スミマセン。2日間お休みしてしまいました。
さて、既に当ブログでも何度か書いていますが…。
首都圏の大半の路線バス事業者で導入されていた、磁気式のプリペイドカード、「バス共通カード」が、来年(2010年)の7月一杯を持って、サービスを終了する見込みになりました。
民営事業者に関しては、導入全社がプレスリリースで発表済みです。
(京成トランジットバス・ちばシティバス・千葉内陸バスはWebサイトなし)
ただ、公営は、横浜市営は発表済みですが、東京都営はまだ発表なし。
また、川崎市営は廃止に当たって、市民よりパブリックコメントを募集するとしています。
カードの発売終了日は、事業者によって異なっています。
一番早い箱根登山バスは3月5日。
国際興業・京王・相鉄は3月15日。
東武・朝日グループは4月10日。
他の事業者は3月31日としています。
使用終了は足並みを揃えて7月一杯。
その後は5年間、無手数料で払戻をするという事です。
(PASMO・Suicaへの残額移し変えは不可)
その他、各事業者が個別に発売していた、自社専用の磁気カード(一日乗車券等も含む)も全て廃止になるようです。
廃止に当たっての理由は各者が様々にコメントしていますが、
①2007年3月に導入が開始されたICカード「PASMO」への移行が順調に進んでいる事
②使い捨ての「バス共通カード」より、繰り返し使える「PASMO」等の方が、環境に優しい
③ICカードと磁気カードの二重の投資は困難
という所に集約されるようです。
磁気式のカードは、関東地方でいうと、既にJR東日本の「イオカード」、私鉄・地下鉄の「パスネット」が自動改札機での使用を終了し、それぞれ「Suica」「PASMO」に移行しつつあります。
(自動券売機・精算機での使用は可能。また、払戻や、「パスネット」のみ「PASMO」への残額移し変えも可能。)
他地域でも、西鉄はIC「nimoca」のスタートにより、既にバスカードは発売が終了、使用も来年3月一杯としています。
(「よかねっとカード」もバス部門は同じ。)
また、近畿圏でもJR西日本・近鉄の「Jスルーカード」は発売・自動改札機・一部バス車内での使用は終了しています。
私鉄・地下鉄・バスの「スルッとKANSAI」、及び各事業者個別の磁気式バスカードは引き続き発売中ですが、これはICカード「PiTaPa」が、クレジットカードへの同時の申し込みが必要になり、他のICカードとは一線を画す存在である事があります。
内情は良く分かりませんが、やはり磁気式カードシステムの保守というのは、かなりコストや手間隙がかかってしまうもののようです。
特にICカードが入ると、設備投資が二重になるので…。
(岡山地域はこのため、設備更新を機に磁気式共通カードは終了、両備グループ・下津井のみ共通ICカードが導入されたものの、各社別のカードがバラバラに発売される事になります。)
関東に話を戻すと、今後地域統一カードは、㈱パスモが発行する「PASMO」に統一される事になります。
ただ、各事業者は、あくまで㈱パスモの業務を代行して「PASMO」を発行する、という形をとっています。
神奈川中央交通 連接バス「ツインライナー」厚木ルート 運行開始記念共通カード
従って、今後は上のように、各事業者が個別に、増収を図るため企画物のオリジナルカードを製作する、と言う事はできなくなります。
既に「パスネット」が事実上終了している鉄道は、紙等の記念乗車券に回帰しているようですが、バスはどうするでしょうか。
今後の課題としては、バスのみで見た場合、バス共通カードに比べると、「PASMO」の発売箇所が少なくなると事が挙げられます。
特に、普段鉄道は使わず、バスOnlyで利用している場合、バス事業者で「PASMO」を発行しているのは、基本的には営業所と、駅前などにある案内所(呼び方は様々)のみになります。
営業所は必ずしも乗客の多い地域にあるわけではないし(ほとんどは乗客が少なくなる郊外の車庫に併設)、案内所も全ての駅前にある訳ではありません。
また、バス共通カードの場合は、運転手による車内販売も行なわれていますが、「PASMO」では恐らくやらないと思われるので、利用区間によっては、入手が非常に困難になる事が予想されます。
例えば、私が通常利用する神奈川中央交通グループの場合。
鉄道の空白地域にも広大な路線網を持ち、バスのみの利用で完結する、しかも鉄道の駅にかかわらない中途の利用者もそれなりに多いと考えられます。
彼らにとっては、「PASMO」を手に入れたくても、営業所も鉄道の駅も遠くて買いにいけません。
都市部であっても、一例を挙げれば、横浜市のJR東戸塚駅には、神奈中の路線が相当集中するのに案内所がありません。
バス共通カードは嘱託の職員に依る手売りが行なわれていますが、たぶん「PASMO」でそれは行なわれないでしょう。
(発売枚数が大幅に減少すると考えられるので。しかしそうなると、彼らの雇用はどうなる?)
さらに東戸塚駅には横浜市営バス、相鉄バスが乗り入れるものの、どちらも案内所も、手売りの職員もいません。
従って、東戸塚駅付近では「PASMO」は入手できず、後はJRの駅で「Suica」を購入するしかない事になります。
これは、㈱パスモにとっても収益の面で問題では…。
またなんとか入手した後でも、紛失(記名式のみ)したり、障害により再発行が必要になった時、営業所や案内所に赴く必要がありますが、バスOnlyだとこれも大変な負担になります。
今の所、これらの課題に対する有効な手段は示されていません。
(今の所、江ノ電バスが、新たに2種類の紙の回数券を発行すると表明しているだけ。)
すぐにはできないだろうけれど、例えば一部事業者の定期券車内予約サービスのように、予め「PASMO」の予約販売を行なう(記名式だけになるだろうけれど)とか、都市部でも案内所などの配置の見直しなども必要になってくるでしょう。
案内所については、「PASMO」の問題は別にしても、必ずしも利便性が良い訳でもないので、これを契機にそのあり方そのもの(場所・広さ・業務内容・設備 -窓口だけでいいのか- )を見直す事も必要かも知れません。
私的には、健全な形で「PASMO」などのICカードの普及が進み、現金客もある程度ICカードへの移行が進むとすれば、車内の料金箱の小型化が可能になり、特にノンステップバスでは乗降性の改善にもつながるかもしれないと、少し期待もあるのですが。
あと、バス共通カード終了の代替措置として、4月からは「PASMO」で実施する「バス特」のポイントによって付与される「バスチケット」の額を引き上げるという事ですが、10000ポイントになったら0に戻るというのはともかく、月が変わったら何ポイント残っていても0に戻ってしまう、と言うのはいかがなものでしょう。
「PASMO」のサービスが始まった頃から思っていた事ですが、バス共通カードは有効期限がなかった訳ですから、この点も改善して欲しいと思います。
ここへ来て更新が飛び飛びになっている当ブログですが、明日も本体の更新作業のため、お休みを頂く予定です。
それで、お恥ずかしい話なのですが、千葉県の「市川交通自動車(市川ラインバス)」が、バス事業を8月に京成トランジットバスに譲渡しているのを初めて知りました。
バス共通カード終了に関する、各事業者のプレスリリースを検索している内に発見した事なのですが、何しろバス専門誌にも書いていなかった事なので、近場でありながらこれまで見逃してしまっていました。
会社自体はタクシー専業として引き続き盛業ですが、バス部門に関しては、明日の更新時に「アーカイヴ・消えた事業者」に移動させていただきます。
この他、首都圏の事業者の画像、ならびに新規リンクの追加を行ないます。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№87 JTB時刻表大研究 2005年
「JTB時刻表大研究」、今回は2005年です。
この年、JTB時刻表は創刊80年。
国際博覧会の開催に合わせ、陸海空で、中京圏の交通が賑わいを見せました。
首都圏では最後といえる大型通勤新線が開通。
一方、寝台特急の衰退が止まらない上、3月末には大手私鉄4路線を含め、一気に140㎞の廃線が発生しました。
なお、下のトピックスでは敢えて触れませんでしたけれど、遺憾ながら鉄道界では大事故が相次ぎ、ダイヤにも相当影響を与えています。
