№79 関東鉄道常総線 旧塗装復刻車を探してはみたけれど

 先日はフライングを犯してしまいましたが、今日16日が、当ブログを開設してから3ヶ月になります。
 拙い文章のオンパレードで、ダメダメな記事ばかり書いていますけれど、これからも少しずつでも、皆さんが楽しんで頂けるようなブログ作りに努めていきます。
 今後ともよろしくお願いいたします。
 できれば、感想・意見などのメールが欲しいですね。

 さて、前日の台風のような雨・風から一転、早朝から快晴になった昨日15日、関東鉄道常総線を訪問。
 個人的には相当久し振り。
 たぶん、つくばエクスプレス(TX)開通後では初めて。
 目当ては先日運行を開始した5000形、そして各種復刻塗装をまとった100及び350形。

 早朝7時30分過ぎ、TXを守谷で降り、関東鉄道の駅で1日乗車券(1,500円 土休日のみ発売)を購入して、取りあえずは水海道行に乗車。
 しかし、350は旧塗装復刻編成(353+354)、スカイブルー編成(3518+3519)は、どちらも南水海道の車両基地の奥に留置。
 少なくとも、今日は出番がなさそうだな…。
 後は101(旧国鉄首都圏色)はどうだろう?
 車庫の中にはいなかったように見えたのだけれど…。
(なお、常総筑波鉄道色の102は、登場直後に撮影済みです。)

 一方、5000形の方は、水海道で、下館から着いた普通列車が5001だったけれど、これは回送で南水海道へ。
 後続の守谷行快速が5002。
 これが守谷へ行って、折返しの快速で下館に戻って、再び帰ってくる所を撮影する事にして、それまでは101が来るのをどこかで待つ事にします。
 下館行に乗り、次の北水海道で降りて、その先の踏切付近で待っていました。
 しかし…

 やってくるのは2200形、あるいは2400形ばかり。
 100形は運用されていないようでした。
 残念ながらとりあえず100形は諦め、5002にしぼって撮影する事にします。

 北水海道から南石下まで移動、その先の踏切で待ちます。

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 折返しも快速。
 これ、乗換なしの取手行なのですが、単行のままで直通するのでしょうか?

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 関東鉄道は警報器・遮断管のないローカルな踏切が多いので、こんな看板が立っています。
 快速列車の運行が始まった時点で設けられたようです。

 撮影後、石下駅まで歩いたのですが、これは失敗。
 思ったより距離があり、10時28分の下館行には乗り遅れてしまいました。

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 関東鉄道では今年3月、ICカード「PASMO」を導入しました。
 全線非電化の鉄道会社でICカードが導入されたのは、全国初です。
 水海道まではIC対応改札機がありますが、その先はやはりローカル線らしく、駅員がいる駅でも、写真のような簡易タイプの改札装置が置いてあります。

 次の10時53分下館行(55列車)、これが常総筑波鉄道色の102でした。
 最初は騰波ノ江まで行くつもりでしたが、途中の宗道駅も駅舎が建て替えられているようだったので、降りて見学してみます。

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 ユニークな形態で、温かみも感じる駅舎に代わっていました。
 中では、陶芸作品の展示も行なわれています。
 ただし、駅員がいるのは平日の午前中のみ。

 参考までに、1996年(たぶん5月5日)に撮影した、旧駅舎の写真をご覧頂きます。

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 駅舎だけでなく、付近一帯も整備されているようです。

 次の下りは快速で、宗道は通過。
 その次の普通列車は待ち時間が長いので、少し遠いけれど延々待つよりはと、下妻駅まで歩きます。

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 宗道~下妻を、筑波山をバックに、水海道に向かって走る単行。

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 下妻駅に併設されている、関鉄パープルバスの下妻営業所。
 路線バスのほか、高速バスや貸切バスの姿も見られます。
 しかし、路線バスの方は、現在は土浦行とつくばセンター行のみ。
 やはりここでもローカル線の整理は急なようです。

 下妻など、駅員が常駐する駅(一部)では、記念乗車券を発売しています。

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騰波ノ江駅新駅舎竣工記念乗車券
 去年の10月の発売です。

