心の東北沢~梅ヶ丘間の完成は早くて2013年度、つまりあと3~4年はかかる事になります。
本来なら1997年、つまり13年前には全体が完成していなければならなかったのです。
できる所から、という事で、まず喜多見~和泉多摩川間が1997年、梅ヶ丘~喜多見間は2004年に高架で完成しています。
しかしこの間、騒音問題等で大規模な訴訟が発生し、大々的に報じられたのはご記憶かと思います。
小田急としてもこの間、利用者向けの複々線の高架のアピールは相当苦心したようで、「急行と各駅停車が双方走りながら行うので、スピードアップになる。」という、苦し紛れの言い方をしていました。
一方、向ヶ丘遊園の先、新百合ヶ丘まで複々線化の構想があるようですが、沿線からは早くも警戒する声もあるようです。
私見ですが、西武新宿線が一時急行線を地下に建設して複々線化するという計画を持っていたので、それなら小田急もそうすべきだ、できるはずではないか?という考え方があったのではないでしょうか。
生方良雄氏(この方は小田急OBらしいが)は、住民は真に何が必要か判断してもらいたい、地下化は施設維持のためのエネルギーは馬鹿にならない、小田急の高架化の騒音低減技術(私が聞いた所では、電波を出して走行音を打ち消すらしい。)は相当なものだから、通勤客のためにも高架化でやるべきだと主張しています。
ただ、事はそう単純ではないはずで、沿線の日照権やプライバシーの問題(電車から覗かれる)、郊外だと高架線の景観の問題もあるし、丘陵地帯を切り開くことになるのでそちらの環境面はどうか?という事も考えなければならないでしょう。
訴える側にもキナ臭い部分が多々あったようだし、都が訴訟の相手になって小田急は当事者にはならなかったとはいえ、やはり裁判沙汰になった事自体は重く受け止めるべきでしょう。
もっとも、じゃあ地下線なら万々歳かと言うと、やはり工事費が馬鹿にならなくなるし、地下は地下で旧営団半蔵門線建設時のような用地買収の問題も起こるかもしれない。
それに、下北沢の計画を見ると、これで良かったのかなあという印象が拭えないのも事実です。
(緩急結合が出来ないし、特に急行⇔井ノ頭線の乗換が実に面倒くさくなりそう。)
一番いいのは、鉄道は高架でも地下でもなく地べたを走り、交差する道路が全てアンダーパスになる事、なのでしょうが…。
地下に上下2層のホームを設け、相模原線も地下で立体交差させようとする京王線調布駅の工事は、実は壮大な実験なのかも知れません。
★ 30000系「EXE」
ロマンスカー「EXE」の人気が今一つのようですね。
「EXE」(30000系)は1995年、NSEの置き換えや、輸送力増強を目的として製造されたロマンスカーで、最終的に10両編成(6連+4連)7本が製作されました。
デビュー当時として考えなければならない背景としては、箱根方面への観光客が頭打ちになる一方、通勤・通学や帰宅、それに新宿方面への買い物(小田急百貨店への買い物客だって、大事なお客様。)の足としてのロマンスカーの利用が増え、輸送力がある系列が求められていた事があります。
車両だけでなく、ダイヤ自体もその辺を意識したものに転換が図られ、1996年には大和、1998年には相模大野・秦野に停車するロマンスカーの設定もされました。
EXEは多様化するロマンスカーの役割を最大限担える役割を与えられてデビューしました。
しかし、3000系「SE」(1958年)、3100系「NSE」(1964年)、7000系「LSE」(1981年)、10000系「HiSE」(1988年)と、歴代ロマンスカーが必ず受賞してきた、鉄道友の会の「ブルーリボン賞」の受賞を、EXEは逃してしまいました。
(1997年にノミネートされたが、「該当車なし」に終わっている。)
その後の50000系「VSE」(2006年)、60000系「MSE」(2009年)がいずれもブルーリボン賞を受賞している事も、必要以上にEXEの評価を下げているように感じられます。
生方良雄氏は「楽しさを感じさせない外部塗装のせいだ。」という結論をお持ちのようだが、本当にそうでしょうか?
外観も、内装も、かなり力を入れたデザインだったと思いますが…。
内装といえば、初期の車両は前部の6両と、後部の4両で座席の色を意味を持たせつつ変えていて、分割が多い小田急らしいよなあと感じたものです。
小田原方の6連は、「箱根の森」をイメージしたグリーン。
新宿方の4連(主に〈えのしま〉に運用)は、「湘南の海」のブルー。
後に、増備車全車で採用されたブラウン系で統一されたのは、個人的には残念でした。
本当に色のせいなら、私は乗り物の色の事など語らない方が良いのかな?