《2005年の十大トピックス》
◆ 「愛・地球博」開催
3月25日~9月25日の間の半年間、愛知県の名古屋市の郊外に当たる、長久手と瀬戸の2会場に分かれて開催されました。
アクセスとして、後述の「リニモ」の他、名古屋~(愛知環状鉄道)万博八草間に〈エキスポシャトル〉を運転。
また、周辺各地からの高速バスも設定されました。
4月号ではカラーグラフで、合わせて9月号までは黄色のページでアクセスが紹介されています。
◆ 中部国際空港「セントレア」開港
「愛・地球博」開幕に先立つ2月17日、常滑沖に開港。
関西空港に次ぐ、海上埋め立ての24時間空港です。
小牧の名古屋空港からは、ほとんどの国内線、全ての国際線が移転する事になりました。
多少脱線しますが、英語では「Central Japan International Airport」と称し、後述の名鉄の表示でも使用されています。
JR東海の「Central Japan Railway」もそうですが、どうも名古屋圏という所は、「日本の中央」にこだわりたいようです。
名古屋空港は「県営名古屋空港」となり、J-AIR(後にJAL便として運航)のローカル便のみが残留する事になりました。
◆ 名鉄空港線開業 特急「ミュースカイ」運転開始
その「セントレア」へのアクセスとなる路線で、開港に先駆けて1月29日に開業。
合わせて名鉄全体で大幅な改正を行い、新たに「快速特急」「快速急行」が新設されました。
空港アクセスでは、神宮前~中部国際空港間ノンストップの快速特急「ミュースカイ」、一部特別車の特急、それに急行がそれぞれ30分間隔というダイヤが設定されました。
写真の「ミュースカイ」は運行開始当初の3連ユニットですが、後に4連化される事になります。
また、新名古屋→名鉄名古屋、新一宮→名鉄一宮、新岐阜→名鉄岐阜への改称も行なわれました。
一方で東笠松・学校前の2駅が廃止。
「セントレア」へはこの他東海各地からの高速バスや、三重県側からは海上アクセスも設定されています。
◆ 愛知高速鉄道「リニモ」開業
「愛・地球博」開幕に先立ち、3月6日に開業しました。
定期営業路線としては、初のHSST(磁気浮上式)の鉄道です。
博覧会終了後は、主に沿線の大学へのアクセスとしての利用が目立つようです。
◆ 小田急ロマンスカー「VSE」デビュー
3月22日デビュー。
〈スーパーはこね〉〈はこね〉で、平日5往復、土休日6往復。
箱根を初めとする観光の不振や、一方で通勤や買い物等の利用の増大により、ロマンスカーも汎用的な方向に性格が振れてきていました。
しかしVSEは久し振りに観光に特化した仕様となり、ロマンスカーになくてはならぬ展望席、個室風のサルーン席もさる事ながら、「走る喫茶室」の復活、ロマンスカーアテンダントの乗務など、ソフト面でも久し振りに大きな話題を集める事になります。
思えばJR九州〈つばめ〉(787系)もこの点が評価されたのですが、そろそろ他の特急(JRも、私鉄も)でも、人的な面を中心にした、ソフト面でのサービスの復活が期待されるのではないでしょうか。
全列車とはいかないでしょうが…。
VSEは3月号の「新のりもの風土記シリーズ58」で、歴代のロマンスカーと共に取り上げられています。
◆ 寝台特急〈さくら〉〈あさかぜ〉〈彗星〉廃止 〈はやぶさ〉〈富士〉併結運転開始
3月改正で伝統の<さくら><あさかぜ>が消えました。
東京~長崎間の<さくら>は昭和の初期に<富士>と共に日本初の愛称付特急として東京~下関間で運行を開始し、戦後は<さちかぜ>の20系化により寝台特急として復活しました。
東京~下関間の<あさかぜ>は1956年にデビューした夜行特急ですが、1958年に名車20系に置き換えられたことで、デラックス・ブルートレイン「動くホテル」として人気を博す事になります。
ただし、今回廃止の<あさかぜ>は、1970年に急行<安芸>から格上げされた列車がルーツでした。
寝台特急の衰退は容赦なく、10月1日には京都~南宮崎間の<彗星>も廃止。
併結相手を失った<はやぶさ>は<富士>と、<あかつき>は<なは>と併結。
東海道・山陽本線の「ブルートレイン」はついに2往復にまで削減され、いよいよ終幕がはっきりと目に見えるようになって来ました。
◆ つくばエクスプレス(TX)開業
長く常磐新線と呼称されてきた路線が、8月24日開業。
常磐線と同様に直流と交流が混在し、JR以外では初の交直両用の車両も投入されました。
最高速度130㎞は通勤鉄道としては最速。
当ブログでも何度か書きましたが、主に田園地帯の高架線や切通しを高速で突っ走るので、特に快速だと、なんだか新幹線を通勤電車で走っているような錯覚を覚えます。
8月号の「新乗り物風土記シリーズ63」で筑波山のケーブルカーと共に取り上げられている他、黄色のページでは、全駅全列車の時刻運賃が掲載されています。
◆ 福岡市営七隈線開業 OTSは大阪市営が引き継ぎ運営
2月3日開業の七隈線は、大阪市営長堀鶴見緑地線・東京都営大江戸線・神戸市営海岸線に次ぐリニア地下鉄。
無人運転も考慮された構造ですが、運転士が乗務したワンマン運転を行なっています。
OTSは経営不振のため、大阪市営が引き継ぐ事になり、中央線(コスモスクエア~大阪港間)、ニュートラム(コスモスクエア~中ふ頭間)と一体で運営される事になりました。
◆ 日立電鉄・名鉄・のと鉄道で路線廃止
日立電鉄は1971年に初めてワンマン運転を採用、後のローカル鉄道の運営に影響を与えました。
この後、営団地下鉄銀座線の中古車を導入して車両の体質改善も図られましたが、保線上の安全を確保するための投資ができないという理由で廃止という事になりました。
名鉄ではいわゆる「600V線区」(架線に供給される電流の電圧からそう呼ばれた。)の岐阜市内、美濃町、田神、揖斐線が一気に全線廃止に追い込まれました。
岐阜市内線の岐阜駅前~新岐阜駅前間は2003年12月から休止していましたが、運行が再開されぬまま廃止に至りました。
のと鉄道では、最初に転換されて開業した能登線の穴水~蛸島間89㎞が、一挙に全線廃止になりました。
全て3月31日を持っての廃止。
合計3社・6路線の廃止の合計は実に140㎞にも上ります。
◆ 高千穂鉄道 水害で不通
9月の台風被害により、写真の第一五ヶ瀬川橋梁、及び第二五ヶ瀬川橋梁が流出し、他にも被害が甚大だったため、全線で運休に追い込まれる事になりました。
後に全線の復旧は諦め、高千穂側のみトロッコ列車を走らせる事も考えられたようですが、結局高千穂鉄道としては立ち直れず、3年後には廃止に追い込まれる事になります。
◆ その他
○常磐線に特別快速設定
○「SLあそBOY」運転終了
○四国の特急料金 通し料金適用区間拡大
《表紙の写真》
5月号あたりから、掲載記事のヘッドラインが、随分目立つ体裁で書かれるようになっています。
80周年企画や新連載の巻頭グラビアと合わせ、読み物的な要素がさらに濃くなってきているようです。
1月号 東海道新幹線 名古屋駅
ツインタワーをバックにした700系〈のぞみ〉。
「愛・地球博」開催に合わせ、先頭車両には「AMBITIOUS JAPAN!」の文字が書かれています。
●旬の駅から小さな旅へ57 平泉駅
●新のりもの風土記シリーズ56 神話の国・出雲の正月 冬の一畑電鉄に乗る
●駅弁細見211 一念ホッキめし(仙台駅)
2月号 博多開業30周年を迎える山陽新幹線
再び700系。
こちらはJR西日本持ちの編成です。
撮影場所は不明。
●旬の駅から小さな旅へ58 常滑駅
●新のりもの風土記シリーズ57 エンターテイメントクルーズ ロイヤルウイング
●駅弁細見212 脂金目の塩焼き弁当(伊豆急下田駅)
3月号 小田急電鉄新型ロマンスカー VSE
撮影場所は書かれていませんが、酒匂川(新松田~開成間)を渡るところです。
バックに真っ白な富士山。
私鉄の特急が表紙を飾るのは初めて。
●旬の駅から小さな旅へ59 人吉駅
●新のりもの風土記シリーズ58 都会から早春の箱根へ 小田急ロマンスカーVSE
●駅弁細見213 親子にしん(直江津駅)
4月号 「SLばんえつ物語号」
満開の桜との取り合わせが美しく感じます。
●旬の駅から小さな旅へ60 万博八草駅
●新のりもの風土記シリーズ59 最新のフェリークルーズ ニュー「きそ」
