「COP15」が開催されているコペンハーゲンで昨日、環境NGOらによるデモ隊が警官隊と衝突、多数の活動家が拘束されたと、今朝のニュースで報じられていた。
正直、またかと思う。
この手の抗議活動はちょうど10年前、シアトルで行われたWTOの会議の時から、各種国際会議の度に繰り広げられているけれど、所詮は受け狙いとしか感じられない。
無論、主義主張自体は自由だけれど、世界規模の問題が一握りの活動家のパフォーマンス程度では解決する事がないのははっきりしているし、特に温暖化問題は、金融危機や雇用の問題等とは事情が違うと思う。
もし本当に今の温暖化が深刻な危機で、それを食い止めようとするなら、もはや「エコカー」「エコ家電」に切り替える、というレベルでは済まない。
多少乱暴な選択だけど、
①国民自らが進んでかなり禁欲的なライフスタイルに切り替えるか
②政治的に強権的な政策を発動させるか
の2つに一つしかない。
活動家たちの主張が通り、各国の首脳が大胆かつ実効性がある温暖化防止策を実施するとしたら、もしかしたら、②にそってかなり強引な政策が執行され、全世界に住む一人一人の暮らしそのものがダイレクトに束縛される事になるかもしれない。
それで良いというのだろうか。
②がNOというのなら、①しかない。
しかし、それにはまず、草の根の世論自らが意識を変えなければならないのだが、現状でそれが可能だろうか?
活動家たちは、この点については何も触れていない。
日本に限って述べると、日本でも土曜日には、COP15の成功を訴える集会が行われたとは聞いた。
だが、一方でETC割引の土休日の度に、高速道路の大渋滞が頻発するようになった現実はどう考えるべきなのか。
この政策についての批判は多いが、そもそもこの状況を招いているのは、マイカーを運転する一般の国民自らだ。
民主党のマニフェスト(高速道路無料化)を批判する声もあるが、今の所は直接影響を受ける業界の関係者(企業・労働組合等)以外、大きな声になっていないのはどうしてだろう。
活動家と呼ばれる人々は、本当に真剣に温暖化防止に取り組むつもりなら、上だけを向いた自己満足的なパフォーマンスは止めて、世論の意識そのものに訴え、自発的な変化を促す活動に切り替えるべきではないか。
温暖化防止そのものだけではなく、エネルギーや交通など個別の政策も含め、トータル的にどういうライフスタイルを取り入れるべきかを、世論全体に示さなければならない。
交通事業者の側も、もはや環境とか、公共性とか叫ぶだけでは利用の減少に歯止めを掛けられないのは明らかです。
政策やムード頼みでなく、自ら進んで車両・施設・ダイヤ・営業政策、さらにはソフト面(従業員の接客態度・マナー・モラル等)をも目に見える形で見直し、マイカーから公共交通への転移が容易に行えるよう、業界全体で行動を起こすべきでしょう。
この所更新がかなり途切れ途切れになっていますが、明日もお休みします。
その代わり、本体の更新を行います。
熊本県の事業者(特に産交バス)を中心に、一挙54枚の画像を追加。
また、新たに熊本都市バスの画像を公開します。
なお、これらの写真を撮りに行った際の旅行記は、来週書く予定です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№95 バスマガジン vol38(講談社)
スミマセン。4日間も休んでしまいました。
一昨日の内には順調に帰ってきたのですが、昨日はちょっと色々ありまして…。
この3日間の九州旅行については、写真が出来上がり次第取り上げます。
今日は、発売から大分経ってしまいましたが、「バスマガジン vol.38」です。
一部先日の九州旅行で見聞した内容も混じっています。
◆ 東京と関東各地を結ぶ「公共交通の主役」
東京都内(23区)と関東地方を結ぶ近距離高速バスについての現状の分析。
ただ路線毎の時刻表だけを並べてみただけではピンとこないけれど、路線網を地図にしてみると、千葉県への路線が、他の県への路線と比べて非常に密になっています。
やはり高速道路の発達に対して、鉄道の改良が非常に遅れているという事はあるでしょう。
例えば、先日館山行ってきた千葉県の館山でも、東京駅行「なのはな」号が終日30分毎(一般路線を含めても、館山駅を発着する路線バスの中では一番本数が多い。)なのに対して、JRの特急「さざなみ」は、日中は運行がなくなっています。
内房線は線形が非常に悪いし、改良という話も全然聞かないので、千葉・羽田空港・横浜への路線もあるし、この地域では高速バス優位の状況が定着していくのでしょう。
高速料金の行方にも依りますが…。