なぜEXEが、出来はとてもいいはずなのに不人気なのか、個人的に考えてみると、
① ロマンスカーで唯一「ブルーリボン賞」受賞を逃してしまった。
しかも、他の強力なライバルに負けたのならともかく、「該当車なし」だから…。
② 輸送力重視・モノクラスの20m車×10両編成というのが、マスプロ的に見えてしまった。
特に小田急ではどうしても「プラスα」が求められる。それはVSEではっきりした。
③ 1999年のダイヤ改正で、特急の改札がEXEに合わせた方法に代わり、「特別な列車に乗る」という高揚感が奪われてしまった。
それ以前は乗車口が限定され、乗車時に係員が特急券をチェックしていました。
結果的に、JR東日本E653系〈フレッシュひたち〉や、近鉄22000系「ACE」の如く、その鉄道のフラッグシップにはなりえない宿命を背負わされていたのでしょう。
ただ、先に書いたように、ロマンスカーの役割も観光輸送偏重だった20年前(この点は次回書く予定です。)とは異なり、多様化しています。
観光輸送に特化したVSEのような、ホスピタリティあふれる高級サービスももちろん大いに評価されますが、一方で、ホームで特急券を買って気軽に飛び乗れるEXEのような列車だって、今のロマンスカーにはありだと思うのです。
ただ、一時期の〈サポート〉のネーミングは、さすがにどうだったかなあとは思いますが。
その意味で、2004年改正時の〈えのしま〉の大幅削減は残念でした。
快速急行の設定で余裕がなくなったからかも知れませんが、湘南新宿ラインのグリーン車への対抗というなら、1時間ヘッドで残せなかったかと思います。
あるいは湘南台に停めてもいい。
泉区の相鉄いずみ野線、地下鉄ブルーラインの沿線住民が利用してくれるかも知れません。
相鉄沿線在住時代、15時10分発の〈えのしま〉(EXE)を好んで(大和まで)利用して帰宅した事が多かった事を思い出します。
「全線歩き乗り記」の根本幸男氏は、(座席だけだろうけれど)VSEよりEXE派みたいですね。
★ その他
1.高座渋谷駅の曲線ホームは、今思えば確かに不自然。
ホームの前後に比較的長い直線があり、100m程度の直線ホームなど無理せず造れたでしょう。
他に渋沢や富水あたりもそうだったはず。
小田急の駅のホームは相対式を基本にしている点で高い評価を得ているけれど、意外な一面を見た気がします。
2.小田急にも夏季専用ダイヤというものがありましたか。
ダイヤ(午後の部分)を見ると、江ノ島めがけて送り込みの回送列車が続々仕立てられるのが目立ちます。
しかし、私が社会人になった頃には、既に専用のダイヤはなく、一部の急行の延長運転が行なわれるのみでした。
JRの房総地域や京急も夏季ダイヤがなくなって久しいですが、やはり電車で海水浴、というのは少なくなってしまっているのでしょうか。
(江ノ島線の場合は通常ダイヤでも本数が多くなった事もあるでしょう。)
3.「鉄道自殺はやめてもらいたいですねえ。」…ごもっとも!!
泊まり明け2日続けてなんて酷すぎる。
4.甲種回送のEF65は、新松田駅の構内にまで入ってきます。(私も見た事がありました。)
構内では小田急の運転士がEF65を運転しますが、その研修は稲沢まで行って行なうのですね。
新鶴見では出来ないのかな?
次の臨時増刊号の特集は、1997年7月号が最後の阪神を期待したい所。
阪神なんば線開通・近鉄との相互直通開始という話題もあるし、何より前回の特集から13年も開いてしまっています(大手私鉄に限ると一番開いている)ので。
※ ところで既にご存知の方が多いでしょうが、この記事を書く直前になって、ロマンスカーのLSE及びHiSEが「一部の車両の不具合」の発見により、全編成運用を離脱する事態が発生しました。
小田急の公式HPの告知の感触からして、運用復帰までかなり時間がかかりそうです。
このためロマンスカーの運用が大幅に変更になり、VSEが多摩線〈ホームウェイ〉、MSEも江ノ島線〈ホームウェイ〉の運用に入っているそうです。
原因は明らかにされていませんが、特定の車両の故障というレベルではなさそう。
連接構造そのものに起因している部分があるかも知れません。
(長野電鉄の「ゆけむり」(元HiSE)も、「臨時検査」で運用を離脱しているそうですし。)
展望室つき編成が運用されない事によるイメージダウンもありますが、短期的には残された編成で運行を確保できるのか心配ですし、もし列車の構造が原因だとしたら、長期的には車両計画や営業政策に重大な影響を与えかねません。
ロマンスカーあっての小田急なので、早急な原因の究明と発表が待たれます。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№121 名古屋夜行日帰り 「昭和レトロカラー」撮りたかったなあ
2009-2010冬シーズン用の「青春18きっぷ」が1日分残っていたので、名古屋まで夜行日帰りで出かけます。
メインの目的は名鉄瀬戸線の4000系で、この時点では市営バスの「昭和レトロカラー」については、正直全然知りませんでした。
快速〈ムーンライトながら〉。
田町のクハ189-509初め10連。
ところで、小田原駅で「〈ムーンライトながら〉は満席です!指定券がないと乗車できません!」と繰り返し放送が流れながら、いざ到着してみると空席が目立つ(最後部は半分程度しか乗っていなかった。)のはどうして?