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新車両導入記念入場券・記念乗車券
 こちらは今年の10月の発売。
 どちらも、台紙に入った硬券のセット。

 次の11時58分で、再び騰波ノ江を目指します。

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 大宝駅で、先のキハ102の取手行(82列車・水海道乗換)の待ち合わせ。
 常総筑波鉄道(1945年~1965年)時代のカラーは、当然ながら国鉄キハ30がまとった事はありません。
 最近の各地の旧塗装復刻でよくある、「過去にそのカラーをまとった事がない車両による旧塗装復刻車」です。
(これについては、機会があったら取り上げたいと思います。)
 大宝駅は、去年のダイヤ改正時に交換設備が設けられました。

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 騰波ノ江駅の新駅舎。
 新しいだけにスッキリした印象があります。
 土台が嵩上げされていますが、スロープが設けられ、バリアフリーにも対応しています。
 駅名標が多少安っぽいかな、という感じはしました。
 
 ここでも1996年に撮影した旧駅舎の写真をご覧頂きます。

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 ここも駅舎そのものだけでなく、付近一帯も整備されていて、パーク&ライド用の駐車場も整備されています。

 12時23分の取手行(水海道乗換)で、守谷に戻る事にします。
 しかし、TX開通時あたりから、水海道~下館は随分本数が多くなりました。
 1時間に2本程度は本数が確保されて、かなり大盤振る舞いという感じもします。
 特に下妻より先はさらにローカル色が濃くなり、正直乗客はそれ程多くはないのですが。
 もちろん、本数が多いのは結構な事で、こういう積極姿勢は買えると思います。

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 下妻~宗道で、今度は車内から筑波山を眺めます。
 こういう路線は、クロスシート車でのんびり車窓を眺めてみたいとは思います。

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 守谷駅は、TX開業と同時に、まったく変わりました。
 2面4線で、TX駅と直結する橋上駅舎。
 非電化私鉄路線としては破格です。

 ここも、1996年に撮影した、改築前の駅舎をご覧頂きます。

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 本当に守谷駅?
 改築、というより、まったくの新駅を建設した形です。
 この当時は、むしろ1982年に開業した、隣接の新守谷駅の方が、ニュータウンを控えている上に、市役所が近い事で守谷市の中心になっていた感があります。

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 水海道始発で、取手行として守谷駅に進入する、先の5002号車。
 快速で取手についた後は、水海道との間の折返し運転に入っているようです。
 今は取手にも単行が入っているのですか。
 15年位までは、ラッシュ時には5両編成も走っていたらしいのですが…。

 最後に、やはりバスが中心(のはず?)のブログですから、駅前の西口で撮影した、関東鉄道のバスを数枚ご覧いただきましょう。

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関東鉄道 1981MK
 守谷市コミュニティ「モコバス」。
 このコミュニティは、以前は「やまゆり号」と呼んでいましたが、再編成が行なわれたみたいで、ローザもその時に導入されたようです。
 後部にはリフトもあります。
 なお、公式側は写真のデザインで統一されていますが、非公式側は車両によって描かれているイラストの景色が異なっているようです。
 それと、「やまゆり号」時代のノンステップ車(KK-MK26HF)も、ラッピングでローザと同じデザインになっています。

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関東鉄道 9317MK
 たぶん(松戸)新京成バスではないかと。
 猿島バスターミナルに行く急行バスの運用です。

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関東鉄道 1989MK
 最新鋭と思われる、エルガ・ノンステップ。
 「北守谷シャトル」というバスで、北守谷公民館に向かう所です。
 純粋な関東鉄道バス路線ではなく、コミュニティ的な性格があるようです。
(関東鉄道のWebサイト上には掲載がありません。)
 上の3枚については、12月1日(11月30日夜間)に、本体にアップする予定です。

 この他、10月13日より、あみプレミアム・アウトレットへの高速バスが運行されています。
 車両は、常磐高速線と共通のトイレ付車両が運用されています。
 片道1,000円ですが、往路で利用した後、買い物をすると、復路が無料(利用券がもらえる)になるそうです。