逆に言うと、鉄道で高規格の新線が開業したり、そうでなくてもダイヤが改善されたりすると、一転して近距離高速バス路線がダメージを受けやすくなるという事になります。
「つくば」号が典型ですが、「マロニエ」号が佐野~宇都宮間を廃止したのも、多分に湘南新宿ラインの快速の影響ではないかと考えています。
「マロニエ」 … 新宿駅新南口~宇都宮駅間 2時間32分~2時間58分・1,700円
湘南新宿ライン快速 … 新宿~宇都宮間 約1時間35分・1,890円(グリーン車は+950円(土休日750円)
都内のバス乗場では、潮見駅がありませんでしたね。
京葉線の駅の裏にあり、事実上は折返しの待機所に過ぎないと思われるのですが、このバス停の存在意義についても取り上げてもらえば良かったと思います。
(ちなみに京成・日東の潮見駅~君津線だと、木更津市内に「潮見」停留所があるので、「潮見」と名がついた、全く別の2ヶ所のバス停を通る事になります。)
◆ 両社(日産ディーゼルと三菱ふそう)がOEM供給を受ける大型・中型バス導入事業者カタログ
日産ディーゼルと三菱ふそうが合弁会社を設立するための覚書を締結した、と言う事で、相互OEM供給車両を運行する事業者の車両をカタログ的に並べています。
私も本体の方でいくらか掲載していますが、ここで本体未発表のOEM供給車の画像をご覧頂きます。
(3枚とも、本文で紹介されています。)
★日産ディーゼル→三菱ふそう
阪東自動車 エアロスターS
知多乗合自動車 エアロミディS
★三菱ふそう→日産ディーゼル
習志野新京成バス スペースランナーA
上に挙げた中では、阪東自動車は既に母体のスペースランナーを運行していますし、関東に限っても関東バスや江ノ電バスなどが、スペースランナーとエアロスターSを両方運行したりしています。
J-BUS(いすゞ・日野)でもありますが、事実上同形式なのに別メーカーの車両を並行して導入するのは、どういう理由があるのでしょうか。
その辺の所も踏み込んで書いていただければ。
◆ いすゞ純正バスボディ大研究 (第3回:1979~84年)
今回はK-規制の大型車(CJM・CDM・CJA・CSA・ECM等)。
今南部バス(コラムにもあります。)で最後の活躍をしている事で注目されているタイプです。
路線車のCJM系やECM系は、流線型的なフロントマスクが美しく思えました。
特に末期の、後部ドアや戸袋窓が大型化されたタイプは、モノコック時代の集大成だと思います。
でも不勉強だったのですが、BU系と同じフロントマスクのCJMがいたのですね。(山陽電鉄)
あと、以前「バス・ジャパン」の連載で、私が投稿した、と書いた札幌市営バスの試作ボディの写真もあります。
これは嬉しい。
ここで、本体では未掲載のこの年代の車両の画像を何点かご覧頂きたいと思います。
上から (路線車)岩手県交通
秩父鉄道
諏訪バス
(貸切車)岩手県交通
秋田中央交通
群馬バス
なお、秩父鉄道は、昔は直営で熊谷付近の路線バスを運行していました。
現在は秩父鉄道観光バスとして分社になり、路線バスは直営1路線(秩父湖~川又間)、及び熊谷市コミュニティ「グライダー号」「ムサシトミヨ号」を運行するのみです。
群馬バスのCSAを見て思いますが、いすゞはヘッドライト縦2列が好きだなあ…。
◆ バス大好き!な女の子の活動絵日記 第5回
廃線跡めぐりとはまた地味な…。
テンション高い、キャピキャピしたテキストは、あまり合わない気もするけれど…。
もちろん鉄道・バスが好きになってくれるのは嬉しい事ですけれど。
北恵那鉄道について補足すると、廃線の直前には電車の運行は朝晩のみに限られ、日中は既にバス代行になっていました。
◆ 読者が選ぶ…全国乗合バス100選
030ではJR四国バスの大栃線。
国鉄時代は高知が始発で、もっと奥まで路線があり、味のある支線も相当残っていたらしいですが、現在は土佐山田~大栃間のみ。
でも、この路線では、以前から小規模なアンパンマンのキャラクターのステッカーの貼り付けが行なわれていたのは見ていて、本体でも公開していますが、今は全車両が全面的にアンパンマンのラッピングになっているのですか。
特急列車でも走っていますね。
原作のやなせたかしさんも90歳を過ぎてもなお、お元気ですし、このバス路線も、いつまでもJRバスとして頑張って欲しいと思います。
私も機会があれば乗りに行きたいと思います。
031は高知東部交通の安芸~甲浦線。
◆ 今月の気になりバス事業者 中紀バス
中紀バスも、歴史的には結構古い会社で、ルーツは戦前から存在していたようです。