名古屋6時12分発の臨時快速〈きそスキーチャオ〉。
クモハ313-1003×4連。
行先(薮原行)は空欄で、種別もただの「臨時」。
ドア脇の「指定席」(前2両)・「自由席」のサボが、313系としては珍しく感じられました。
瑞浪や南木曽さえ通過する、停車駅の少ない列車ですが、大曽根でさっさと下車。
ファミレスで朝食の後、まず名鉄の4000系を撮るために、瀬戸線で瀬戸方面へ向かいます。
だけど、ファミレスも、駅付近も、早朝から随分若い人が多かったようだけれど、何かオールナイトのイベントでもあったのかな?
大曽根からの尾張瀬戸行普通電車からして4000系。
4005Fだったので、少なくとも既に5編成あるという事です。
直前に4001Fが栄町に向かって行ったので、これをどこかで撮れるといいなあ。
喜多山は既に検車機能が完全になくなり、留置線が数本残るのみ。
駅舎も仮設になり、北側は更地になっていました。
喜多山に変わって検車区が設けられた尾張旭で下車し、その先の踏切で待ちます。
4000系
4005Fが尾張瀬戸まで行って、栄町へ戻って、またやってきました。
この日の朝は5編成全てが運用に入っていました。
日本車両製、という事で、関東の者から見ると、サイドの印象が京成3000系や京王9000系によく似ています。
6000系
6000系はHL車置き換えのため、5次車以降(前面貫通型のまま、側窓が開閉可能になったグループ)が本線から大挙して転属し、瀬戸線の主力になりました。
ただ、瀬戸線はいずれ4000系に統一されるため、6000系は本線に帰る予定と聞いています。
6600系
問題はこの6600系。
最初から瀬戸線用として製作された系列で、6000系と異なり、当初は冷房がなく、最初から2段窓で製作されました。
システムは6000系と同じだから、6600系も本線に行くの事になるのでしょうか。
それとも、少数派故、瀬戸線で生涯を終えるのでしょうか。
(何しろデビューから32年経っているし…。)
6650系はまだ全車は引退していないようですが、運用はされていませんでした。
尾張旭の検車区にもいなかったようなので、尾張瀬戸に留置されていたのでしょうか。
車体は新しいのですが、釣掛式駆動が命取りになりました…。
9時過ぎに撮影を終え、再び市内に戻ります。
東大手で下車、市役所前で名鉄基幹バスのエアロスター・エコハイブリッドを撮影。
名鉄バス 7906
車号からして、昨年入ったばかりのようですね。
ワンポイントの色が1台ずつ異なるようですが、他に全体ラッピング車も存在します。
この後市営バスで栄に移動し、バスターミナル付近で撮影します。
何枚かご覧頂きます。
〈名鉄バス〉
名鉄バス 1003
基幹バスからの転用と思われます。
大坪行として、オアシス21から出てきた所です。
名鉄バス 6905
レインボーⅡの短距離高速バス仕様。
これも愛知学院大学行として、オアシス21を出発した所。
先代の4灯タイプのレインボーⅡも見かけました。
〈名古屋市交通局〉
名古屋市交通局 NF-102
新エアロスター・ノンステップ。
結構まとまった台数が入りました。
名古屋市らしく、標準尺です。
名古屋市交通局 NKS-8
〔基幹2〕系統用のエルガ・ノンステップ。
同系統のノンステップ車はレインボーⅡが主力で、エルガは2台しかないそうです。
この系統は共同運行の名鉄に合わせて中乗り→前降り。
なので、一般系統用と異なり、側面の区間表示が中扉の戸袋の前にあります。
名古屋市交通局 KF-135
〔基幹2〕系統用のエアロスター。
基幹バスには以前「ミッキー」という愛称があったのですが、一昨年廃止になり、愛称表示部が塗りつぶされてしまっています。
名古屋市交通局 TF-5
都心ループ〔栄758〕(ナゴヤ)系統専用の小型車。
この写真は、堀川に掛かる納屋橋の上で撮影しました。
この系統は以前はラッピング車(特に高橋尚子が大きく描かれた中日新聞)が多かったのですが、最近はやはり景気が悪いからなのか?通常都心ループ色に回帰して運行される車両が多くなっているようです。