●駅弁細見214 出雲美人(松江駅)
5月号 中央本線 特急「(ワイドビュー)しなの」
撮影場所は不明ですが、中央本線の中津川~塩尻の間のどこかではないでしょうか。
グラビアで新連載が2つスタートしました。
●小椋佳の世界遺産の旅1 屋久島
●駅旅本線 第1駅 上野駅
●新のりもの風土記シリーズ60 新大阪~博多 全線開業から30年 山陽新幹線
●駅弁細見215 阿波地鶏弁当(徳島駅)
6月号 吉備線
キハ47+47+40のローカル列車。
手前は菖蒲ですね。
●小椋佳の世界遺産の旅2 紀伊山地の霊場と参詣道
●駅旅本線 第2駅 南島原駅
●新のりもの風土記シリーズ61 81歳の老機関車がいる カラフル!上信電鉄
●駅弁細見216 あなごめし(宮島口駅)
7月号 リニモ(愛知高速交通)
万博仕様のラッピングが施された09編成と、会場内のゴンドラ。
●小椋佳の世界遺産の旅3 白神山地
●駅旅本線 第3駅 湯田中駅
●新のりもの風土記シリーズ62 緑豊かな常陸の国へ 常磐線ダイヤ改正
●駅弁細見217 三浜たこめし(大洗駅)
8月号 つくばエクスプレス
撮影場所は不明ですが、守谷から先の交流区間だと思います。
●小椋佳の世界遺産の旅4 原爆ドーム
●駅旅本線 第4駅 川湯温泉駅
●新のりもの風土記シリーズ63 筑波山を仰ぐ平野と都心を一直線 つくばエクスプレス
●駅弁細見218 海人(うみんちゅ)がつくる 壺川駅前弁当(壺川駅)
沖縄の「ゆいレール」の駅の近くで発売されている弁当ですが、モノレールの「駅弁」とは。
9月号 宗太郎~市棚間を行く寝台特急列車「彗星」
ED76+24系。
2両目は「ソロ」。
創刊80周年記念企画として「秋の夜長を走るブルートレイン 徹底紹介!!」が8ページに渡って特集。
ブルートレインを中心に夜行特急(+急行〈銀河〉〈きたぐに〉)が取り上げられています。
(黄色のページに列車ごとの解説も掲載)
しかし一方、この号で<彗星>の廃止が発表されており、<さくら><あさかぜ>の廃止もあって、どこか皮肉な企画のようにも思えるのですが…。
●小椋佳の世界遺産の旅5 姫路城
●駅旅本線 第5駅 津軽五所川原駅
●駅弁細見219 飛騨高山 牛しぐれ弁当(高山駅)
「新乗り物風土記シリーズ」はお休み。
10月号 山田線
キハ58×2連(盛岡色)のローカル列車。
80周年記念の巻頭グラビアとして巻頭グラビアでは「日本縦断 鉄道の日 イベント攻略ガイド」として、8ページに渡って日本全国の「鉄道の日イベント」が紹介されています。
●小椋佳の世界遺産の旅6 知床
●駅旅本線 第6駅 鞍馬駅
●新のりもの風土記シリーズ64 秋のパノラマ!九大本線 ゆふDX・ゆふいんの森
●駅弁細見220 鯛のいなり手箱(加賀温泉駅)
11月号 山形新幹線「つばさ」
400系と柿の木。
80周年記念の巻頭グラビアとして巻頭グラビアで「観光トロッコ&SL列車全集」が8ページに渡って取り上げられています。
●小椋佳の世界遺産の旅7 法隆寺地域の仏教建造物
●駅旅本線 第7駅 琴平駅
●駅弁細見221 じゃこめし(箱根湯本駅)
「新乗り物風土記シリーズ」はお休み。
12月号 大井川鐵道(福用~大和田間)
C11とスハフ43(ナショナルトレイン)。
手前の茶畑では、地元の人たちが「ありがとう JTB時刻表創刊80年!」の大きな横断幕を掲げています。
80周年記念の巻頭グラビアとして「日本の大動脈を走る新幹線」と題し、8ページに渡って現役全系列が紹介されています。
●小椋佳の世界遺産の旅8 厳島神社
●駅旅本線 第8駅 長瀞駅
●駅弁細見220 鯛のいなり手箱(加賀温泉駅)
「新乗り物風土記シリーズ」はお休み。
《裏表紙の広告》
6月号から、偶数月は月代わりに戻ります。
1月号 トヨタレンタカー
ひきつづき、キャッチコピーが、「レールの先へ」。
2月号 トヨタレンタカー
3月号 トヨタレンタカー
4月号 トヨタレンタカー
5月号 トヨタレンタカー
キャッチコピーが「レールの先へ トヨタレンタカー」。
合成だとは思いますが、草彅剛が、秩父鉄道・三峰口駅のホームに立っています。
6月号 東武鉄道 「ドラマティックリゾート。日光に逢いに行こう。」
7月号 トヨタレンタカー
8月号 東武鉄道 「ドラマティックリゾート。日光に逢いに行こう。」
9月号 トヨタレンタカー
10月号 東武鉄道 東武特急スペーシア
11月号 トヨタレンタカー
12月号 JR東海ツアーズ ぷらっとこだま
《その他》
80周年記念という事で、特別企画がてんこ盛り。
4~6月号では、「時刻表80年のあゆみ」を連載。
7月号では「日本の今を走る特急列車」「JR全線全駅のりつぶし地図」の特別付録。
8月号では「時刻表早引きシート」。
「ノリノリのりもの情報局」が7月号より掲載開始。
7月号ははとバスの「ハローキティバス」、都電荒川線「トラムdeビア号」、大韓航空の「ペ・ヨンジュン肖像クリスタル」発売、など。
福知山線は4月25日に発生した脱線事故の影響で、尼崎~宝塚間が6月19日まで2ヶ月に渡って不通になりました。
時刻表では「JR西日本のサイトで確認して下さい。」とあるだけで、特に臨時のダイヤは掲載されていませんでした。
実際は運行区間も普通列車だけの運転になり、特急〈北近畿〉〈文殊〉〈タンゴエクスプローラー〉は運休になったようです。
これより先の3月2日には、土佐くろしお鉄道の宿毛駅で特急列車の事故があり、宿毛線は翌日より不通、4月になって東宿毛まで復旧したものの、全線の復旧は11月1日になりました。
《定価》
1~12月号 1050円(本体1000円)
※その他のトピックス
◆ 米南部 ハリケーン「カトリーナ」被害
◆ 中国が有人宇宙ロケット打ち上げ
◆ 楽天がプロ野球に新規参入
プロ野球日本シリーズ ロッテ(4-0)阪神 MVP:今江敏晃
日本ダービー優勝馬 ディープインパクト 鞍上:武豊
同馬は皐月賞・菊花賞と合わせ3冠を達成
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
この年、JTB時刻表は創刊80年。
国際博覧会の開催に合わせ、陸海空で、中京圏の交通が賑わいを見せました。
首都圏では最後といえる大型通勤新線が開通。
一方、寝台特急の衰退が止まらない上、3月末には大手私鉄4路線を含め、一気に140㎞の廃線が発生しました。
なお、下のトピックスでは敢えて触れませんでしたけれど、遺憾ながら鉄道界では大事故が相次ぎ、ダイヤにも相当影響を与えています。
《2005年の十大トピックス》
◆ 「愛・地球博」開催
3月25日~9月25日の間の半年間、愛知県の名古屋市の郊外に当たる、長久手と瀬戸の2会場に分かれて開催されました。
アクセスとして、後述の「リニモ」の他、名古屋~(愛知環状鉄道)万博八草間に〈エキスポシャトル〉を運転。
また、周辺各地からの高速バスも設定されました。
4月号ではカラーグラフで、合わせて9月号までは黄色のページでアクセスが紹介されています。
◆ 中部国際空港「セントレア」開港
「愛・地球博」開幕に先立つ2月17日、常滑沖に開港。
関西空港に次ぐ、海上埋め立ての24時間空港です。
小牧の名古屋空港からは、ほとんどの国内線、全ての国際線が移転する事になりました。
多少脱線しますが、英語では「Central Japan International Airport」と称し、後述の名鉄の表示でも使用されています。
JR東海の「Central Japan Railway」もそうですが、どうも名古屋圏という所は、「日本の中央」にこだわりたいようです。
名古屋空港は「県営名古屋空港」となり、J-AIR(後にJAL便として運航)のローカル便のみが残留する事になりました。
◆ 名鉄空港線開業 特急「ミュースカイ」運転開始
その「セントレア」へのアクセスとなる路線で、開港に先駆けて1月29日に開業。
合わせて名鉄全体で大幅な改正を行い、新たに「快速特急」「快速急行」が新設されました。
空港アクセスでは、神宮前~中部国際空港間ノンストップの快速特急「ミュースカイ」、一部特別車の特急、それに急行がそれぞれ30分間隔というダイヤが設定されました。
写真の「ミュースカイ」は運行開始当初の3連ユニットですが、後に4連化される事になります。
また、新名古屋→名鉄名古屋、新一宮→名鉄一宮、新岐阜→名鉄岐阜への改称も行なわれました。