紀伊半島はちょっと馴染みがなくて、正直利用した事はないので特に語る事もないのですが、ここに昔の中型貸切車の写真があるのでご覧頂きたいと思います。
大阪市内で「花博」の時に撮ったんじゃあないかなあ。
◆ おじゃまします バス会社潜入レポート vol.38 東海バスグループ
東海バスの車両群については、既に本体で取り上げていますので、そちらをご覧頂ければと思います。
観光路線が多い一方で、ひなびたローカル路線も少なくはなく、魅力的ではありますが、それだけに乗りに行くのは大変そうだなあ。
伊豆急行が来年春Suicaを入れる事になっていますので、東海バスグループも本当はPASMOを入れてくれたらより便利になるとは思います。
しかし、他のPASMO事業者よりローカル線が多いので投資も大変だし、その上三島・沼津地域の場合、JR東海のTOICAもあるので、簡単にどのICカードを導入する、とは言えないかも知れない。
今後は、シンプルかつハイグレードな定期観光バスの導入(江ノ電バスみたいな)を期待したいと思います。
東海バスグループでは、営業所は「事業所」と呼称するのですね。
◆ 全国バストクトク情報
何を隠そう、私も一昨日まで、「SUN Q」パス(今回は北部版)で天草から入って熊本・福岡を回り、北九州空港から帰ってきたばかりです。
「SUN Q」の影響は大だったようで、東北では期間限定で、四国では回数制限があるものの、長距離高速バスが何度か乗れるような広域パスが発売になっています。
広域型のパスの場合、やはり高速バスをうまく活用できるかが、トータルでトクになるかどうかを左右する事になります。
だから、一つの地点に長時間留まって、と言うのはあまり向いていないかもしれない。
まあ九州だと、早朝から深夜まで頻発する路線が多いから、あまり気にする必要はないかもしれませんが。
九州と言うと、一つ疑問があって、長崎~宮崎線「ブルーロマン」が、全九州版でも利用不可なのは何でだろう?
長崎県営と宮崎交通だから問題があるようには思えないし。
後は地域毎・事業者毎(特に公営だと、地下鉄や路面電車にも乗れるタイプもある)に多数の1日乗車券がありますからぜひ活用して、バス・公営交通を応援しましょう。
◆ LED式行先表示器の秘密
3日間九州に行ってきた中では、西鉄が、少なくとも福岡市内路線では99%以上がLEDになっていました。
(幕車は1台しか見なかった。)
LEDの導入に際しては、事業者ごとにはっきり姿勢の差が出ていて、知る限りでは西鉄の他、西武バスや川崎市営バス、神奈中バスあたりは短期間でほぼ全車両がLEDに置き換わりました。
一番最初に全LED化を達成したのは青森市営だったそうで、雪国という地域の特性もあるようです。
一方では基本的には新車のみLEDとして、在来車は引き続き幕という事業者も多数見られます。
また、京都市営はLEDは本格的には導入しないとしています。
(ポンチョと、MKからの引継車両のみLED。)
羽田空港ターミナル循環の側面カラーLED表示についてコラムがありますので、ここで実物の表示を、表示順に見てみます。
国際線ターミナル出発直後。
第1ターミナルは主にJALが使うので、イメージカラーの赤に白文字を使用。
※どのターミナルでも、停車中は日本語・英語・韓国語・中国語で「次は○○ターミナル」とスクロール表示を行ないます。
▼▼▼
第1ターミナル出発直後。
第2ターミナルは主にANAが使うので、イメージカラーの青に白文字を使用。
▼▼▼
第2ターミナル出発直後。
国際線ターミナルは白地で、文字を抜いて表示しています。
後部のLED表示はコメントを表示する、というテキストもありますので、ここでは相鉄バス(相鉄ホールディングス)の一例を。
既に本体の「ア・ラ・カルト」でも取り上げているのですが、70㎞/h・80㎞/h制限の路線を走行する一般路線バスの系統があるので、その場合にはステッカー表示に加えて、後部の行先表示でもこういう表示を出します。
東戸塚駅西口~(横浜新道・70㎞/h制限)~星川ランプ間の〔旭16〕系統で見られます。(他にもあります。)
イラスト表示は、都営バスの〔王55〕〔梅01〕系統で見られますね。
本来はLEDに限った事ではないのですが、特にLEDになった後、前面・側面とも一考を要するべきと思われる表示内容が目立つ気がします。
その点、先日の西鉄バスではある程度工夫が見られたのですが、それについては機会を改めて考察してみたいと考えています。
(実は、先行してフルカラーLEDの採用が進む鉄道の方に多々問題があるように感じられるので、先行して考察してみるつもりです。)
◆ Close-up NEWS
小豆島バスの経営危機は、正直初めて知りました。