以上の名鉄バス及び名古屋市営バスの写真は、2月1日付(1月31日深夜)の本体の更新時に公開します。
(一部は交換。)
〈あおい交通〉
あおい交通 302
栄と、県営名古屋空港の近くにある「航空館boon」を結ぶ「とよやまタウンバス」。
1時間間隔で運行されています。(土休日は日中のみ。)
タイトルの「昭和レトロバス」は、名古屋市営バス創業80周年を記念して12日から運行を開始した、旧塗装復刻車です。
昭和40年代のワンマンカー塗装を、浄心〔営〕のS-575(いすゞKC-LV280N)に施し、〔名駅16〕系統(名古屋駅~東新町間)にダイヤ限定で運行しています。
これを知ったのは、恥ずかしながら今朝〈ムーンライトながら〉で名古屋に到着し、市営地下鉄の駅の柱のポスターで写真を見た時が初めてでした。
本当は早朝から狙うべきだったのでしょうが、名鉄4000系の撮影優先で来ていたので、運行ルートを把握できていなかった事もあって、午前中はタイミングを逸してしまいました。
それで、午後に納屋橋で待っていたのですが…。
名古屋市交通局 S-575
13時を回って急に雲が広がり、この程度しか撮影できませんでした…。
ガッカリ…。
このカラーは見た事がなかったのですが、初めて見た感触では、新鮮ではありますが、なんだか「スゴイ」色使いだな…と。
車体(FHI7型)ともさることながら、緑色の方向幕がなかなかミスマッチ。
でも、塗装したばかりだから(ラッピングじゃないよね?)、ピカピカなのは嬉しい。
それに、赤帯部の「ワンマンカー」まで再現されているのもマルです。
(どうしてわざわざ「ワンマンカー」って書くの?と疑問に思う若い人も少なくないでしょう。)
あと、上の写真を撮ってすぐ、柳橋バス停から短区間乗車してみたのだけれど、車内は変化がなかったですが、昔の市営バスの白黒写真を展示していました。
なお、「昭和レトロバス」のダイヤは、交通局のHPで公表される他、各バス停にも掲示があります。
やはり土曜・休日の方が運用が多くなるようです。
ところで、いずれ「レモン&グリーン」もやるんですよね?
名古屋市内はすぐに青空が戻る気配が見えなかったので、13時43分の新快速5330Fで豊橋へ。
豊橋は快晴でした。
同じ愛知県でも、名古屋と豊橋は天気の傾向がかなり異なるように感じます。
豊橋では、新川の電停のそばで豊鉄バスの写真を数枚撮影。
その中から2点。
豊鉄バス 515
「CITY SHUTTLE」色。
豊鉄バス 809
昔はこれも「CITY SHUTTLE」色だったかもしれません。
豊鉄バスはノンステップ・ワンステップ車の普及で緑系のデザインが増えていますから、この白地+赤帯は、なんとなくレトロチックに見えます。
この日は「臨時バス」と書かれたバスを多く見かけました。
センター試験対策だったのでしょうか。
豊鉄の路面電車も撮影してみました。
現役では最古参の1台、3202号。
なお、3203号がクリーム+赤帯の旧塗装に復刻しているようですが、この時は残念ながら運用されていませんでした。
15時43分発の掛川行970Mで豊橋を後にして、浜松と熱海で乗り継いで帰ります。
浜松駅では駅ビル内で「赤飯弁当」を購入しましたが、16時37分発446Mは313系+211系の全ロングシート社だったのでしばらくお預け。
熱海からの530M(伊東始発)がE231系だったから、多少ムードは欠けるけれど、2号車のクロスシートで食します。
戸塚には20時23分着。
これで今シーズンの「青春18きっぷ」は5日分全部使い切りました!
「昭和レトロカラー」はもちろん、いつか早いうちにもう一度、名古屋まで撮りに行きます!
ただ、〈ムーンライトながら〉も「青春18きっぷ」も当分は設定がないから、名古屋までどうやって行こうか…。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)