№93 2007年廃止 くりはら田園鉄道〈栗原電鉄〉

画像

画像
 昨日の「JTB時刻表大研究 2007年」の《十大トピックス》で、くりはら田園鉄道と鹿島鉄道の廃止を上げました。
 今日はくりはら田園鉄道について取り上げてみようと思います。
 くりはら田園鉄道は、主に鉱山の輸送のために建設された鉄道です。
 1995年までは栗原電鉄という電化された鉄道でしたが、4月に第3セクター化された時、合理化のためディーゼルカーに切り替えて名称を改めました。
 栗原電鉄時代、およびくりはら田園鉄道時代の主な車両と、駅の写真をご覧頂きます。

1.車両
①栗原電鉄時代

 栗原電鉄時代の旅客車両は、M…電動車、T…非電動車、数字…車体の長さを現わしていました。
 なので、末期に転属車が入ってくると、実質は全く別の形式なのに、同じ形式を名乗る事になりました。

画像

M153
 栗原電鉄時代の主力車両でした。
 同系にC15形制御車がいて、ラッシュ時にはM15形に増結されていました。
 なお、この写真はくりはら転換後、若柳に留置されていた姿を撮影したものです。

画像

M181
 西武車。
 主にラッシュ時に運用されていたそうです。

画像

M182
 福島交通車で、飯坂線で使われていましたが、同路線が昇圧(600V→1500V)したため移籍してきました。
 上のM181とは全く異なりますが、18mの電動車というだけで、続きの番号がつけられました。

画像

ED201
 1950年の電化の際に、貨物列車牽引用として製作されました。
 当時の栗原電鉄は762㎜軌間で、5年後に1067㎜に改軌。
 台車を履き替えた際重量も重くなったため、重量を示す数字をつけたED18→ED20に改番しました。
 台車の方が車体より幅が広いのが特徴。
 この写真も、くりはら転換後に若柳に留置されていた姿を撮影したものです。 

②くりはら田園鉄道時代
画像

KD95
 くりはら転換時に導入された、富士重工製のディーゼルカー。
 以前ご覧頂いた北海道ちほく高原鉄道などの、第3セクター鉄道向け車両の流れを汲んだ軽快タイプです。
 わたらせ渓谷鉄道の車両を参考にしたそうですが、正面のヘッドライト部は、炭鉱からきた「カンテラ」(鉱山の作業員が使う明かり)をイメージしています。
 くりはら転換・KD95投入と同時にワンマン運転になりました。

画像

 その車内。
 床やクロスシートの背など、木材がかなり使われています。

 KD95は3両投入されましたが、側面には1両毎に異なるデザインのエンブレムが掲げられていました。
画像

KD951 「白鳥」

画像

KD952 「野菊」

画像

KD953 「栗駒山と馬」

画像

KD10
 くりはら転換直後、名鉄で使用されていた2軸レールバスが2両導入されました。
 2両編成のまま、主に朝方の1往復で使われていました。

2.駅

 栗原電鉄時代の撮影と、くりはら転換後の撮影が混じっています。
 あらかじめご承知置き下さい。
画像

石越
 貨物列車があった頃は国鉄・JRと線路がつながっていましたが、旅客駅は別になっていました。
 くりはら転換時に、駅舎自身も改装されています。

画像

荒町 石越から1.6㎞

画像
画像

若柳 荒町から1.5㎞
 交換可能で、構内には車両基地がありました。
 くりはら転換後もここが車両基地になっていました。

画像

谷地畑 若柳から1.5㎞
 くりはら転換後の撮影。
 なお、転換後もしばらくの間、架線はそのまま残されていました。

画像

大岡小前 谷地畑から1.1㎞
 この駅はくりはら転換の後の1995年12月25日に開業しました。
 当初は付近に工業団地の計画があったそうです。

画像

大岡 大岡小前から1.5㎞
 くりはら転換後の撮影。

画像

沢辺 大岡から2.1㎞
 交換可能で、たいていはここで上下の行き違いがありました。
 駅前には宮城交通の他、JRバス東北(古川線・古川~一ノ関)のバス停もありました。

画像

津久毛 沢辺から3.5㎞

画像

杉橋 津久毛から1.6㎞

画像

鳥矢崎 杉橋から1.0㎞
 くりはら転換後の撮影。

画像

栗駒 鳥矢崎から1.7㎞
 交換可能。

画像

栗原田町 栗駒から0.8㎞
 撮影時は駅舎の中にラーメン店がありました。

画像

尾松 栗原田町から1.2㎞
 くりはら転換後の撮影。

画像

鶯沢 尾松から2.5㎞
 以前は交換が可能だったようで、架線柱などに面影があります。

画像

駒場 鶯沢から2.2㎞
 この駅はくりはら転換時に「鶯沢工業高校前」と改称しました。

画像

細倉マインパーク前 駒場から1.9㎞
 以前は手前の細倉が終点でしたが、貨物線を利用して路線を延伸し、新駅を設置しました。
 駅前にはED202・ワフ71が保存されていました。
 なお、古い乗車券や、くりはら転換後のワンマン乗車目標等では「細倉(マ)」と省略されるのが普通でした。


 栗原電鉄も、色々な種類を発売していましたが、その中から、「沿線五町『町章』シリーズ記念乗車券」をご覧頂きます。
 栗原電鉄(くりはら田園鉄道)は5つの町にまたがって走っていましたが、廃線の直前に全て「平成の大合併」によって消滅しています。 
画像

《石越町》
 石越町は2005年4月1日、登米市に合併しています。

画像

《若柳町》

画像

《金成町》

画像

《栗駒町》

画像

《鴬沢町》
 中央に見えるのが、細倉駅です。
 駅を出て、左にカーブを切った先に、細倉マインパーク駅が作られました。
 若柳・金成・栗駒・鶯沢の4町も同じ日、合併で栗駒市になっています。

 くりはら田園鉄道がスタートした1995年4月1日、記念の全線フリー乗車券が発売されました。
画像

《くりはら田園鉄道運行開始記念1日フリーきっぷ》


 毎年10月前半の土日に日比谷公園で行なわれる、鉄道の日記念の「トレインフェスティバル」は恒例行事ですが、くりはら田園鉄道も毎年、他の中小私鉄と共同でブースを出していました。

画像

 最後の出店となった、2006年10月8日。
 私も色々買わせていただきましたが、その中から、小型の線引き。

画像

 大岡小前開業後のバージョン。
 購入後色々使ってきたので、多少キタナクなっているのはご勘弁。

 くりはら転換後も御多分にもれず乗客の減少に歯止めがかからず、結局転換から12年で廃止という事になってしまいました。
 せめてもう一度位乗っておきたかったです。
 明日は鹿島鉄道を取り上げます。

 今日の記事は、
「ローカル私鉄車両20年・東日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「私鉄気動車30年」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル 1997年4月臨時増刊号 東北地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。


 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)