一方で東笠松・学校前の2駅が廃止。
「セントレア」へはこの他東海各地からの高速バスや、三重県側からは海上アクセスも設定されています。
◆ 愛知高速鉄道「リニモ」開業
「愛・地球博」開幕に先立ち、3月6日に開業しました。
定期営業路線としては、初のHSST(磁気浮上式)の鉄道です。
博覧会終了後は、主に沿線の大学へのアクセスとしての利用が目立つようです。
◆ 小田急ロマンスカー「VSE」デビュー
3月22日デビュー。
〈スーパーはこね〉〈はこね〉で、平日5往復、土休日6往復。
箱根を初めとする観光の不振や、一方で通勤や買い物等の利用の増大により、ロマンスカーも汎用的な方向に性格が振れてきていました。
しかしVSEは久し振りに観光に特化した仕様となり、ロマンスカーになくてはならぬ展望席、個室風のサルーン席もさる事ながら、「走る喫茶室」の復活、ロマンスカーアテンダントの乗務など、ソフト面でも久し振りに大きな話題を集める事になります。
思えばJR九州〈つばめ〉(787系)もこの点が評価されたのですが、そろそろ他の特急(JRも、私鉄も)でも、人的な面を中心にした、ソフト面でのサービスの復活が期待されるのではないでしょうか。
全列車とはいかないでしょうが…。
VSEは3月号の「新のりもの風土記シリーズ58」で、歴代のロマンスカーと共に取り上げられています。
◆ 寝台特急〈さくら〉〈あさかぜ〉〈彗星〉廃止 〈はやぶさ〉〈富士〉併結運転開始
3月改正で伝統の<さくら><あさかぜ>が消えました。
東京~長崎間の<さくら>は昭和の初期に<富士>と共に日本初の愛称付特急として東京~下関間で運行を開始し、戦後は<さちかぜ>の20系化により寝台特急として復活しました。
東京~下関間の<あさかぜ>は1956年にデビューした夜行特急ですが、1958年に名車20系に置き換えられたことで、デラックス・ブルートレイン「動くホテル」として人気を博す事になります。
ただし、今回廃止の<あさかぜ>は、1970年に急行<安芸>から格上げされた列車がルーツでした。
寝台特急の衰退は容赦なく、10月1日には京都~南宮崎間の<彗星>も廃止。
併結相手を失った<はやぶさ>は<富士>と、<あかつき>は<なは>と併結。
東海道・山陽本線の「ブルートレイン」はついに2往復にまで削減され、いよいよ終幕がはっきりと目に見えるようになって来ました。
◆ つくばエクスプレス(TX)開業
長く常磐新線と呼称されてきた路線が、8月24日開業。
常磐線と同様に直流と交流が混在し、JR以外では初の交直両用の車両も投入されました。
最高速度130㎞は通勤鉄道としては最速。
当ブログでも何度か書きましたが、主に田園地帯の高架線や切通しを高速で突っ走るので、特に快速だと、なんだか新幹線を通勤電車で走っているような錯覚を覚えます。
8月号の「新乗り物風土記シリーズ63」で筑波山のケーブルカーと共に取り上げられている他、黄色のページでは、全駅全列車の時刻運賃が掲載されています。
◆ 福岡市営七隈線開業 OTSは大阪市営が引き継ぎ運営
2月3日開業の七隈線は、大阪市営長堀鶴見緑地線・東京都営大江戸線・神戸市営海岸線に次ぐリニア地下鉄。
無人運転も考慮された構造ですが、運転士が乗務したワンマン運転を行なっています。
OTSは経営不振のため、大阪市営が引き継ぐ事になり、中央線(コスモスクエア~大阪港間)、ニュートラム(コスモスクエア~中ふ頭間)と一体で運営される事になりました。
◆ 日立電鉄・名鉄・のと鉄道で路線廃止
日立電鉄は1971年に初めてワンマン運転を採用、後のローカル鉄道の運営に影響を与えました。
この後、営団地下鉄銀座線の中古車を導入して車両の体質改善も図られましたが、保線上の安全を確保するための投資ができないという理由で廃止という事になりました。
名鉄ではいわゆる「600V線区」(架線に供給される電流の電圧からそう呼ばれた。)の岐阜市内、美濃町、田神、揖斐線が一気に全線廃止に追い込まれました。
岐阜市内線の岐阜駅前~新岐阜駅前間は2003年12月から休止していましたが、運行が再開されぬまま廃止に至りました。
のと鉄道では、最初に転換されて開業した能登線の穴水~蛸島間89㎞が、一挙に全線廃止になりました。
全て3月31日を持っての廃止。
合計3社・6路線の廃止の合計は実に140㎞にも上ります。
◆ 高千穂鉄道 水害で不通
9月の台風被害により、写真の第一五ヶ瀬川橋梁、及び第二五ヶ瀬川橋梁が流出し、他にも被害が甚大だったため、全線で運休に追い込まれる事になりました。
後に全線の復旧は諦め、高千穂側のみトロッコ列車を走らせる事も考えられたようですが、結局高千穂鉄道としては立ち直れず、3年後には廃止に追い込まれる事になります。
◆ その他
○常磐線に特別快速設定
○「SLあそBOY」運転終了
○四国の特急料金 通し料金適用区間拡大
《表紙の写真》
5月号あたりから、掲載記事のヘッドラインが、随分目立つ体裁で書かれるようになっています。
80周年企画や新連載の巻頭グラビアと合わせ、読み物的な要素がさらに濃くなってきているようです。
1月号 東海道新幹線 名古屋駅
ツインタワーをバックにした700系〈のぞみ〉。
「愛・地球博」開催に合わせ、先頭車両には「AMBITIOUS JAPAN!」の文字が書かれています。
●旬の駅から小さな旅へ57 平泉駅
●新のりもの風土記シリーズ56 神話の国・出雲の正月 冬の一畑電鉄に乗る
●駅弁細見211 一念ホッキめし(仙台駅)
2月号 博多開業30周年を迎える山陽新幹線
再び700系。
こちらはJR西日本持ちの編成です。
撮影場所は不明。
●旬の駅から小さな旅へ58 常滑駅
●新のりもの風土記シリーズ57 エンターテイメントクルーズ ロイヤルウイング
●駅弁細見212 脂金目の塩焼き弁当(伊豆急下田駅)
3月号 小田急電鉄新型ロマンスカー VSE
撮影場所は書かれていませんが、酒匂川(新松田~開成間)を渡るところです。
バックに真っ白な富士山。
私鉄の特急が表紙を飾るのは初めて。
●旬の駅から小さな旅へ59 人吉駅
●新のりもの風土記シリーズ58 都会から早春の箱根へ 小田急ロマンスカーVSE
●駅弁細見213 親子にしん(直江津駅)
4月号 「SLばんえつ物語号」
満開の桜との取り合わせが美しく感じます。
●旬の駅から小さな旅へ60 万博八草駅
●新のりもの風土記シリーズ59 最新のフェリークルーズ ニュー「きそ」
●駅弁細見214 出雲美人(松江駅)
5月号 中央本線 特急「(ワイドビュー)しなの」
撮影場所は不明ですが、中央本線の中津川~塩尻の間のどこかではないでしょうか。
グラビアで新連載が2つスタートしました。
●小椋佳の世界遺産の旅1 屋久島
●駅旅本線 第1駅 上野駅
●新のりもの風土記シリーズ60 新大阪~博多 全線開業から30年 山陽新幹線
●駅弁細見215 阿波地鶏弁当(徳島駅)
6月号 吉備線
キハ47+47+40のローカル列車。
手前は菖蒲ですね。
●小椋佳の世界遺産の旅2 紀伊山地の霊場と参詣道
●駅旅本線 第2駅 南島原駅
●新のりもの風土記シリーズ61 81歳の老機関車がいる カラフル!上信電鉄
●駅弁細見216 あなごめし(宮島口駅)
7月号 リニモ(愛知高速交通)
万博仕様のラッピングが施された09編成と、会場内のゴンドラ。
●小椋佳の世界遺産の旅3 白神山地
●駅旅本線 第3駅 湯田中駅
●新のりもの風土記シリーズ62 緑豊かな常陸の国へ 常磐線ダイヤ改正
●駅弁細見217 三浜たこめし(大洗駅)
8月号 つくばエクスプレス
撮影場所は不明ですが、守谷から先の交流区間だと思います。
●小椋佳の世界遺産の旅4 原爆ドーム
●駅旅本線 第4駅 川湯温泉駅
●新のりもの風土記シリーズ63 筑波山を仰ぐ平野と都心を一直線 つくばエクスプレス
●駅弁細見218 海人(うみんちゅ)がつくる 壺川駅前弁当(壺川駅)
沖縄の「ゆいレール」の駅の近くで発売されている弁当ですが、モノレールの「駅弁」とは。
9月号 宗太郎~市棚間を行く寝台特急列車「彗星」
ED76+24系。
2両目は「ソロ」。
創刊80周年記念企画として「秋の夜長を走るブルートレイン 徹底紹介!!」が8ページに渡って特集。
ブルートレインを中心に夜行特急(+急行〈銀河〉〈きたぐに〉)が取り上げられています。
