昨日の「JTB時刻表大研究 2002年」で、〈十大トピックス〉の中に、「有田鉄道廃止」を上げました。
有田鉄道は、元々は沿線で作られたミカンを湯浅の港に運ぶために造られた鉄道でした。
その後、旧国鉄が紀勢西線を建設した事で、戦後は、湯浅~藤並間は紀勢西線に乗り入れるという形になりました。
1982年4月の「交通公社の時刻表」に寄れば、藤並~湯浅間は11往復の設定があり、内4往復は湯浅直通でした。
金屋口発藤並行 7:00湯 8:05 9:13湯 10:18 12:13湯 13:43 14:16 15:11 16:31湯 17:18 18:00
藤並発金屋口行 7:33湯 8:39 9:50湯 11:10 12:47湯 14:02 14:38 16:05 16:54湯 17:40 18:35
(湯…湯浅行又は湯浅発時刻)
湯浅~藤並間は、国鉄紀勢本線の時刻表にも掲載され、〔気〕(□に“気”)のマークがありました。
しかし、国鉄時代末期の貨物合理化もあって貨物列車は廃止、旅客列車も削減が続いた挙句、1995年には休日(後には第2・4土曜日も)が全面運休になりました。
結局2002年の大晦日を持って廃線となりましたが、その時点では、
金屋口発藤並行 9:35 11:35 藤並発金屋口行 10:00 12:00
の2往復のみという、鉄道としては信じられないダイヤになっていました。
ここでは、旅客用車両と、全ての駅の写真をご覧頂きます。
(1) 車両
ハイモ180-101
最後を飾った旅客車両。
元は樽見鉄道で使用されていた2軸レールバス「LE-CarⅡ」で、1994年に入線。
樽見鉄道時代に鉄道友の会ローレル賞を受賞しています。
その車内。
座席の向きが左右で逆ですが、いかにもバスそのもの。
こういう小型車が数往復するだけで終わってしまうようなら、やはり鉄道として維持していくのはほとんど不可能でしょう。
キハ58003
1975年に富士急行からやってきました。
富士急行は最初から電化された鉄道ですが、大月から旧国鉄のディーゼル急行に併結させるため製作した車両です。
3両あって、58001・58002は片運転台、写真の58003が両運転台。
58003は、ハイモ180が入線するまでの主力でした。
ただ、末期はほとんど動ける状態にはなかったようです。
58001+58002はラッシュ時に編成を組んで運用されていましたが、ハイモ180導入時に廃車になりました。
その車内。
やはり国鉄急行型と同じ。
(2) 駅
駅は全て1992年2月12日の撮影です。
藤並駅
田殿口駅
下津野駅
御霊駅
金屋口駅
手前は本社で、駅舎は奥になります。
駅に隣接する車庫。
一番右に見えるのがキハ58002。
連結面をさらして庫内にいるのは、部品取り用に購入した旧国鉄キハ58かも知れません。
今日の記事は、
「ローカル私鉄車両20年・西日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「私鉄廃線25年」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル2000年5月増刊号 関西地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。
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