№18 「BUS JAPAN バス・ジャパン」 1

 今日はお休みにするつもりでしたが、思ったより早く書けたので、今日取り上げます。
 今回は久し振りにバスの話、と言っても20年以上前のバスの雑誌についてです。

 1986年夏、私が立ち寄った戸塚の書店 -再開発もあって既に廃業しているが- の書棚に、1冊の雑誌が目に留まりました。

「BUS JAPAN バス・ジャパン」

 表紙にペガサスのマークをまとったその雑誌を手にとって、中を眺めた私は、一瞬にしてその虜になってしまいました。
(いや、冗談ではなく。)

 今でこそバスの雑誌も「バスラマ・インターナショナル」(ぽると出版)、「バスマガジン」(三推社/講談社)、「バスグラフィック」(ネコ・パブリッシング)など硬軟合わせて数誌あり、ムック本も含めれば、書店でバス関係の雑誌や書籍を探す事も難しくなくなっています。
 それに、コレクションだって、少し大人向けになると、昔はトミカ位しかなかったのに、今はチョロQからバスコレやスケールモデル各種、果ては「バスむすめ」なるフィギュアまで現れるのですから、オールド・ファンからすると時代も変わったなあと感じてしまいます。

 翻って1980年代後半となると、鉄道趣味は既にある程度はメジャーな地位を獲得していましたが(SL引退~「ブルトレブーム」の流れが大きい)、バス趣味となると、日本バス友の会の存在はあっても、メディアへの露出は皆無に近く、マイナーな存在でした。
 せいぜい、「鉄道ジャーナル」誌1984年6月号で第2特集として国鉄バスが取り上げられ、その後は現在にも繋がる「BUS CORNER」が始まった程度でした。
 (他に同誌の性格上、鉄道との関係で -例えば特急VS高速バスとか、国鉄の特定地方交通線転換問題と絡めて- 取り上げられる事は多かったが。)

 したがって、「BUS JAPAN」は私の知る限り、日本初のバス専門の雑誌だと思います。
 私は迷わず速攻で購入し、自宅に持ち帰っては食い入るようにページをめくって眺めていました。
 880円という価格は、当時としては多少高かったかも知れませんが、ほとんど気になりませんでした。

 さて、その「BUS JAPAN」は、B5版で74ページ(表紙は除く)、はっきり言って薄っぺらいです。
 また、表裏の表紙以外のページは全て白黒と、相当地味でした。
 ただ、たとえモノクロでも、写真がふんだんに多かったのが嬉しかったです。

 創刊号の特集は「都バスオールガイド」。
 やはり今も昔も、都営バスは全国区の人気なのですね。
 先述した「ペガサスのマーク」とは、1985年に運行を開始した都市新バス〔都01〕系統、「グリーンシャトル」のヘッドマークです。
 まずは「五つのまちをゆく」と題して、都内各地を走る都営バスの姿が映し出されています。
 銀座を走る〔東90〕や、ヘッドマークをつけた〔東98〕首都高速経由便、浅草の2階建てバス、海底トンネルを出る〔海01〕系統と、もう見られない系統もあります。
 一之江付近も、今では信じられない位「田舎」ですね。
 続いて「トライ・ザ・700キロ」と題し、編集長・加藤佳一氏による都営バス全系統乗りつぶし、当時の路線の略図、交通局運輸課主査の筆による「都バスの歴史」、そして、先の「グリーン・シャトル」に始まる「都市新バス・システム」の解説。
 多少脱線しますが、「グリーン・シャトル」は私も開業直後に乗りに行った事があります。専用ボディと共に、グリーンとクリームのツートンカラーのハイバックシート -片側2列- が非常に斬新に思えたものです。
 (ちなみにこの系統は〔橋89〕系統を前身としていますが、青山付近でルートを変更しています。)

 「都バスVS民鉄バス 乗入れ路線 乗比べ」では、当時5つあった都営バスと民営バスの相互乗り入れ路線について、両者を乗り比べてみるという企画でした。
 結びで「お互いにもっと競争意識を持ってもいいのではないか」と結んでいますが、この下りは、今の目で見ると時代の違いを感じます。
 今だったら、公営バス運行部分は、横浜市営に見られるように、全面的に民営に譲渡するというのが一般的な流れでしょうから。
 また、そうはならなくても、逆にダイヤの調整とか、車両のレベルや営業政策の統一とかで、事業者による違いをあまり感じさせない方が良いのではないかと思います。
 もちろん、各事業者毎のレベルアップも大切ですが、それは「競争」とは別だと思うので。
 なお、ここで取り上げられた5系統の内、現在も全く同じ2者共同運行になっているのは、〔渋66〕〔東98〕のみです。
 〔錦27〕は都営バスは両国駅~小岩駅、京成電鉄は京成タウンバスになり、〔小74〕系統・小松川警察署~小岩駅に短縮されています。
 〔王30〕は都営は足立区役所に乗り入れて分割され、亀有駅側は〔有30〕、王子駅側は〔王49折返〕になっています。東武バスは系統はそのまま残っていますが、1日2往復に激減しています。
 〔中63〕はルポがありませんが、〔渋66〕と同じ都営・京王の共同運行だったので省略されたのでしょうか。系統そのものが廃止になっています。
 一方、かなり後ですが、都庁の新宿移転に伴って運行を開始した〔C・H01〕が、運行開始当初は都営のみだった所、京王バスも参入して共同運行になっています。

 この後は種村直樹氏の〔銀71〕(現在の〔都03〕)の現場のルポ、そして最大の「売り」である現有車両カタログと続きますが、それは次回に書きたいと思います。

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