 時刻はまだ15時を回ってはいませんでしたが、今日は夕方に大事な用事があったので、これで帰る事にします。

 残念ながら、本来の目的の一つ、復刻塗装をまとった100及び350形の撮影はかないませんでした。
 今日は日中に限ると、水海道~下館1往復を除くと、全列車が2000形シリーズ、または5000形でした。
 常総線は今月ダイヤ改正を行なったばかりですが、100形に関して言うと、現在既に2200形が4両、2400形が6両、それに新たに5000形が2両加わった事で、単行列車の運用は全て新型でまかなえるようになったはずで、100形の出番はほとんどなくなった感じがしました。
 350形(あるいは0形・310形も)にしても、既に2100及び2300形が11編成ある上に、取手まで単行の列車が設定されるようになった今では、平日朝方のラッシュ時以外では運用される機会が激減してしまったかも知れません。
 今日の結果があくまで偶然なら、まだ撮影のチャンスはあるでしょう。
 しかし、もし今回のダイヤ改正の結果、旧型車の運用が相当限定されているとしたら、今後幸運を期待する以外に、これらの車両を撮る機会はないのかも知れません。
 あくまで昨日1日だけでは判断し切れませんが…。
 いずれにしろ、100形や350形、あるいは0形や310形も、もし撮影するのであれば、多少急いだ方が良い気がします。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

№78 JTB時刻表大研究 2000年

 昨日は一日休みを頂きました。
 昨日の関東地方は、まるで台風がやってきたかのように雨・風が強かったのですが、今日は一転、朝から快晴になりました。
 という事で、今日は関東鉄道常総線の沿線で撮り歩きをしてきました。
 本来の目的は、キハ100及びキハ300の旧塗装復元車だったのですが、今日は不発。
 常総筑波鉄道色のキハ102が水海道~下館を1往復しただけで、他は南水海道の車庫から出てこなかったようです。
 5000形デビューと今月のダイヤ改正で、特に土休日は2000形シリーズ・5000形の運用ばかりになったのかも知れません。
 この撮り歩きについては明日書きたいと思います。

 さて、「JTB時刻表大研究」、今回はいよいよミレニアムの2000年です。
 東海道・山陽新幹線のサービスの方向性は、さらにビジネスユース中心に振れてきたようです。
 3月11日にJRグループ統一の改正を行った後、9月23日に西日本(アーバンネットワーク)、10月1日に東海道・山陽新幹線、12月2日にJR東日本でダイヤ改正が行なわれました。
 首都圏の地下鉄の整備が一気に進みました。

《2000年の十大トピックス》
◆ 山陽新幹線に「ひかりレールスター」デビュー
 〈のぞみ〉用700系のバリエーションではありますが、初の山陽新幹線専用車という事になります。
 最初からグリーン車の設定がないのも新幹線では初めてで、普通車の指定席を2-2の4列にしています。
 一部ながらパソコンの使用を想定したコンセントが設けられたり、「サイレンスカー」を設定するなど、相当ビジネス客を意識したサービスを提供しています。
 3月11日に14往復(区間運転含む)で営業を開始し、4月22日に追加で設定されました。
 10月改正では東海道新幹線も含めてダイヤ改正が行われ、<のぞみ>のほとんどが500系・700系に統一された他、山陽直通は全列車新横浜停車になっています。

◆ 宗谷本線特急〈スーパー宗谷〉運転開始
 3月11日より運行を開始。
<スーパー宗谷>に運用される261系DCは車体傾斜制御システムを保有していて、札幌~稚内は4時間58分に短縮されています。
 それまでの急行<宗谷><サロベツ>と比較して1時間程度の短縮。
 北海道では最後まで昼行急行が設定されていた宗谷本線もついに全面特急化され、〈スーパー宗谷〉が2往復、183系の〈サロベツ〉〈利尻〉(夜行で寝台車併結)1往復ずつという陣容になりました。

