№90 2006年廃止 北海道ちほく高原鉄道

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 昨日の「JTB時刻表大研究 2006年」の十大トピックスの中で、北海道ちほく高原鉄道の廃線を取り上げました。
 北海道ちほく高原鉄道は国鉄~JR北海道の池北線を引き継ぎ、1989年6月4日~2006年4月20日の間、17年弱に渡って池田~北見を「ふるさと銀河線」の名で運営してきた、第3セクター鉄道会社です。
 国鉄時代末期の「特定地方交通線」問題では、特に北海道で廃止対象の路線が集中する事になり、路線によっては他にも第3セクター鉄道への転換の道も模索されましたが、いかんせんどの路線も利用者が少なすぎ、結局池北線のみが、第3セクターに転換される事になります。
 北海道ちほく高原鉄道の車両と、各駅の写真をご覧頂きます。
 車両といっても、実質1タイプのみでしたが…。

1.車両
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CR70
 基本の形式で、最多の8両が投入されました。
 同時期に日高本線に投入されたキハ130形は同型と言えます。
 2000年に2両廃車。

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CR75
 CR70との違いは、飲料の自動販売機が設けられたため、定員が減少した事。
 基本形は3両。
 2002年に2両が「銀河鉄道999」のラッピングが施されました。

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 100番台の1両は後から投入。
 イベント用のため、ロングシートになっていました。
 普段は、置戸~北見でラッシュ時に運用されていたようです。

 結局、車内の設備の違いで形式が分けられているだけなので、外観は全く差がありませんでした。
 1998年頃より、アコモデーション改良工事が各車に施行されています。

2.駅
 何しろ路線が長い上に本数が少なく、その上一部の列車しか停車しない駅も少なくないので、全部の駅の撮影には数年かかる事になりました。
 なので撮影年代がかなりバラバラですが、その点はご勘弁下さい。

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池田
 JR北海道管理駅。
 運転支所が置かれていました。

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様舞 池田から5.7㎞

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高島 様舞から5.8㎞
 交換可能駅。

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大森 高島から5.0㎞
 国鉄時代は仮乗降場で、国鉄最終日の1987年3月31日に駅に昇格していました。

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勇足 大森から4.3㎞
 国鉄時代末期に交換設備を廃止したそうです。

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南本別 勇足から2.7㎞

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岡女堂 南本別から3.8㎞
 この駅のみ、転換より後(1995年9月4日)の開業。
 駅名は、後方に見える甘納豆のメーカーからきていて、工場への足として開業したという事です。

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本別 岡女堂から2.5㎞
「ステラプラザ」。
 交換可能駅。

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仙美里 本別から6.4㎞

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足寄 仙美里から8.4㎞
 交換可能駅。
 訪問時は改築工事中で、安普請の仮駅舎でした。
 改築前は木造平屋建てだったようです。
 ここから置戸までは、並行するバス路線はありませんでした。

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愛冠 足寄から6.1㎞
 無人駅ですが、足寄からの縁起きっぷがよく売れたそうです。

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西一線 愛冠から3.3㎞

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塩幌 西一線から1.9㎞

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上利別 塩幌から2.5㎞
 交換可能駅。
 ただし、末期はダイヤ上では行き違いの設定はありませんでした。

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笹森 上利別から3.8㎞
 国鉄時代は仮乗降場で、国鉄最終日の1987年3月31日に駅に昇格していました。
 しかし、一体誰が乗り降りするんだろう…。

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大誉地 笹森から4.3㎞
 国鉄時代末期に交換設備を廃止したそうです。

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薫別 大誉地から4.2㎞
 最初から正式な駅だったようですが、ほとんど仮乗降場同然。

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陸別 薫別から6.7㎞
「オーロラタウン’93」。
 2Fは宿泊施設になっていて、1994年7月に宿泊した事があります。
 交換可能駅。
 現在は「道の駅」となり、十勝バスの案内所もあるそうです。

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分線 陸別から5.7㎞

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川上 分線から4.1㎞

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小利別 川上から6.3㎞
 国鉄時代末期に交換設備を廃止したそうです。
 次の置戸との間が十勝と北見の界になり、この区間は15.9㎞もあります。
 これは、国鉄・JR以外の鉄道では最長でした。

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置戸 小利別から15.9㎞
 改築前。
 交換可能駅。
 ここから北見までは並行バス路線があります。