(黄色のページに列車ごとの解説も掲載)
しかし一方、この号で<彗星>の廃止が発表されており、<さくら><あさかぜ>の廃止もあって、どこか皮肉な企画のようにも思えるのですが…。
●小椋佳の世界遺産の旅5 姫路城
●駅旅本線 第5駅 津軽五所川原駅
●駅弁細見219 飛騨高山 牛しぐれ弁当(高山駅)
「新乗り物風土記シリーズ」はお休み。
10月号 山田線
キハ58×2連(盛岡色)のローカル列車。
80周年記念の巻頭グラビアとして巻頭グラビアでは「日本縦断 鉄道の日 イベント攻略ガイド」として、8ページに渡って日本全国の「鉄道の日イベント」が紹介されています。
●小椋佳の世界遺産の旅6 知床
●駅旅本線 第6駅 鞍馬駅
●新のりもの風土記シリーズ64 秋のパノラマ!九大本線 ゆふDX・ゆふいんの森
●駅弁細見220 鯛のいなり手箱(加賀温泉駅)
11月号 山形新幹線「つばさ」
400系と柿の木。
80周年記念の巻頭グラビアとして巻頭グラビアで「観光トロッコ&SL列車全集」が8ページに渡って取り上げられています。
●小椋佳の世界遺産の旅7 法隆寺地域の仏教建造物
●駅旅本線 第7駅 琴平駅
●駅弁細見221 じゃこめし(箱根湯本駅)
「新乗り物風土記シリーズ」はお休み。
12月号 大井川鐵道(福用~大和田間)
C11とスハフ43(ナショナルトレイン)。
手前の茶畑では、地元の人たちが「ありがとう JTB時刻表創刊80年!」の大きな横断幕を掲げています。
80周年記念の巻頭グラビアとして「日本の大動脈を走る新幹線」と題し、8ページに渡って現役全系列が紹介されています。
●小椋佳の世界遺産の旅8 厳島神社
●駅旅本線 第8駅 長瀞駅
●駅弁細見220 鯛のいなり手箱(加賀温泉駅)
「新乗り物風土記シリーズ」はお休み。
《裏表紙の広告》
6月号から、偶数月は月代わりに戻ります。
1月号 トヨタレンタカー
ひきつづき、キャッチコピーが、「レールの先へ」。
2月号 トヨタレンタカー
3月号 トヨタレンタカー
4月号 トヨタレンタカー
5月号 トヨタレンタカー
キャッチコピーが「レールの先へ トヨタレンタカー」。
合成だとは思いますが、草彅剛が、秩父鉄道・三峰口駅のホームに立っています。
6月号 東武鉄道 「ドラマティックリゾート。日光に逢いに行こう。」
7月号 トヨタレンタカー
8月号 東武鉄道 「ドラマティックリゾート。日光に逢いに行こう。」
9月号 トヨタレンタカー
10月号 東武鉄道 東武特急スペーシア
11月号 トヨタレンタカー
12月号 JR東海ツアーズ ぷらっとこだま
《その他》
80周年記念という事で、特別企画がてんこ盛り。
4~6月号では、「時刻表80年のあゆみ」を連載。
7月号では「日本の今を走る特急列車」「JR全線全駅のりつぶし地図」の特別付録。
8月号では「時刻表早引きシート」。
「ノリノリのりもの情報局」が7月号より掲載開始。
7月号ははとバスの「ハローキティバス」、都電荒川線「トラムdeビア号」、大韓航空の「ペ・ヨンジュン肖像クリスタル」発売、など。
福知山線は4月25日に発生した脱線事故の影響で、尼崎~宝塚間が6月19日まで2ヶ月に渡って不通になりました。
時刻表では「JR西日本のサイトで確認して下さい。」とあるだけで、特に臨時のダイヤは掲載されていませんでした。
実際は運行区間も普通列車だけの運転になり、特急〈北近畿〉〈文殊〉〈タンゴエクスプローラー〉は運休になったようです。
これより先の3月2日には、土佐くろしお鉄道の宿毛駅で特急列車の事故があり、宿毛線は翌日より不通、4月になって東宿毛まで復旧したものの、全線の復旧は11月1日になりました。
《定価》
1~12月号 1050円(本体1000円)
※その他のトピックス
◆ 米南部 ハリケーン「カトリーナ」被害
◆ 中国が有人宇宙ロケット打ち上げ
◆ 楽天がプロ野球に新規参入
プロ野球日本シリーズ ロッテ(4-0)阪神 MVP:今江敏晃
日本ダービー優勝馬 ディープインパクト 鞍上:武豊
同馬は皐月賞・菊花賞と合わせ3冠を達成
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№86 JASフリートの16年・そして思い出
昨日はお休みしてしまいましたが、一昨日の「JTB時刻表大研究 2004年」の十大トピックスの中で、「日本航空・日本エアシステム 完全経営統合」を挙げました。
日本エアシステム(JAS-Japan Air System)は、1988年4月1日、東亜国内航空(TDA-Toa Domestic Airlines)から改称し、2004年3月31日をもって、日本航空との完全統合により日本航空ジャパン(JAL-Japan Airlines Domestic)となるまで16年間存在した、日本の航空会社です。
旧TDAは、1985年に国内幹線・国際線の進出が本格的に認められるまでローカル線が中心で、結果的にフリート構成がJAL・ANAとはかなり異なるものになりました。
それは、JASになっても引き継がれていきます。
ここでは、JASの16年間に在籍したフリートを、一部個人的な昔話も交えつつ、デビュー順に振り返ってみます。
なお、JASになった後、地方自治体との合弁による日本エアコミューター(JAC)、北海道エアシステム(HAC)が設立されていますが、ここではJAS本体のみに絞ります。
YS-11
(1965~1996)
ご存知の通り、今の所日本唯一の国産旅客機です。
母体となった旧東亜航空(TOA)、旧日本国内航空(JDA)時代から使用されていた機体で、合併後のTDAでは1機毎に日本の地名をつけていました。
当時の地方空港はジェット化が進んでおらず、TDA時代は東京(羽田)~女満別線という、所要3時間以上の大変な路線にも就航していました。
社名変更後も、ジェット機の就航に制限があった大阪(伊丹)空港発着のローカル路線を中心に活躍していましたが、MD-87就航後は老朽化やJACへの路線移管もあって、急速に数を減らしていく事になります。
JASでは東京(羽田)~南紀白浜線が最後の就航路線でしたが、南紀白浜空港のジェット化により、1996年3月8日を持って引退しました。
東急の「電車とバスの博物館」に機種部分が保存されて、シミュレーターとして公開されています。
JASのYS-11には、1995年11月7日、南紀白浜→東京線386便で搭乗した事がありました。
ジェット化前の南紀白浜空港ターミナル。
ターミナル、といっても、ゴルフ場のクラブハウスのような平屋建て。
羽田や関西空港が東京・新大阪駅ならば、ここは地方ローカル線の急行停車駅のような風情。
羽田からYS-11が到着しました。
雨が降っていたのですが、ここはボーディングブリッジどころかバスすらなく(必要なほど大きくはない)、タラップを降りた乗客は傘を借りて、ターミナルまで歩いていきます。
ちなみに後で知ったのですが、秋篠宮殿下が(お忍びで)搭乗されていたらしいです。
羽田に向かう機内。
さすがに古さは隠せないですね。
でも、所要時間が長かった事もあって、距離の割にはゆったりしたサービスが楽しめたと思っています。
DC-9-41
(1974~1997)
TDAでは1971年にB727-100を就航させましたが、本格的なジェット機はこの機体になりました。
A300導入まではTDAの顔となります。
A300導入以降はローカル線中心の運航になりました。
A300B2K
(1981~2006)
ローカル線中心だったTDAとはいえ、幹線もある程度の便数を運行するようになっていた事、ローカル線でも一部は需要が伸びていた事で、いよいよワイドボディ・ジェットの導入になりました。
とはいえ、就航する空港は地方が中心になるので、多少短い滑走路でも離着陸できるよう、「クルーガー・フラップ」を装備したB2Kというモデルになりました。
また、カラーリングはエアバス社のサンプル・カラーがそのまま採用され、以降TDA~JASのカンパニー・カラーになります。
JA8472は「フレンドリー・バード」になっています。
こちらをご覧下さい。
DC-9-81
(1981~1999)
DC-9の胴体延長型。
本来は次のMD-81と同型と扱われるのですが、JASではコクピットの違いから、別の機種として運用していました。