本土とは橋でつながっていないので、対外的な要因(別項でも再び挙げられている高速料金のような)は考えにくいのですが、島そのものの過疎化と、観光客の減少が主な要因になっているようです。
◆ 都府県別・地域別路線バス全方位レポート vol.38 宮城県
宮城県は仙台市内が市営バス、その他ほぼ全域が宮城交通・ミヤコーバスというのが大まかな構造になっているようですが、やはり最近は小規模な事業者が増えてきているようです。
特に愛子観光バスは堂々と仙台駅前に入ってきているのですね。
桜交通は一時期高速バスも運行していましたが、早々に撤退。
ただ、確か郡山市内だったと思うけれど、「運休中」の張り紙を張ったバス停が、道端に残っていましたね…。
ノンステップ率は政令指定都市所在の県としては最低レベルですか。
市営はともかく、宮城交通グループはローカル線が相当多いので、資金的に導入が苦しいのかもしれない。
今後は首都圏を中心にノンステップの中古車が出回るようになるので、それらを活用してノンステップ化を進める、という方向に行くのでしょうか。
次号はヒュンダイ・ユニヴァースを取り上げるそうで、実は私も熊本の交通センターで見たのだけれど、撮影する機会がなかったのは残念でした。
また、3月一杯で廃止の姫路市営バスの特集も予告されています。
撮りに行く機会が作れるといいけれど…。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
一昨日の内には順調に帰ってきたのですが、昨日はちょっと色々ありまして…。
この3日間の九州旅行については、写真が出来上がり次第取り上げます。
今日は、発売から大分経ってしまいましたが、「バスマガジン vol.38」です。
一部先日の九州旅行で見聞した内容も混じっています。
◆ 東京と関東各地を結ぶ「公共交通の主役」
東京都内(23区)と関東地方を結ぶ近距離高速バスについての現状の分析。
ただ路線毎の時刻表だけを並べてみただけではピンとこないけれど、路線網を地図にしてみると、千葉県への路線が、他の県への路線と比べて非常に密になっています。
やはり高速道路の発達に対して、鉄道の改良が非常に遅れているという事はあるでしょう。
例えば、先日館山行ってきた千葉県の館山でも、東京駅行「なのはな」号が終日30分毎(一般路線を含めても、館山駅を発着する路線バスの中では一番本数が多い。)なのに対して、JRの特急「さざなみ」は、日中は運行がなくなっています。
内房線は線形が非常に悪いし、改良という話も全然聞かないので、千葉・羽田空港・横浜への路線もあるし、この地域では高速バス優位の状況が定着していくのでしょう。
高速料金の行方にも依りますが…。
逆に言うと、鉄道で高規格の新線が開業したり、そうでなくてもダイヤが改善されたりすると、一転して近距離高速バス路線がダメージを受けやすくなるという事になります。
「つくば」号が典型ですが、「マロニエ」号が佐野~宇都宮間を廃止したのも、多分に湘南新宿ラインの快速の影響ではないかと考えています。
「マロニエ」 … 新宿駅新南口~宇都宮駅間 2時間32分~2時間58分・1,700円
湘南新宿ライン快速 … 新宿~宇都宮間 約1時間35分・1,890円(グリーン車は+950円(土休日750円)
都内のバス乗場では、潮見駅がありませんでしたね。
京葉線の駅の裏にあり、事実上は折返しの待機所に過ぎないと思われるのですが、このバス停の存在意義についても取り上げてもらえば良かったと思います。
(ちなみに京成・日東の潮見駅~君津線だと、木更津市内に「潮見」停留所があるので、「潮見」と名がついた、全く別の2ヶ所のバス停を通る事になります。)
◆ 両社(日産ディーゼルと三菱ふそう)がOEM供給を受ける大型・中型バス導入事業者カタログ
日産ディーゼルと三菱ふそうが合弁会社を設立するための覚書を締結した、と言う事で、相互OEM供給車両を運行する事業者の車両をカタログ的に並べています。
私も本体の方でいくらか掲載していますが、ここで本体未発表のOEM供給車の画像をご覧頂きます。
(3枚とも、本文で紹介されています。)
★日産ディーゼル→三菱ふそう
阪東自動車 エアロスターS
知多乗合自動車 エアロミディS
★三菱ふそう→日産ディーゼル
習志野新京成バス スペースランナーA
上に挙げた中では、阪東自動車は既に母体のスペースランナーを運行していますし、関東に限っても関東バスや江ノ電バスなどが、スペースランナーとエアロスターSを両方運行したりしています。
J-BUS(いすゞ・日野)でもありますが、事実上同形式なのに別メーカーの車両を並行して導入するのは、どういう理由があるのでしょうか。