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豊住 置戸から4.4㎞

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境野 豊住から2.8㎞
 国鉄時代末期に交換設備を廃止したそうです。

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西訓子府 境野から1.8㎞

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西富 西訓子府から3.0㎞

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訓子府 西富から2.1㎞
 改築前。
 交換可能駅。

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 訓子府から1.8㎞
穂波

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日ノ出 穂波から2.1㎞
 改築前。
 国鉄時代末期に交換設備を廃止したそうです。

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広郷 日ノ出から2.0㎞

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上常呂 2.8㎞
 改築工事が始まった頃だったと思います。
 交換可能駅。

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北光社 上常呂から3.3㎞

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北見 北光社から4.5㎞
 JR北海道管理駅。

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 JRの駅舎に隣接していた本社ビル。
 ここでは一部乗車券類やグッズ等も発売されていました。

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 車両基地。
 北見を出発した後、北光社に向かう途中の左手にありました。
 末期には廃車になった車両が、庫外に留置されていました。
 部品取りで使われていたようです。

 既に最初に訪問・撮影した時点でもいくつかの駅は改築が行なわれていましたが、この後も、主要駅では大掛かりな改築が行なわれています。

足寄
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「あしょろ銀河ホール21」。
 ここも現在は「道の駅」となり、十勝バスの案内所が入っています。
 昔は阿寒湖への路線もありました。
 また、北海道拓殖バスも入っていましたが、現在は廃止になっています。

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 2階のギャラリーには、足寄町出身のシンガーソングライター・松山千春の各種展示があります。
 足寄町は他にも有名人がいて、新党大地の鈴木宗男代表は高校の先輩、埼玉西武ライオンズの三井浩二投手は後輩です。

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 展望室からは、足寄町の町並みや、周辺の山々のパノラマが楽しめます。
 ちょうど、陸別方面へ列車が出発する所です。 

置戸
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 「コミュニティホール ぽっぽ」。
 残念なのは、駅前を走る北海道北見バスが、駅前には乗り入れない事です。
 施設が立派なので、なんとか新しいスタイルの「バスの駅」として活用できないかと思うのですが。

訓子府
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日ノ出
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上常呂
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 ふるさと銀河線では「友の会」があり、会員になると自分の名前が書かれたプレートを、好みの駅(主要駅)に貼り付ける事ができました。
 中央の駅名表の照明のカバーが、すずらんの花の形をしています。
(照明がない駅もあります。)

 開業から10年の1999年に発売された、記念乗車券です。
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 ふるさと銀河線は、一時札幌~北見のバイパスとして整備する、という構想もありましたが、結局お金がかかりすぎるという事か、立ち消えになってしまいました。
 山越えが連続する石北本線に代えて特急を運行する、という事でしたが、何度か乗ってみた感触では、やはり基本的に線路がひ弱すぎ、高速運転を行なうには莫大な投資を必要とするのは間違いなさそうでした。

 国鉄・JRの特定地方交通線を転換した第3セクター鉄道の大半は、新駅を多数設置したり、列車本数を増やしたり、そのために交換設備を新設・復活させたり、という事をやって利用者を増やそうとしていました。
 しかし、ふるさと銀河線では、新駅は岡女堂1箇所のみ。
 転換した直後には多少本数の増加もありましたが、後に削減に追い込まれたりして、利用者の減少に歯止めがかからなかったようです。
 最も、例えば駅を増やそうにも、沿線の人口が少なすぎて、ほとんど意味がなさそうでした。
 むしろ一時期、経営建て直しの一環で、一部の駅を廃止しようという話もあったほどですから。
 結局、鉄道として運営していくには、絶対的に利用者が少なすぎたというのが、根本的な廃線の原因でしょう。
 JR深名線に次ぐ、純粋な道内ローカル線の廃線は、個人的には寂しさも感じますが。

 廃線後、一部の車両は陸別駅に集められ、「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」という組織が、構内で体験運転などを行なっているそうです。
 代替バスは、(帯広~)池田~陸別は十勝バス、陸別~北見は北海道北見バスが運行。
 北海道北見バスは、一般路線では初めて十勝に乗り入れた事になります。

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 今日の記事は、
「ローカル私鉄車両20年・第3セクター・貨物専業編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
を参考にさせて頂きました。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)