下り
 スーパー宗谷1号 札幌8:30 → 13:28稚内
 サロベツ 札幌12:20 → 17:50稚内
 スーパー宗谷3号 札幌17:22 → 22:20稚内
 利尻 札幌23:00 → 6:00稚内
上り
 スーパー宗谷2号 稚内7:37 → 12:35札幌
 サロベツ 稚内13:45 → 19:05札幌
 スーパー宗谷4号 稚内16:53 → 21:51札幌
 利尻 稚内22:00 → 6:00札幌

 これで北海道の定期急行は青森行の〈はまなす〉のみとなり、道内で完結する列車では全て廃止になりました。

◆ 885系「白いかもめ」デビュー
 3月11日より運行を開始。
 24往復16往復が置き換えられ、博多~長崎は最速1時間47分(43号 博多20:02 → 22:57長崎)になりました。
 時刻表上では「かもめ型車両」と表現していました。
(残り8往復は783系「ハイパーサルーン」)
 5月号の「新のりもの風土記シリーズ1」で取り上げられています。

◆ 仙石線仙台付近地下線化 あおば通へ延伸
 3月11日に仙台~陸前原ノ町が地下線化され、仙台側はさらにあおば通まで延伸しました。
 市営地下鉄南北線への乗り換えはあおば通駅が便利だとPRしています。

◆ 東海道・山陽新幹線の食堂車が営業終了
 「ひかりレールスター」デビューの影で、「グランドひかり」で残っていた食堂車の営業が、ダイヤ改正の前日、3月10日を持って終了しました。
 最後は東京~博多でわずか4往復でした。
 これで、原則予約不要で利用できる本格的な食堂車は、日本からは消えてしまいました。

◆ 営団南北線・東京都営三田線延伸 東急目黒線と直通運転開始
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 9月26日に営団南北線は目黒~溜池山王、都営三田線は目黒~三田が開業し、同日より東急目黒線・武蔵小杉までの相互直通運転を開始しました。
 南北線は全線地下だし、ホームドアもあるので、9000系をじっくり見られる(撮れる)チャンスはこれまで全くありませんでした。
 都営三田線の目黒~白金高輪は営団南北線と線路を共用。
 線路・駅は営団の保有ですが、都営自身も第2種免許を保有し、営団と並行して営業を行なう形になります。
 (なので都営の運転士も目黒まで乗務。)
 これに先立ち、東急側では8月6日に目蒲線の運転形態を変更、目黒側を目黒線とし、多摩川~蒲田は東急多摩川線と改称して、線内折返し運転に変更しています。

◆ 東京都営大江戸線 全線開通
 まず4月20日に新宿~国立競技場間が開通。
 この時点で、既に開業していた区間も含めて「大江戸線」の名がつきました。
 そして、12月12日に全線開通。
 路線名選定の経緯も含め、一部物議をかもし出した6の字運転ですが、これを持って都庁前~春日~六本木~都庁前~光が丘の40.7㎞が全通、横浜市営(1・3号線 「ブルーライン」)を抜いて日本最長の地下鉄路線になりました。

◆ 左沢線「びゅうコースター風っ子」運転開始
 貨車改造のトロッコ列車の代替のディーゼルカー。
 6月11日に快速「さくらんぼ風っ子」でデビューし、以降JR東日本エリアの各地で姿が見られる事になります。
(2005年11月には首都圏の青梅線で運行の実績あり。)

◆ 有珠山噴火で室蘭本線迂回運転実施
 有珠山が3月31日に、28年振りに噴火し、室蘭本線の長万部~東室蘭が不通となりました。
 函館本線(山線)経由の特急〈北斗〉(臨時扱い)が6往復設定されましたが、最速でも3時間59分となり、室蘭本線経由と比較して1時間程度余計にかかっています。
 長万部~札幌では倶知安・小樽に停車していました。
 東室蘭~札幌には愛称のない臨時特急が7往復設定されました。
 寝台特急も函館本線経由で運行されましたが、一部は函館~札幌が運休になったとの事。
 また、函館本線(山線)は国鉄時代末期よりローカル線化していたため、特急(及び貨物列車)の迂回運転のため線路容量が不足し、一部の普通列車は運休、バス代行という事態も起きています。
 室蘭本線では後に日中の普通列車のみ運行を再開し、6月8日には全面的に復旧しました。
 函館本線(山線)では、今後の迂回運転に備え、一部の駅で撤去していた交換設備の復旧を行なっています。