その辺の所も踏み込んで書いていただければ。
◆ いすゞ純正バスボディ大研究 (第3回:1979~84年)
今回はK-規制の大型車(CJM・CDM・CJA・CSA・ECM等)。
今南部バス(コラムにもあります。)で最後の活躍をしている事で注目されているタイプです。
路線車のCJM系やECM系は、流線型的なフロントマスクが美しく思えました。
特に末期の、後部ドアや戸袋窓が大型化されたタイプは、モノコック時代の集大成だと思います。
でも不勉強だったのですが、BU系と同じフロントマスクのCJMがいたのですね。(山陽電鉄)
あと、以前「バス・ジャパン」の連載で、私が投稿した、と書いた札幌市営バスの試作ボディの写真もあります。
これは嬉しい。
ここで、本体では未掲載のこの年代の車両の画像を何点かご覧頂きたいと思います。
上から (路線車)岩手県交通
秩父鉄道
諏訪バス
(貸切車)岩手県交通
秋田中央交通
群馬バス
なお、秩父鉄道は、昔は直営で熊谷付近の路線バスを運行していました。
現在は秩父鉄道観光バスとして分社になり、路線バスは直営1路線(秩父湖~川又間)、及び熊谷市コミュニティ「グライダー号」「ムサシトミヨ号」を運行するのみです。
群馬バスのCSAを見て思いますが、いすゞはヘッドライト縦2列が好きだなあ…。
◆ バス大好き!な女の子の活動絵日記 第5回
廃線跡めぐりとはまた地味な…。
テンション高い、キャピキャピしたテキストは、あまり合わない気もするけれど…。
もちろん鉄道・バスが好きになってくれるのは嬉しい事ですけれど。
北恵那鉄道について補足すると、廃線の直前には電車の運行は朝晩のみに限られ、日中は既にバス代行になっていました。
◆ 読者が選ぶ…全国乗合バス100選
030ではJR四国バスの大栃線。
国鉄時代は高知が始発で、もっと奥まで路線があり、味のある支線も相当残っていたらしいですが、現在は土佐山田~大栃間のみ。
でも、この路線では、以前から小規模なアンパンマンのキャラクターのステッカーの貼り付けが行なわれていたのは見ていて、本体でも公開していますが、今は全車両が全面的にアンパンマンのラッピングになっているのですか。
特急列車でも走っていますね。
原作のやなせたかしさんも90歳を過ぎてもなお、お元気ですし、このバス路線も、いつまでもJRバスとして頑張って欲しいと思います。
私も機会があれば乗りに行きたいと思います。
031は高知東部交通の安芸~甲浦線。
◆ 今月の気になりバス事業者 中紀バス
中紀バスも、歴史的には結構古い会社で、ルーツは戦前から存在していたようです。
紀伊半島はちょっと馴染みがなくて、正直利用した事はないので特に語る事もないのですが、ここに昔の中型貸切車の写真があるのでご覧頂きたいと思います。
大阪市内で「花博」の時に撮ったんじゃあないかなあ。
◆ おじゃまします バス会社潜入レポート vol.38 東海バスグループ
東海バスの車両群については、既に本体で取り上げていますので、そちらをご覧頂ければと思います。
観光路線が多い一方で、ひなびたローカル路線も少なくはなく、魅力的ではありますが、それだけに乗りに行くのは大変そうだなあ。
伊豆急行が来年春Suicaを入れる事になっていますので、東海バスグループも本当はPASMOを入れてくれたらより便利になるとは思います。
しかし、他のPASMO事業者よりローカル線が多いので投資も大変だし、その上三島・沼津地域の場合、JR東海のTOICAもあるので、簡単にどのICカードを導入する、とは言えないかも知れない。
今後は、シンプルかつハイグレードな定期観光バスの導入(江ノ電バスみたいな)を期待したいと思います。
東海バスグループでは、営業所は「事業所」と呼称するのですね。
◆ 全国バストクトク情報
何を隠そう、私も一昨日まで、「SUN Q」パス(今回は北部版)で天草から入って熊本・福岡を回り、北九州空港から帰ってきたばかりです。
「SUN Q」の影響は大だったようで、東北では期間限定で、四国では回数制限があるものの、長距離高速バスが何度か乗れるような広域パスが発売になっています。
広域型のパスの場合、やはり高速バスをうまく活用できるかが、トータルでトクになるかどうかを左右する事になります。
だから、一つの地点に長時間留まって、と言うのはあまり向いていないかもしれない。
まあ九州だと、早朝から深夜まで頻発する路線が多いから、あまり気にする必要はないかもしれませんが。
九州と言うと、一つ疑問があって、長崎~宮崎線「ブルーロマン」が、全九州版でも利用不可なのは何でだろう?