ただし、時刻表上では区別がつきませんでした。
JASでは21世紀を迎える事なく、姿を消しました。
MD-81
(1985~)
DC-9-81の追加発注ですが、この頃にはダグラスがマクドネルとの合併でマクドネル・ダグラスとなっていた事で、機種名も変わる事になりました。
ただ、JASでは前述の通り、DC-9-81とは区別して運用されていました。
それから、3機が「ハーレクイン・エアライン(HLQ)」に移籍し、うち1機(JA8552)だけ、同社のオリジナルカラーに塗り替えられました。
HLQは本来はチャーター便専門のエアラインとして設立されたのですが、MD-81はJAS本体から受託した路線を運航していました。
主に福岡空港発着のJAS路線に就航していたようです。
MD-81の方は、JAL統合後も全機が引き継がれ、一部はさらにJALエクスプレス(JEX)に移管されています。
ただし、B737-800導入により、2010年度までには退役が進められる事になっています。
A300B4
(1986~2006)
B4はB2の出力増強型。
需要の増加により、A300は増機が計画されましたが、この時点では新造ではなく、中古機を集めてフリートに加える事になります。
写真のJA8277は、元々はシンガポール航空機で、ハパグロイドを経由してTDAに加わりました。
JASは社名変更直後の1988年7月、初の定期国際線となる東京~ソウル線を開設、JA8263と、写真のJA8277が使用されました。
B2K、B4共一部はJAL統合後まで使われたものの、新JALカラーにはなりませんでした。
(座席備え付けのセーフティ・インストラクションのイラストでは新JALカラーになっていましたけれど。)
2004年9月12日のJAL1211便(東京(羽田)→青森線)搭乗時の撮影。
セーフティ・インストラクションは、600Rとは違う物が備え付けられていました。
MD-87
(1988~2007)
JASになってからは初の新機種。
MD-81の胴体短縮型で、離着陸時の騒音を抑えられるため、主に大阪(伊丹)空港発着のローカル線で使用され、YS-11路線のジェット化に貢献。
また、新空港移転前の北九州空港は滑走路長が短かかったため、東京~北九州線はMD-87が専用で使用されていました。
その旧空港時代の2002年7月13日、JAS348便でMD-87に搭乗した事がありました。
JASのMD-87は、これが唯一の搭乗になりました。
旧空港は山に囲まれた内陸にありました。
航空便に合わせて小倉から西鉄(当時は西鉄バス京築)の連絡バスもありますが、JR日豊本線・下曽根駅からも歩いて行けます。
駅からは15分位だったでしょうか。
何しろ当時はJAS東京線が1日4便だけ、という空港なので、ターミナルビルもこじんまりしています。
ちなみにこの日は松山・坊ちゃんスタジアムでプロ野球のオールスター戦が行なわれていて、出発ロビーのTVで中継も行なわれていました。
TVに映っているのは、近鉄(当時)のタフィー・ローズ選手。
MD-87の機内。
この日はちょっとお客さんが少なくて、30人程度。
この頃のJAS機材は座席が花柄で、華やかさを強調していたようです。
DC-10-30
(1988~2000)
JASのDC-10-30については、「№16 JAS DC-10-30」で取り上げました。
そちらをご覧下さい。
JASとしては、期待されながらも、あまり運がなかったフリートでした。
A300-600R
(1991~)
1990年代に入り、いよいよJASもハイテク・ワイドボディ機の時代になります。
A300-600Rは、A300在来型をベースにして、先にハイテク機としてデビューしていたA310(日本では採用例なし)のコクピットシステムを採用して、2人乗務で飛べるようにしたタイプ。
結果的にこれが、長くJASの顔となります。
1994年の関西空港開港時には、関空~広州線をこの機種で開設。
広州は日本のエアラインは初就航だった(JALもANAも乗り入れがなかった)事もあり、JASも随分力を入れていました。
また、国内線用は後に、後述のB777-200導入に合わせて、スーパーシートが設定されています。
JA8562は「ポカリスエット」の胴体広告機になりました。
こちらをご覧下さい。
JAL統合後も全機が引き継がれています。
ただし、スーパーシートは「クラスJ」になりました。
600Rに関しては、統合前から新JALカラーへの塗り替えが進められましたが、その内の1機、JA8377は、JALのB747-400Dとともに、「松井ジェット」として就航しました。
JAS機材からスペシャル・カラー機が抜擢されたのは、JAL・JAS融合の象徴だったのかと思います。
A300は、B2K、B4、600Rいずれもそうですが、B747やDC-10、トライスター等とと比べれば小型ではあるものの、幹線でも、ローカル線でも、さらには国際線でも就航できるという事で、JASでは一番使いやすいフリートだったのかな、と感じます。
MD-90-30
(1996~)
DC-9-81の後継機で、新エンジン搭載で低騒音化が計られました。
しかし、JASの場合はなんといってもカラーリングに特徴があります。
故黒澤明監督がデザインした、7種類の機体デザインが話題になりました。
ここに、今はもう見られない7つのパターンを、一挙公開してみます。
JA8064・JA8004・JA005Dの3機がこのデザイン。
JA8065・JA8020・JA006Dの3機がこのデザイン。
デザインはこちらが先だったらしく、黒澤監督のサインが入っています。
なので、世界の航空ファンの間では、これが一番の人気だそうです。
JA8063・JA8029の2機がこのデザイン。
JA8062・JA001Dの2機がこのデザイン。
JA8066・JA002Dの2機がこのデザイン。
JA8069・JAJA008Dの2機がこのデザイン。
JA8070・JA004Dの2機がこのデザイン。
キャビンでは、JASのナローボディ機としては初めて、小型ながらモニターが備えられました。
A300でさえ、B2K/B4では大型スクリーンすらなかったのに比べると、JASのキャビンサービスもかなりグレードアップされてきました。
もっとも、A300-600R同様、離着陸時には天井に収納されてしまうので、前方の光景が見られなくなってしまうのが残念ではありますが。
全機JALに引き継がれ、クラスJも設定されています。
B777-200
(1996~)
JASは当初、長距離国際線用にB747-400を発注していましたが、湾岸戦争を発端とする航空業界の経営危機の影響でキャンセル。
代わって、国内幹線用に導入されたもので、それでもJASでは、B727-200以来のボーイング機になりました。
機体のデザインは公募によるものです。
ポートサイド側と、写真のスターボード側ではデザインが異なるのですが、ポートサイドは機内で頂いたポストカードでご覧頂こうと思います。
キャビンはJASでは初めてとなるスーパーシートと普通席、そして1000円の追加料金で利用できる「レインボーシート」と、国内線では初の3クラス制を採用。
また、全席にパーソナルTVを装備しました。
幹線ではANA・JALと競合するので、サービスに差をつけて立ち向かおう、という事でしょう。
最後の3機ではゲームも装備されました。
JAL統合後は、キャビンの配置の違いから「7J2」の記号で、「772」の旧JAL機材とは区別されています。
スーパーシート・レインボーシートは全て「クラスJ」として提供されています。
B777-300
(2003~)
JALへの完全統合を控えた2003年10月に2機導入。
最初から新JALカラーで、キャビンもそれまでJALが導入していた同型と同じになっています。
とはいえ、JAS史上最後にして、最大の機体ということになりました。
JAL統合後も東京(羽田)~札幌(新千歳)・福岡・沖縄線などの幹線で運航されています。
私は、JAS便には全部で28回搭乗しました。
一番数多く搭乗したのがA300-600Rで、12回。
在来型のA300(B2K・B4)が7回。
B777-200が3回。
DC-9-81とMD-81が合わせて2回。
MD-90-30も2回。
YS-11とMD-87が各1回。
DC-10-30は搭乗した事がありませんでした。