◆ 天草空港開港 天草エアライン就航
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 天草空港は3月23日に開港し、同日より天草エアライン(AMX)が天草~福岡線、天草~熊本線に就航しました。
 AMXは後には熊本~松山(後に神戸に変更)線も開設しますが、就航から10年近く経った今も、写真のDHC-8-300の1機だけでのんびり?と営業しています。
※実は来月、福岡→天草線に搭乗する予定です。
 搭乗記を当ブログで書きたいと思います。

◆ その他
○団体割引の利用条件緩和(15人以上→8人以上)
○筑肥線複線化 ダイヤ改正
○さいたま新都心駅開業
○京都市営烏丸線~近鉄奈良 直通急行運転開始
○「淡路花博 ジャパンフローラ2000」開幕

《表紙の写真・巻頭グラビア》
1月号 長野新幹線
 雪景色の中を快走するE2系。
連載特集・日本の旬「睦月」
◆ 「新年西海道」
◆ 「西海冬味わい」
◆ 「乗る 九州」 など
◆ 駅弁細見151 さば寿司(別府駅)

2月号 中央線〈スーパーあずさ〉
 E351系と梅。
連載特集・日本の旬「如月」
◆ 「雪 夢心地」
◆ 「雪・湯・味わい」
◆ 「雪 乗る」 など
◆ 駅弁細見152 雪ん子姉妹ずし(新潟駅)

3月号 ひかりレールスター
 表紙写真の下部には「Rail Star」のロゴも書かれています。
連載特集・日本の旬「弥生」
◆ 「鳥 見旅」
◆ 「より鳥 地鶏」
◆ 「鳥 乗る」 など
◆ 駅弁細見153 きじ御膳(品川駅)

4月号 土讃線(阿波川口~小歩危間)
 2000系。
連載特集・日本の旬「卯月」
◆ 「花 日和」
◆ 「桜 花づくし」
◆ 「花 乗る」 など
◆ 駅弁細見154 桜えびめし(沼津駅)

5月号 長崎本線(多良~肥前大浦) 
 885系〈かもめ〉。
 グラビアでは新連載が始まりました。
●旬の駅から小さな旅へ1 新庄駅
●新のりもの風土記シリーズ1 春の西九州 白いかもめ
●駅弁細見155 峠の機関車(軽井沢駅)
 
6月号 富良野線(臨)ラベンダー畑付近
 ラベンダー畑の向こうを、キハ150の単行が走ります。
●旬の駅から小さな旅へ2 福山駅
●新のりもの風土記シリーズ2 ひかりレールスターで行く C57『やまぐち号』
●駅弁細見156 料理弁当 瀬戸内紀行(広島駅)
 
7月号 羽越本線(吹浦~遊佐)
 485系(上沼垂色)の〈いなほ〉。
 バックは鳥海山。
●旬の駅から小さな旅へ3 佐原駅
●新のりもの風土記シリーズ3 本州のてっぺんを走る スーパーはつかり
●駅弁細見157 こんぴら参り(高松駅)

8月号 山陰本線(折居~三保三隅)
 181系〈いそかぜ〉。
●旬の駅から小さな旅へ4 伊豆急下田駅
●新のりもの風土記シリーズ4 トロッコ列車 この夏コレクション
●駅弁細見158 けっから飯(旭川駅)

9月号 小海線(小淵沢~甲斐小泉)
 キハ110の単行。
●旬の駅から小さな旅へ5 紀伊勝浦駅
●新のりもの風土記シリーズ5 ファンタジックな鋼索鉄道 生駒ケーブル
●駅弁細見159 美濃囲い王将(岐阜羽島駅)

10月号 米坂線(羽前沼沢~手ノ子)
 紅葉の中を行くキハ58+キハ28(新潟色)。
 ちなみに2両とも非冷房車です。
●旬の駅から小さな旅へ6 稚内駅
●新のりもの風土記シリーズ6 この秋、山梨が楽しい ジャーニー八ヶ岳号
●駅弁細見160 みやぎ黄金海道(仙台駅)