長崎県営と宮崎交通だから問題があるようには思えないし。
後は地域毎・事業者毎(特に公営だと、地下鉄や路面電車にも乗れるタイプもある)に多数の1日乗車券がありますからぜひ活用して、バス・公営交通を応援しましょう。
◆ LED式行先表示器の秘密
3日間九州に行ってきた中では、西鉄が、少なくとも福岡市内路線では99%以上がLEDになっていました。
(幕車は1台しか見なかった。)
LEDの導入に際しては、事業者ごとにはっきり姿勢の差が出ていて、知る限りでは西鉄の他、西武バスや川崎市営バス、神奈中バスあたりは短期間でほぼ全車両がLEDに置き換わりました。
一番最初に全LED化を達成したのは青森市営だったそうで、雪国という地域の特性もあるようです。
一方では基本的には新車のみLEDとして、在来車は引き続き幕という事業者も多数見られます。
また、京都市営はLEDは本格的には導入しないとしています。
(ポンチョと、MKからの引継車両のみLED。)
羽田空港ターミナル循環の側面カラーLED表示についてコラムがありますので、ここで実物の表示を、表示順に見てみます。
国際線ターミナル出発直後。
第1ターミナルは主にJALが使うので、イメージカラーの赤に白文字を使用。
※どのターミナルでも、停車中は日本語・英語・韓国語・中国語で「次は○○ターミナル」とスクロール表示を行ないます。
▼▼▼
第1ターミナル出発直後。
第2ターミナルは主にANAが使うので、イメージカラーの青に白文字を使用。
▼▼▼
第2ターミナル出発直後。
国際線ターミナルは白地で、文字を抜いて表示しています。
後部のLED表示はコメントを表示する、というテキストもありますので、ここでは相鉄バス(相鉄ホールディングス)の一例を。
既に本体の「ア・ラ・カルト」でも取り上げているのですが、70㎞/h・80㎞/h制限の路線を走行する一般路線バスの系統があるので、その場合にはステッカー表示に加えて、後部の行先表示でもこういう表示を出します。
東戸塚駅西口~(横浜新道・70㎞/h制限)~星川ランプ間の〔旭16〕系統で見られます。(他にもあります。)
イラスト表示は、都営バスの〔王55〕〔梅01〕系統で見られますね。
本来はLEDに限った事ではないのですが、特にLEDになった後、前面・側面とも一考を要するべきと思われる表示内容が目立つ気がします。
その点、先日の西鉄バスではある程度工夫が見られたのですが、それについては機会を改めて考察してみたいと考えています。
(実は、先行してフルカラーLEDの採用が進む鉄道の方に多々問題があるように感じられるので、先行して考察してみるつもりです。)
◆ Close-up NEWS
小豆島バスの経営危機は、正直初めて知りました。
本土とは橋でつながっていないので、対外的な要因(別項でも再び挙げられている高速料金のような)は考えにくいのですが、島そのものの過疎化と、観光客の減少が主な要因になっているようです。
◆ 都府県別・地域別路線バス全方位レポート vol.38 宮城県
宮城県は仙台市内が市営バス、その他ほぼ全域が宮城交通・ミヤコーバスというのが大まかな構造になっているようですが、やはり最近は小規模な事業者が増えてきているようです。
特に愛子観光バスは堂々と仙台駅前に入ってきているのですね。
桜交通は一時期高速バスも運行していましたが、早々に撤退。
ただ、確か郡山市内だったと思うけれど、「運休中」の張り紙を張ったバス停が、道端に残っていましたね…。
ノンステップ率は政令指定都市所在の県としては最低レベルですか。
市営はともかく、宮城交通グループはローカル線が相当多いので、資金的に導入が苦しいのかもしれない。
今後は首都圏を中心にノンステップの中古車が出回るようになるので、それらを活用してノンステップ化を進める、という方向に行くのでしょうか。
次号はヒュンダイ・ユニヴァースを取り上げるそうで、実は私も熊本の交通センターで見たのだけれど、撮影する機会がなかったのは残念でした。
また、3月一杯で廃止の姫路市営バスの特集も予告されています。
撮りに行く機会が作れるといいけれど…。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№94 2007年廃止 鹿島鉄道
昨日の話になってしまいましたが、鹿島アントラーズのJリーグ3連覇、おめでとうございます。
2007年に廃止になった鉄道で、昨日はくりはら田園鉄道を取り上げました。
今日は茨城県の鹿島鉄道を取り上げます。
鹿島鉄道は1924年に鹿島参宮鉄道として開業。
当初の構想は、鹿島神宮へ参拝客を輸送するためだったようです。
なので、沿線の地名ではないのに「鹿島」の二文字が使われていたのでしょう。
もしこの構想が実現して鹿島神宮まで路線が延びて、しかも今も残っていれば、アントラーズのサポーターの足としても、活躍できていたのかもしれなかったですね。
1965年には常総筑波鉄道(のちの関東鉄道)に合併されて鉾田線となりました。
1979年に再び分社によって鹿島鉄道として、独立した鉄道会社として運営されていました。
首都圏にありながらローカル色が濃い事と、百里基地(来年民間共用で茨城空港になります)へのジェット燃料輸送の貨物列車が運行されていた事で人気がありました。
