№39 京成「赤電」シリーズの軌跡

 先週の木~土曜日の間、京成電鉄創立100年事業の一環として運行されている旧塗装復元車(「青電」「赤電」「ファイアーオレンジ」)を追跡する撮り歩きについて書きました。
 この各種旧塗装をまとった3300形は、都営地下鉄浅草線直通規格によって製作された、3000形に始まる鋼製車体グループの最後のシリーズになります。すでに3200形以前は全滅、3300形も京成では4連×8=32両、他に北総鉄道に7260形としてリースされている8両、合計40両だけになっています。
 そこで、簡単ですが、手持ちの画像を交えて3000形シリーズ、通称「赤電」シリーズの軌跡を降り返って見たいと思います。
 なお、今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル1997年1月臨時増刊号」「同2007年3月臨時増刊号」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両12 京成電鉄」(保育社 -現在はネコ・パブリッシングによって復刻-
「私鉄車両編成表」各年版(ジェー・アール・アール)
を参考にしています。

◆ 3000形 (1958年~1990年)
 申し訳ありませんが、この形式のみ画像がありません。
 1958年、浅草線(当時はまだ線名がなく1号線)直通規格で製作されましたが、改軌(1,372㎜→1,435㎜)前のデビューで、翌年に台車を履き替えました。
 また、デビュー時点は「青電」カラーで、2年後に「赤電」カラーになりました。
 わずかな期間ですが、「赤電」シリーズで唯一、公式に「青電」カラーをまとっていたグループになります。
 冷改は行なわれませんでした。
 3004号車が宗吾基地で保存されていますが、一般の目に触れる機会がないのが残念です。

◆ 3050形 (1959年~1995年)

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 初めから1,435mmの軌間で製作されたグループで、また、初めて「赤電」カラーが採用されました。
 後に冷房改造や「ファイアーオレンジ」カラーへの変更が行なわれました。
 但し、1994年には改軌35周年記念で「赤電」色が復刻しているそうです。
 それから、4連×1が、1992年開業の千葉急行電鉄にリースされています。

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 多少脇道にそれますが、千葉急行電鉄では終始自前の車両の新製は行なわず、京成から4連をリースするという形態で車両を保有していました。
 運用は京成の4連と全く共通で、画像も押上~金町の折返し運用です。(柴又駅での撮影。)

◆ 3100形 (1960年~1998年)
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 3050形のマイナーチェンジ車で、スタイル的には正面のヘッドライトが中央1灯→左右2灯になった所が変わった点です。
 ただ、3050形、3100形共に、後に行先表示装置を貫通扉上に設けて、顔つきが同じになっていますから、見た目には別形式とはわからないと思います。
 3100形は6両(4連1編成+3150形と編成を組む2両)が千葉急行電鉄にリースされました。

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 3050形と交代でのリースで、カラーリングが変わり、現在の京成標準色の帯の関係を逆にしたものになっています。

◆ 3150形 (1963年~2003年) 
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 3100形のマイナーチェンジで、これまで2連で製作されてきた(後に4連化)のに対して、初めて最初から4連の固定編成で製作されました。
 1983年開始の冷房改造・車体更新工事では、顔つきが大きく変わり、当時の最新系列の3600形を意識した物になりました。
 これは後の3200形、3300形にも受け継がれる事になります。
 貫通扉の種別表示ですが、3150形のみ更新後も幕ではなく、種別が書かれたボードを差し込む形になっていました。
 なお、最終編成は「開運号」使用のため、当初はクロスシートだったそうです。
 3150形も千葉急行電鉄、及び当時の北総開発鉄道にリースされました。

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 千葉急行には当初2両がリースされ、3100形と編成を組んでいました。
(この編成がそうです。3157-3158は3121-3122と組んでいました。ただし、後に3161-3162と交代。) のちにもう一本がリースされ、3100形を置き換えました。
 しかし千葉急行電鉄は経営悪化のため、1998年に京成電鉄が引き継ぎ、千原線となりました。
(千原線の運賃体系が京成の他の路線と異なるのはこのためです。)
 従って、千葉急行へは最後のリース形式となります。

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 北総開発鉄道には4連×2=8両がリースされ、7050形となりました。
 ちなみにこれは京急線の平和島での撮影で、行先の「羽田」は現在の天空橋です。

◆ 3200形 (1964年~2008年)
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 京成で初めて両開き扉を採用しました。
 また、「赤電」シリーズは基本的にオールMなのですが、3221Fから、先頭車先頭側の台車がT化され、4連では実質3M1Tになりました。
 このグループは後に6連に組みかえられ、一部が運転台を撤去した上、先頭車の台車を前後で入れ替えました。(京急線への直通を考慮したため。)
 なお、最終の4連×2(90番台)は「開運号」使用のため、片開き・クロスシートでデビューしました。

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 このうち、3295Fは一昨年の引退の際、「開運号」復元として、「赤電」カラーになりました。
 これについては一昨日書いていますのでこちらをご覧下さい。

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 もう一本の3291Fは試作的にVVVF改造されました。
 角型一体のヘッド・テールランプが目に付くポイントです。

 この他、現行色に変更する前の1991年~1992年には4連×4本でカラーリングの試験が行なわれ、1本毎に異なるカラーになっていました。

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 3200形も、8連一本が北総開発鉄道にリースされ、7050形と交代して7250形となりました。
 京成本体では実現しなかった、8両固定編成というのがポイント。

◆ 3300形 (1968年~現役)
 見た目には3200形とそう変わらないのですが、車内でつかみ棒が新設されました。
 一昨日、旧塗装復元車としての「ファイアーオレンジ」色の撮影について書きましたが、実は以前、標準色としての「ファイアーオレンジ」色を撮影した事がありました。

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 上の3200形と同時期の撮影で、画像のように新旧混色の編成も多く見られました。
 2次車以降、最初から正面に行先方向幕がつき、台車が金属バネになりました。
 現在運行中の旧塗装復元車では、「ファイアーオレンジ」(3309F)が空気バネの1次車、「青電」(3353F)及び「赤電」(3345F)は金属バネの4次車と言う事になります。
 そして、現在は「青電」の3353Fを持って、「赤電」シリーズの製造が終了する事になります。

 3313Fでは、クロスシートの試作が行なわれた事がありました。

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(上から3313・3314・3315・3316各号車の車内)
 1両ごとに微妙にレイアウトが変わっていました。
 私は最初にこれを見た時、「京急2000形のような本格的なものはともかく、ひょっとしたら京成でも料金不要のクロスシート車が生まれるのかもしれないな。」と勝手に思ったものでした。
 結局実現する事はありませんでしたが。
 ではなぜ、クロスシートの試作をしたのか、という疑問も残るのですが。

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 3300形もまた北総鉄道にリースされて7250形と交代、7260形として現在も運用されています。

 京成は経営難もあって冷房車の導入が進まず、新車では1972年の3500形から採用されたものの、「赤電」シリーズの冷改は1983年の3150形からようやく始まりました。
 冷房化率100%達成は1991年。
 ほとんどは冷改と車体更新が同時でした。
 ただし、3300形は先に冷改が行なわれ、その後車体更新が実施されました。

 最後の「赤電」シリーズ・3300形は、京成では普通列車のみで最後の活躍をしていますが、恐らくは来年予定される成田空港鉄道の開通の時点で、北総7260形共々、姿を消す事になりそうです。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)