11月号 釧網本線
 釧網本線(塘路~茅沼)
 湿原の中を走るキハ54の単行。
●旬の駅から小さな旅へ7 長崎駅
●新のりもの風土記シリーズ7 紅葉の秋を楽しむ ボンネットバス
●駅弁細見161 びっくりみそかつ(名古屋駅)

12月号 高山本線(笹津~東八尾)
 神通川を渡るキハ120の3連。
 この年は全体的にローカル線・ローカル列車が多いようです。 
●旬の駅から小さな旅へ8 和倉温泉駅
●新のりもの風土記シリーズ8 20世紀最後の師走 冬の列車トピックス
●駅弁細見162 日本海鰰(ハタハタ)すめし(秋田駅)

《裏表紙の広告》
 偶数月は8月からスポンサーが代わりました。
1月号 トヨタレンタカー
2月号 横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ
3月号 トヨタレンタカー
4月号 横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ
5月号 トヨタレンタカー
6月号 横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ
7月号 トヨタレンタカー 
8月号 大塚製薬 ポカリスエット
9月号 トヨタレンタカー
10月号 大塚製薬 ポカリスエット
11月号 トヨタレンタカー
12月号 大塚製薬 ポカリスエット

《その他》
「2000年問題」という事態があったのはご存知と思います。
 2000年1月1日になったとたんに、コンピューターが誤作動を起こすというもの。
 これに対応するため、年を跨いで運行する鉄道は、日付が変わる直前に最寄の駅に停車させて、日付が変わった後安全を確認して運転を再開するという措置がとられました。
 1月号(1999年12月号も)の「NEWS」ではなぜかJR東日本だけが対応するように読めますが、実際はほとんど全ての鉄道で行われたはずです。

 2000年12月31日~2001年1月1日にまたがって運行される一部の列車には、20→21の世紀のまたがりを記念して「21世紀」「ミレナリオ」の名をつけて運行される列車が多数運転されました。
 東北・上越・長野各新幹線でも、東京を23時を過ぎて到着する列車には「ミレナリオ」の5文字が列車名につけられています。
(<ミレナリオMAXあさひ336号>のように)

 国鉄時代末期からスキーシーズンに運行されてきた〈シュプール号〉ですが、関東地域に関しては1999-2000シーズンを最後に廃止、2000-2001シーズンは〈アルペン号〉の名前で3ルート運行されるに留まっています。
 
《定価》
1~11月号    970円(本体 924円)
12月号     1050円(本体1000円)
 ついに1000円の大台に乗ってしまいました。

※その他のトピックス
◆ シドニー五輪女子マラソン 高橋尚子金メダル
◆ 大阪府に日本初の女性知事
◆ 三宅島噴火災害 全島民避難
プロ野球日本シリーズ 巨人(4-2)ダイエー MVP:松井秀喜
日本ダービー優勝馬 アグネスフライト 鞍上:河内洋


 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

№77 1999年廃止 蒲原鉄道

 まず、お詫びです。
 昨日の記事の冒頭で、「昨日で当ブログが始まって3ヶ月」みたいな事を書いてしまいました。
 当ブログが始まったのは8月16日でした。
 8月12日には、他に個人的に大事な出来事があって、それとごちゃ混ぜになってしまったようです。
 昨日の記事の冒頭については、削除の上再公開させていただきました。
 本当に申し訳ありませんでした。

 昨日の「時刻表大研究 1999年」の〈1999年の十大トピックス〉の中で、新潟交通と蒲原鉄道の廃線を挙げました。
 新潟交通については、本体の「新潟交通・アーカイヴ」で取り上げていますので、そちらをご覧下さい。
 今日は蒲原鉄道を取り上げます。
 蒲原鉄道は信越本線の加茂と、磐越西線の五泉の間を走るローカル鉄道でした。
 加茂~村松は1985年に廃止。
 残った村松~五泉はわずか4.2㎞ではありましたが、JR線へのアクセスとして機能し、JRに接続するダイヤが組まれていました。
 しかし、車両・施設の老朽化が進んだ事、それと個人的な推測ですが、自らが新潟駅行の高速バスの運行を開始したため、鉄道のJRへのアクセスの意味が失われたと思われる事で、1999年の10月3日を最後に、残存区間も廃止に追い込まれる事になりました。
 短区間ではありましたが、最後まで釣掛駆動の旧型車のみが使用されていた事で、人気がありました。