ローカル線中心でナローボディが大半というJASとはいえ、東京に住んでいると、やはりワイドボディが中心になるものですね。
(なお、B777-300はJAL便として搭乗した機会あり。)
JASで導入された機材とか、あるいは路線網(特に国際線)の歴史を紐解くと、JAL・ANAとの2大エアラインに挟まれ苦闘する姿が見えるような気がします。
それだけに、2社に負けまいと先進的なサービスがいくつもあったし(何しろ「レインボーシート」はJAL統合後の「クラスJ」に生かされている。)、何よりCAや、加えていうとコックピットクルーもよりフレンドリーで、拙い旅行者の私のリクエストにも親切に応えてくれて、印象的だったエピソードがいくつもあります。
(別にJALやANAがフレンドリーじゃない、と言う事では決してないので誤解のないように。)
そのJASがJALに完全に統合されて5年が過ぎましたが、ご存知の通り、現在JALは深刻な経営難に陥り、それが元で連日のように、マスコミ・ジャーナリズムにある事ない事面白おかしく書き立てられ、現場の人々は心を痛めつつ、それでも懸命に日々の業務に励んでおられるのだと思います。
今のJALの職員の中には、かつてJASでホスピタリティあるサービスを提供してくれた人々がまだ数多くいるはずです。
その精神は、統合後のJALグループ全体にも生かされているはずです。
少なくとも私はそう信じます。
当分苦境からは抜け出せず、辛い日々は続くと思いますが、ぜひJAS譲りのサービスマインドで、世界の航空業界をリードするJALが蘇って欲しいと、心から思います。
当時設定されていたバースディ割引で搭乗した、2001年12月21日の沖縄→東京(羽田)線・JAS552便で、CAの方から頂いたグリーティング・カードです。
今日の記事については、
「日本の旅客機」各年度
「旅客機形式シリーズ4 AirbusA300&A310」
「旅客機形式シリーズ7 DC-9/MD-80/MD-90&Boeing717」
(いずれもイカロス出版)
を参考にさせていただきました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
日本エアシステム(JAS-Japan Air System)は、1988年4月1日、東亜国内航空(TDA-Toa Domestic Airlines)から改称し、2004年3月31日をもって、日本航空との完全統合により日本航空ジャパン(JAL-Japan Airlines Domestic)となるまで16年間存在した、日本の航空会社です。
旧TDAは、1985年に国内幹線・国際線の進出が本格的に認められるまでローカル線が中心で、結果的にフリート構成がJAL・ANAとはかなり異なるものになりました。
それは、JASになっても引き継がれていきます。
ここでは、JASの16年間に在籍したフリートを、一部個人的な昔話も交えつつ、デビュー順に振り返ってみます。
なお、JASになった後、地方自治体との合弁による日本エアコミューター(JAC)、北海道エアシステム(HAC)が設立されていますが、ここではJAS本体のみに絞ります。
YS-11
(1965~1996)
ご存知の通り、今の所日本唯一の国産旅客機です。
母体となった旧東亜航空(TOA)、旧日本国内航空(JDA)時代から使用されていた機体で、合併後のTDAでは1機毎に日本の地名をつけていました。
当時の地方空港はジェット化が進んでおらず、TDA時代は東京(羽田)~女満別線という、所要3時間以上の大変な路線にも就航していました。
社名変更後も、ジェット機の就航に制限があった大阪(伊丹)空港発着のローカル路線を中心に活躍していましたが、MD-87就航後は老朽化やJACへの路線移管もあって、急速に数を減らしていく事になります。
JASでは東京(羽田)~南紀白浜線が最後の就航路線でしたが、南紀白浜空港のジェット化により、1996年3月8日を持って引退しました。
東急の「電車とバスの博物館」に機種部分が保存されて、シミュレーターとして公開されています。
JASのYS-11には、1995年11月7日、南紀白浜→東京線386便で搭乗した事がありました。
ジェット化前の南紀白浜空港ターミナル。
ターミナル、といっても、ゴルフ場のクラブハウスのような平屋建て。
羽田や関西空港が東京・新大阪駅ならば、ここは地方ローカル線の急行停車駅のような風情。
羽田からYS-11が到着しました。
雨が降っていたのですが、ここはボーディングブリッジどころかバスすらなく(必要なほど大きくはない)、タラップを降りた乗客は傘を借りて、ターミナルまで歩いていきます。
ちなみに後で知ったのですが、秋篠宮殿下が(お忍びで)搭乗されていたらしいです。
羽田に向かう機内。
さすがに古さは隠せないですね。
でも、所要時間が長かった事もあって、距離の割にはゆったりしたサービスが楽しめたと思っています。
DC-9-41
(1974~1997)
TDAでは1971年にB727-100を就航させましたが、本格的なジェット機はこの機体になりました。
A300導入まではTDAの顔となります。
A300導入以降はローカル線中心の運航になりました。
A300B2K
(1981~2006)
ローカル線中心だったTDAとはいえ、幹線もある程度の便数を運行するようになっていた事、ローカル線でも一部は需要が伸びていた事で、いよいよワイドボディ・ジェットの導入になりました。
とはいえ、就航する空港は地方が中心になるので、多少短い滑走路でも離着陸できるよう、「クルーガー・フラップ」を装備したB2Kというモデルになりました。
また、カラーリングはエアバス社のサンプル・カラーがそのまま採用され、以降TDA~JASのカンパニー・カラーになります。
JA8472は「フレンドリー・バード」になっています。
こちらをご覧下さい。
DC-9-81
(1981~1999)
DC-9の胴体延長型。
本来は次のMD-81と同型と扱われるのですが、JASではコクピットの違いから、別の機種として運用していました。
ただし、時刻表上では区別がつきませんでした。
JASでは21世紀を迎える事なく、姿を消しました。
MD-81
(1985~)
DC-9-81の追加発注ですが、この頃にはダグラスがマクドネルとの合併でマクドネル・ダグラスとなっていた事で、機種名も変わる事になりました。
ただ、JASでは前述の通り、DC-9-81とは区別して運用されていました。
それから、3機が「ハーレクイン・エアライン(HLQ)」に移籍し、うち1機(JA8552)だけ、同社のオリジナルカラーに塗り替えられました。
HLQは本来はチャーター便専門のエアラインとして設立されたのですが、MD-81はJAS本体から受託した路線を運航していました。
主に福岡空港発着のJAS路線に就航していたようです。
MD-81の方は、JAL統合後も全機が引き継がれ、一部はさらにJALエクスプレス(JEX)に移管されています。
ただし、B737-800導入により、2010年度までには退役が進められる事になっています。
A300B4
(1986~2006)
B4はB2の出力増強型。
需要の増加により、A300は増機が計画されましたが、この時点では新造ではなく、中古機を集めてフリートに加える事になります。
写真のJA8277は、元々はシンガポール航空機で、ハパグロイドを経由してTDAに加わりました。
JASは社名変更直後の1988年7月、初の定期国際線となる東京~ソウル線を開設、JA8263と、写真のJA8277が使用されました。
B2K、B4共一部はJAL統合後まで使われたものの、新JALカラーにはなりませんでした。
(座席備え付けのセーフティ・インストラクションのイラストでは新JALカラーになっていましたけれど。)
2004年9月12日のJAL1211便(東京(羽田)→青森線)搭乗時の撮影。
セーフティ・インストラクションは、600Rとは違う物が備え付けられていました。
MD-87
(1988~2007)
JASになってからは初の新機種。
MD-81の胴体短縮型で、離着陸時の騒音を抑えられるため、主に大阪(伊丹)空港発着のローカル線で使用され、YS-11路線のジェット化に貢献。