鹿島鉄道の車両と各駅の写真をご覧頂きます。
1.車両
キハ600
旧国鉄42500形で、卵形の半流線形のスタイルが独特でした。
旧関東鉄道入線後に正面を改造しています。
KR500形導入時に同色になりましたが、廃線直前にはクリーム+オレンジのツートンカラーに変わっていました。
キハ430
旧加越能鉄道加越線キハ120形。
1973年に入線。
これもKR500形導入時に同色になりましたが、のちに2両で異なるツートンカラーに変わっていました。
キハ714
元は夕張鉄道のキハ251で、1976年に入線しました。
大型なので、主に通学時間帯の列車に使用されていたようです。
唯一、KR500と同色にはなりませんでした。
KR500
石岡南台駅開業と同時にデビューした、軽快タイプのディーゼルカー。
鹿島鉄道最初にして、最後の新製車両でもありました。
曲線状のフロントガラスが特徴。
この車両のカラーが、一時は鹿島鉄道の標準色になりましたが、末期には同形式自体も、帯の色を1両毎に変えた新カラーになっていました。
DD13
ジェット燃料輸送用のディーゼル機関車。
171号機は国鉄の品川機関区で使用されていました。
2.駅
石岡
JRの管理駅。
ただし、ホームに鹿島鉄道の駅務室があり、記念乗車券等はここで発売していました。
構内には機関区が設けられていました。
石岡南台 石岡から1.5㎞
ニュータウンの開発に合わせて開業した駅です。
鹿島鉄道では唯一、平成になってから(1989年6月15日)の開業でした。
交換可能。
東田中 石岡南台から1.0㎞
玉里 東田中から1.1㎞
1988年4月1日に、信号所を格上げして開業した駅で、折返し列車の設定もありました。
新高浜 玉里から0.6㎞
四箇村 新高浜から0.9㎞
常陸小川 四箇村から2.0㎞
交換可能で、折返し列車も多数設定されていました。
小川高校下 常陸小川から0.7㎞
1988年4月1日開業の比較的新しい駅でした。
桃浦 小川高校下から2.9㎞
交換可能。
八木蒔 桃浦から2.1㎞
浜 八木蒔から1.6㎞
玉造町 浜から1.4㎞
交換可能。
榎本 玉造町から3.7㎞
交換可能。
ジェット燃料輸送の貨物列車がここまで乗り入れていて、ここからパイプラインが百里基地まで延びていました。
このパイプラインの老朽化によって貨物列車が廃止になった事も、鹿島鉄道廃線の遠因となりました。
借宿前 榎本から1.9㎞
巴川 借宿前から2.3㎞
交換可能。
坂戸 巴川から1.3㎞
鉾田 坂戸から2.2㎞
鹿島鉄道でも各種記念乗車券が発売されていました。
石岡南台駅開業記念乗車券
新型車記念乗車券
80周年記念乗車券
開業区間ごとの乗車券を上から順に並べたものです。
1.石岡から常陸小川ゆき(1924年6月8日開業) 1・2号機
2.常陸小川から浜ゆき(1926年8月15日開業) キハ200形
3.浜から玉造町ゆき(1928年2月1日開業) キハ42200形
4.玉造町から鉾田ゆき(1929年5月16日開業) キハ42500形
この記念乗車券が発売されて3年後の2007年3月31日を持って、鹿島鉄道は廃線になってしまいました。
親会社の関東鉄道が、つくばエクスプレス開業で高速バス部門がダメージを受けて、サポートが難しくなってしまったというのが理由だったそうです。
末期には高校生主体の「かしてつ応援団」等の存続運動もありましたが、かないませんでした。
確かにローカル色が濃い路線ではありましたが、JRの東京近郊区間に接続していて、列車の運行本数も決して少なくなかったこの鉄道の廃線は、ちょっとため息が出てしまうなあ、と言うのが正直な印象です。
個人的には、各車両が色を変えた時点で、もう一度行っておけば良かったなあと、この記事を作りながらちょっと後悔している所です。
今日の記事は、
「ローカル私鉄車両20年・東日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「私鉄気動車30年」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル 1996年4月臨時増刊号 関東地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。
「私鉄気動車30年」では、冒頭で「消え去る鉄道」として、くりはら田園鉄道と鹿島鉄道を取り上げています。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
ところで、明日から3日間、九州に行ってきます。
このため更新を3日間お休みさせて頂きます。
旅行記は帰ってきてから当ブログで書きたいと思います。
いい写真が撮れるといいなあ。
2007年に廃止になった鉄道で、昨日はくりはら田園鉄道を取り上げました。
今日は茨城県の鹿島鉄道を取り上げます。
鹿島鉄道は1924年に鹿島参宮鉄道として開業。
当初の構想は、鹿島神宮へ参拝客を輸送するためだったようです。
なので、沿線の地名ではないのに「鹿島」の二文字が使われていたのでしょう。