(1) 車両

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モハ31
 モハ21の下回りを利用し、新製車体を組み合わせた、蒲原鉄道オリジナル車両。
 1952年製という、戦後生まれです。

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モハ41
 これもモハ13の下回りと新製車体というオリジナル車(1954年製)で、当初はモハ31と同形態でしたが、後に車体を延長、3ドア化されました。

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モハ61
 元は武蔵野鉄道(今の西武鉄道の前身)のクハ5856。
 蒲原鉄道譲渡に際してモハ化・両運転台化されました。
 写真のツートンカラーは西武時代のものでしたが、これがそのまま蒲原鉄道のカラーとなって他の車両に広がりました。

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モハ71
 こちらも元は武蔵野鉄道のデハ1322。
 西武時代に一度クハ化されましたが、蒲原鉄道譲渡の際に再びモハ化、及び両運転台化されました。

 以上のモハ4両はいずれもワンマン化され、廃線まで使用されました。
 ただ、何しろ基本的に1両が行ったり来たりするだけのダイヤなので、何が来るかはその時の運次第、ではありました。

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クハ10
 国鉄の機械式気動車キハ41120。
 蒲原入線時にクハとなり、末期にはラッシュ時に1往復していました。
 モハ71とペアを組む事が多かったようです。
(ただし、撮影時はモハ61と編成を組んでいた。)
 車内はクロスシートのままでした。

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ED1
 貨物用として導入された電気機関車ですが、貨物列車廃止後は村松駅構内の入換、及び冬季の除雪が主な役目になっていました。
 アメリカ・ウエスチングハウス社のスタイルを模していますが、国産です。

(2) 駅
 何しろ短区間であり、駅は3つだけでした。

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村松駅
 村松町(現在は五泉市に統合)の交通の要衝でもあり、駅前からは近郊の各地へ向かうローカルバスのターミナルにもなっていました。
 加茂まで鉄道があった時代も、ここで長時間の調整を行なう列車もあったそうです。
 なお、新潟交通のバスが見えますが、新潟駅行の高速バスです。

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 その駅舎の中。
 1980年に改築されたので、中は近代的です。
 蒲原鉄道の本社も入っています。

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 ホーム。
 加茂への路線が廃止になった後は、基本的には右側の2番線を使用していたようです。

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 村松駅構内の車庫。
 いかにも地方ローカル私鉄らしい、どこか雑然とした感じもします。
 車両は左からモハ41、ED1、モハ31、モハ61、モハ71で、電動車勢ぞろい。
 五泉からの本線は、一番左の線路です。
(ただし、撮影時は構内入換中。)

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今泉駅
 路線短縮後は唯一の中間駅。

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五泉駅
 JRの駅舎の隣に独立した駅舎があり、駅員が常駐していました。
 ただし、改札を入るとJRの1番線ホーム(会津若松方面行)で、JRと同じ跨線橋を渡り、2番線ホーム(新潟方面行)を経由、構内の踏切を横断して蒲原鉄道専用ホームの4番線に行く事になります。
(3番線は使用せず。)
 北日本のローカル私鉄ではよくあったスタイルです。
 近い所では新潟交通の燕駅もそうでした。

 ここからは昔話になりますが、過去には1987年、1988年、1990年にも訪れています。
 これからはその時の写真の中から、何枚かをご覧頂きます。

《1987年》
 11月22日に訪れましたが、この時は確か早朝に来て1往復して終わっただけのはずです。
 なので、あまりきちんと見ていただける画像がありません。

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 改装前の五泉駅駅舎。

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 五泉駅ホーム。
 停車しているのはモハ61です。

 ローカル私鉄ではよくあった事ですが、期限が切れた記念乗車券を、使用できない事を断った上で継続して発売する場合がありました。
 私が訪れた時の蒲原鉄道でも、期限が切れた2種類の記念乗車券を発売していました。