また、新空港移転前の北九州空港は滑走路長が短かかったため、東京~北九州線はMD-87が専用で使用されていました。
その旧空港時代の2002年7月13日、JAS348便でMD-87に搭乗した事がありました。
JASのMD-87は、これが唯一の搭乗になりました。
旧空港は山に囲まれた内陸にありました。
航空便に合わせて小倉から西鉄(当時は西鉄バス京築)の連絡バスもありますが、JR日豊本線・下曽根駅からも歩いて行けます。
駅からは15分位だったでしょうか。
何しろ当時はJAS東京線が1日4便だけ、という空港なので、ターミナルビルもこじんまりしています。
ちなみにこの日は松山・坊ちゃんスタジアムでプロ野球のオールスター戦が行なわれていて、出発ロビーのTVで中継も行なわれていました。
TVに映っているのは、近鉄(当時)のタフィー・ローズ選手。
MD-87の機内。
この日はちょっとお客さんが少なくて、30人程度。
この頃のJAS機材は座席が花柄で、華やかさを強調していたようです。
DC-10-30
(1988~2000)
JASのDC-10-30については、「№16 JAS DC-10-30」で取り上げました。
そちらをご覧下さい。
JASとしては、期待されながらも、あまり運がなかったフリートでした。
A300-600R
(1991~)
1990年代に入り、いよいよJASもハイテク・ワイドボディ機の時代になります。
A300-600Rは、A300在来型をベースにして、先にハイテク機としてデビューしていたA310(日本では採用例なし)のコクピットシステムを採用して、2人乗務で飛べるようにしたタイプ。
結果的にこれが、長くJASの顔となります。
1994年の関西空港開港時には、関空~広州線をこの機種で開設。
広州は日本のエアラインは初就航だった(JALもANAも乗り入れがなかった)事もあり、JASも随分力を入れていました。
また、国内線用は後に、後述のB777-200導入に合わせて、スーパーシートが設定されています。
JA8562は「ポカリスエット」の胴体広告機になりました。
こちらをご覧下さい。
JAL統合後も全機が引き継がれています。
ただし、スーパーシートは「クラスJ」になりました。
600Rに関しては、統合前から新JALカラーへの塗り替えが進められましたが、その内の1機、JA8377は、JALのB747-400Dとともに、「松井ジェット」として就航しました。
JAS機材からスペシャル・カラー機が抜擢されたのは、JAL・JAS融合の象徴だったのかと思います。
A300は、B2K、B4、600Rいずれもそうですが、B747やDC-10、トライスター等とと比べれば小型ではあるものの、幹線でも、ローカル線でも、さらには国際線でも就航できるという事で、JASでは一番使いやすいフリートだったのかな、と感じます。
MD-90-30
(1996~)
DC-9-81の後継機で、新エンジン搭載で低騒音化が計られました。
しかし、JASの場合はなんといってもカラーリングに特徴があります。
故黒澤明監督がデザインした、7種類の機体デザインが話題になりました。
ここに、今はもう見られない7つのパターンを、一挙公開してみます。
JA8064・JA8004・JA005Dの3機がこのデザイン。
JA8065・JA8020・JA006Dの3機がこのデザイン。
デザインはこちらが先だったらしく、黒澤監督のサインが入っています。
なので、世界の航空ファンの間では、これが一番の人気だそうです。
JA8063・JA8029の2機がこのデザイン。
JA8062・JA001Dの2機がこのデザイン。
JA8066・JA002Dの2機がこのデザイン。
JA8069・JAJA008Dの2機がこのデザイン。
JA8070・JA004Dの2機がこのデザイン。
キャビンでは、JASのナローボディ機としては初めて、小型ながらモニターが備えられました。
A300でさえ、B2K/B4では大型スクリーンすらなかったのに比べると、JASのキャビンサービスもかなりグレードアップされてきました。
もっとも、A300-600R同様、離着陸時には天井に収納されてしまうので、前方の光景が見られなくなってしまうのが残念ではありますが。
全機JALに引き継がれ、クラスJも設定されています。
B777-200
(1996~)
JASは当初、長距離国際線用にB747-400を発注していましたが、湾岸戦争を発端とする航空業界の経営危機の影響でキャンセル。
代わって、国内幹線用に導入されたもので、それでもJASでは、B727-200以来のボーイング機になりました。
機体のデザインは公募によるものです。
ポートサイド側と、写真のスターボード側ではデザインが異なるのですが、ポートサイドは機内で頂いたポストカードでご覧頂こうと思います。
キャビンはJASでは初めてとなるスーパーシートと普通席、そして1000円の追加料金で利用できる「レインボーシート」と、国内線では初の3クラス制を採用。
また、全席にパーソナルTVを装備しました。
幹線ではANA・JALと競合するので、サービスに差をつけて立ち向かおう、という事でしょう。
最後の3機ではゲームも装備されました。
JAL統合後は、キャビンの配置の違いから「7J2」の記号で、「772」の旧JAL機材とは区別されています。
スーパーシート・レインボーシートは全て「クラスJ」として提供されています。
B777-300
(2003~)
JALへの完全統合を控えた2003年10月に2機導入。
最初から新JALカラーで、キャビンもそれまでJALが導入していた同型と同じになっています。
とはいえ、JAS史上最後にして、最大の機体ということになりました。
JAL統合後も東京(羽田)~札幌(新千歳)・福岡・沖縄線などの幹線で運航されています。
私は、JAS便には全部で28回搭乗しました。
一番数多く搭乗したのがA300-600Rで、12回。
在来型のA300(B2K・B4)が7回。
B777-200が3回。
DC-9-81とMD-81が合わせて2回。
MD-90-30も2回。
YS-11とMD-87が各1回。
DC-10-30は搭乗した事がありませんでした。
ローカル線中心でナローボディが大半というJASとはいえ、東京に住んでいると、やはりワイドボディが中心になるものですね。
(なお、B777-300はJAL便として搭乗した機会あり。)
JASで導入された機材とか、あるいは路線網(特に国際線)の歴史を紐解くと、JAL・ANAとの2大エアラインに挟まれ苦闘する姿が見えるような気がします。
それだけに、2社に負けまいと先進的なサービスがいくつもあったし(何しろ「レインボーシート」はJAL統合後の「クラスJ」に生かされている。)、何よりCAや、加えていうとコックピットクルーもよりフレンドリーで、拙い旅行者の私のリクエストにも親切に応えてくれて、印象的だったエピソードがいくつもあります。
(別にJALやANAがフレンドリーじゃない、と言う事では決してないので誤解のないように。)
そのJASがJALに完全に統合されて5年が過ぎましたが、ご存知の通り、現在JALは深刻な経営難に陥り、それが元で連日のように、マスコミ・ジャーナリズムにある事ない事面白おかしく書き立てられ、現場の人々は心を痛めつつ、それでも懸命に日々の業務に励んでおられるのだと思います。
今のJALの職員の中には、かつてJASでホスピタリティあるサービスを提供してくれた人々がまだ数多くいるはずです。
その精神は、統合後のJALグループ全体にも生かされているはずです。
少なくとも私はそう信じます。
当分苦境からは抜け出せず、辛い日々は続くと思いますが、ぜひJAS譲りのサービスマインドで、世界の航空業界をリードするJALが蘇って欲しいと、心から思います。
当時設定されていたバースディ割引で搭乗した、2001年12月21日の沖縄→東京(羽田)線・JAS552便で、CAの方から頂いたグリーティング・カードです。
今日の記事については、
「日本の旅客機」各年度
「旅客機形式シリーズ4 AirbusA300&A310」
「旅客機形式シリーズ7 DC-9/MD-80/MD-90&Boeing717」
(いずれもイカロス出版)
を参考にさせていただきました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)