もしこの構想が実現して鹿島神宮まで路線が延びて、しかも今も残っていれば、アントラーズのサポーターの足としても、活躍できていたのかもしれなかったですね。
1965年には常総筑波鉄道(のちの関東鉄道)に合併されて鉾田線となりました。
1979年に再び分社によって鹿島鉄道として、独立した鉄道会社として運営されていました。
首都圏にありながらローカル色が濃い事と、百里基地(来年民間共用で茨城空港になります)へのジェット燃料輸送の貨物列車が運行されていた事で人気がありました。
鹿島鉄道の車両と各駅の写真をご覧頂きます。
1.車両
キハ600
旧国鉄42500形で、卵形の半流線形のスタイルが独特でした。
旧関東鉄道入線後に正面を改造しています。
KR500形導入時に同色になりましたが、廃線直前にはクリーム+オレンジのツートンカラーに変わっていました。
キハ430
旧加越能鉄道加越線キハ120形。
1973年に入線。
これもKR500形導入時に同色になりましたが、のちに2両で異なるツートンカラーに変わっていました。
キハ714
元は夕張鉄道のキハ251で、1976年に入線しました。
大型なので、主に通学時間帯の列車に使用されていたようです。
唯一、KR500と同色にはなりませんでした。
KR500
石岡南台駅開業と同時にデビューした、軽快タイプのディーゼルカー。
鹿島鉄道最初にして、最後の新製車両でもありました。
曲線状のフロントガラスが特徴。
この車両のカラーが、一時は鹿島鉄道の標準色になりましたが、末期には同形式自体も、帯の色を1両毎に変えた新カラーになっていました。
DD13
ジェット燃料輸送用のディーゼル機関車。
171号機は国鉄の品川機関区で使用されていました。
2.駅
石岡
JRの管理駅。
ただし、ホームに鹿島鉄道の駅務室があり、記念乗車券等はここで発売していました。
構内には機関区が設けられていました。
石岡南台 石岡から1.5㎞
ニュータウンの開発に合わせて開業した駅です。
鹿島鉄道では唯一、平成になってから(1989年6月15日)の開業でした。
交換可能。
東田中 石岡南台から1.0㎞
玉里 東田中から1.1㎞
1988年4月1日に、信号所を格上げして開業した駅で、折返し列車の設定もありました。
新高浜 玉里から0.6㎞
四箇村 新高浜から0.9㎞
常陸小川 四箇村から2.0㎞
交換可能で、折返し列車も多数設定されていました。
小川高校下 常陸小川から0.7㎞
1988年4月1日開業の比較的新しい駅でした。
桃浦 小川高校下から2.9㎞
交換可能。
八木蒔 桃浦から2.1㎞
浜 八木蒔から1.6㎞
玉造町 浜から1.4㎞
交換可能。
榎本 玉造町から3.7㎞
交換可能。
ジェット燃料輸送の貨物列車がここまで乗り入れていて、ここからパイプラインが百里基地まで延びていました。
このパイプラインの老朽化によって貨物列車が廃止になった事も、鹿島鉄道廃線の遠因となりました。
借宿前 榎本から1.9㎞
巴川 借宿前から2.3㎞
交換可能。
坂戸 巴川から1.3㎞
鉾田 坂戸から2.2㎞
鹿島鉄道でも各種記念乗車券が発売されていました。
石岡南台駅開業記念乗車券
新型車記念乗車券
80周年記念乗車券
開業区間ごとの乗車券を上から順に並べたものです。
1.石岡から常陸小川ゆき(1924年6月8日開業) 1・2号機
2.常陸小川から浜ゆき(1926年8月15日開業) キハ200形
3.浜から玉造町ゆき(1928年2月1日開業) キハ42200形
4.玉造町から鉾田ゆき(1929年5月16日開業) キハ42500形
この記念乗車券が発売されて3年後の2007年3月31日を持って、鹿島鉄道は廃線になってしまいました。
親会社の関東鉄道が、つくばエクスプレス開業で高速バス部門がダメージを受けて、サポートが難しくなってしまったというのが理由だったそうです。
末期には高校生主体の「かしてつ応援団」等の存続運動もありましたが、かないませんでした。
確かにローカル色が濃い路線ではありましたが、JRの東京近郊区間に接続していて、列車の運行本数も決して少なくなかったこの鉄道の廃線は、ちょっとため息が出てしまうなあ、と言うのが正直な印象です。
個人的には、各車両が色を変えた時点で、もう一度行っておけば良かったなあと、この記事を作りながらちょっと後悔している所です。
今日の記事は、
「ローカル私鉄車両20年・東日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「私鉄気動車30年」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル 1996年4月臨時増刊号 関東地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。
「私鉄気動車30年」では、冒頭で「消え去る鉄道」として、くりはら田園鉄道と鹿島鉄道を取り上げています。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
ところで、明日から3日間、九州に行ってきます。
このため更新を3日間お休みさせて頂きます。
旅行記は帰ってきてから当ブログで書きたいと思います。
いい写真が撮れるといいなあ。