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村松駅改築記念乗車券
 3枚セットの内の1枚で、旧駅舎。
 うわー、いい駅舎だなあ。
 後の2枚はモハ41(「善作前附近」と書いてあるけれど、そういう駅はなかったので、地区の名前なのでしょう。)と、村松駅新駅舎の完成想像イラスト。

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村松~加茂 廃止記念乗車券
 これも3枚セットで、後の2枚は高松付近を走るモハ41と、東加茂駅。

《1988年》
 翌9月22日にも訪問。
 電車やバスに乗った他、廃線の跡(といっても村松付近のみ)も見ています。
 その中から1枚。

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 西村松駅のホームの跡。
 この当時はまだ原型を留めたまま、その姿を残していました。

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 近くの公園には、モハ11が保存されていました。
 村松~加茂廃線まで使用されていたそうです。

 この時の訪問は、ひょっとしたら電車よりもバスの方が目当てだったかも。
 何しろ、日産ディーゼルの2サイクル、4R94が相当数残っていたのですから。

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 鉄道の駅の裏にはバスの車庫がありました。
 車庫の外の公道から撮影したものです。
 4R94の他、神奈中から来たいすゞ(北村ボディ)の姿も見えます。

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 4R94に乗って着いた、刈羽のバス停。
 刈羽は、循環系統の中間に位置するバス停です。

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 村松駅に発着するバスの時刻表。
 ローカル路線ばかりでしたが、当時はまだそれなりの本数が運行されていました。

《1990年》
 ゴメンナサイ。1月の事なのですが、具体的な日にちは不明です。
(1月25日だったと思いますが…。)

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 運が良かった、という事なのか、除雪で出動したED1を見る事ができました。

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 この当時のモハ31は「お魚電車」と称して、全体が魚のイラストでペインティングされていました。

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 加茂側の東加茂駅舎。
 村松からのバスを利用したのではなく、JRに乗り、加茂で途中下車して見に行ったはずです。
 これもまたいい駅舎ですねえ。
 鉄道廃止後は旅行代理店として利用されていたようです。


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創立70周年記念乗車券
 この後も蒲原鉄道は数回訪れているはずなのですが、きちんとメモを取っていないので、具体的にいつ来たかというのはちょっと思い出せなくなっています。
 申し訳ありません。
 1992年9月の70周年記念乗車券は5枚セット。
(ただし1枚は1923年(大正12年)の乗車券を模したダミーで使用不可。)

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 写真の乗車券の裏面には、廃止区間も含めた電車・バスの簡単な路線図が記されていました。

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電車線廃止記念乗車券
 最後の記念乗車券。
 これも5枚セットでした。

 蒲原鉄道の電車が廃止になって、ちょうど10年が経ちました。
 会社そのものはバス会社として残っていて、社名もそのままです。
 ただ、村松~新潟高速バスと貸切バスのみ直営で、ローカル路線はすべて蒲鉄小型バスに移管。
 その蒲鉄小型バスもこの10年で急激に路線を減らし、今年の9月一杯で加茂への路線が廃止になったそうです。
 鉄道の代替バスだったはずですが、これで加茂市内からは完全に撤退です。
(代わりに村松町地域は五泉市コミュニティバス、加茂市内は加茂市営市民バスが運行され、後者は村松への路線も運行。)
 上に上げた刈羽への路線も、現在は五泉市コミュニティバスによる運行だそうです。
 鉄道廃止以降、この地域を訪れた事は残念ながらないのですが、このままだと残された蒲鉄小型バスもいつまで運行が維持できるかわかりません。
 せめて、残存2路線の運行が残っている間に、もう一度訪れる機会を作れれば、と考えています。

 今日の記事は、
「鉄道廃線跡を歩く Ⅱ・Ⅸ」(宮脇俊三編著・JTBキャンブックス)
「ローカル私鉄車両20年・東日本編」(寺田裕一・JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル1998年4月増刊号 甲信越・東海地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
を参考にさせて頂きました。


 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)