日本初の低運賃航空会社(LCC=ロー・コスト・キャリア)、スカイマークのB767-300ERが、明日30日退役します。
1998年の運行開始以来、11年の間同社を支えてきた功労機なのですが、同社のサイトでは一言も触れられていないのが残念です。
スカイマーク(当時はスカイマーク・エアラインズ 以下SKY)は、航空業界の規制緩和の波に乗り、1998年に旅行会社H.I.Sが母体となって設立された初の新規航空会社で、9月よりB767-300ER1機で、東京~福岡間に就航(一日3往復)しました。
本来、LCCはB737など小型の機材を使用し、運用効率を上げるなどして収益を確保する所、ワイドボディのB767を選択した理由としては、羽田空港の新C滑走路の運用開始などがあったといっても、まだ充分な発着枠を確保できる状況にはなかった事、既にANA、JAL、旧JASが大型機材で多数運行する幹線への参入だったため、対抗上、当面は大型の機材が必要だったという事が挙げられると思います。
(これは3ヶ月後に就航したエア・ドゥ(北海道国際航空)も同じと思います。)
長距離使用のERとしたのは、国際線への展開も見込んでの事とされ、後述しますが、事実羽田~ソウル間の深夜運航のチャーター便を運航していた事もありました。
SKYのB767の外見上の特徴として、スポンサーを募った上で、胴体に大きく広告を掲げた事があります。当時としては大きな話題でした。
(ただし日本の胴体広告機は、旧JASのA300-600Rに大塚製薬がスポンサーになって「ポカリスエット」の広告を描いたのが初めて。)
このような例は海外にもあり、例えばアイルランドのLCC・ライアン航空がB737にハーツ・レンタカーやジャガー、ボーダフォンなどの広告を描いています。過去にはアメリカの今はなきウェスタン・パシフィック航空も行なっていました。探せば他のLCCでやっている所は多いでしょう。
1号機、JA767Aは、衛星放送サービス「DIREC TV」(現在、日本ではスカイパーフェクTVに統合)の広告機でした。
ちなみに、この写真は札幌の新千歳空港で撮影しています。現在SKYは東京~札幌線を運航していますが、当時は2号機導入の時点で、大阪~福岡線と大阪~札幌線を運航していました。その時の撮影です。
2号機、JA767Bは、誰もが知っている世界最大のソフトウェア企業、「Microsoft」。
撮影場所は福岡。
この2機、JA767AとJA767Bは、この後一定期間毎に広告を変えて行きます。
1号機はこれも皆さん後存知、検索エンジン「YAHOO!」を運営する「YAHOO!JAPAN」に変わりました。
2号機は、携帯電話サービスの「J-PHONE」に。
(J-PHONEは後にVodafoneに買収されるが、Vodafone自体がソフトバンクに売却された。)
1号機の広告の3代目は「カーコンビニ倶楽部」が提供する車検サービス「ヤマト車検」に。
SKYの胴体広告では唯一、通信・IT関連以外の企業がスポンサーになりました。
ちなみに、「ヤマト」という事からか、松本零士による宇宙戦艦やキャラクターが描かれていますが、「宇宙戦艦ヤマト」とは関係がありません。
2号機の広告の3代目は有線ラジオ放送の最大手「USEN」。
このUSENが、SKYにおける胴体広告の最後のスポンサーになりました。
収入以上にコストがかかったという事らしいです。
胴体の広告 -SKYに限らず、例えばJALの「コブクロジェット」や、ANAの東京オリンピック招致などもそう- はバスや鉄道と同じラッピングによる物らしいですが、何しろ面積が比べ物にならないくらい広いし、安全性もさらに気を使わなければならないのでしょう。
もし万が一、飛行中にペロンとはがれてどこかへ飛んでいってしまったら、えらい事態になってしまいますからね。
機体の広告のスポンサー延べ6社の内、5社が通信・IT関連というのが、当時の日本の経済や世相を反映していたのかなと思います。
(5社の内2社が日本からは姿を消している事も。)
この2機はキャビンは前方に「シグナスクラス」(かつての大手3社が導入していた「スーパーシート」と同じ)、後方に、2-4-2配置の普通席が並んでいました。
普通席はANA・JALの2-3-2よりも若干座席幅を詰めた近距離仕様です。
この機体には1度だけ、それも「シグナスクラス」に搭乗した事があります。
2004年10月26日の福岡発東京(羽田)行・BC014便。
JA767Aで、この頃には胴体の広告は「ヤマト車検」でした。
シグナスクラスの機内食。
大手に負けない本格的な機内食がサービスされました。
食後のコーヒーも本格的なカップでのサービス。
シグナスクラスは残念ながら昨年廃止されました。
普通席。
ANA・JALの同型より横1列で1席多く、多少きついのではないかと思われますが、普通席には搭乗した事がなかったので比較のしようがありません。
このあと、SKYは路線の拡張に合わせて、B767を増やしていきます。
しかし、胴体の広告は採用されず、結果、ようやくオリジナルのSKYのカラーが見られるようになりました。
3号機・JA767C。
これは鹿児島空港で撮影しました。
SKYは2002年に東京~鹿児島線に就航。
市中の天文館に小ぶりなチケットカウンターが設けられていたのですが。
結局わずか4年で休止になってしまいました。
この機材は、羽田~ソウル間で深夜運航のチャーター便で使用された事もあります。
この後、B767-300ERは、沖縄で運航が予定されていながら挫折したレキオス航空の機材など、合計3機を追加し、6機体制となります。4号機以降はシグナスクラスを廃止した代わりに普通席を2-3-2の通常配置に変更、シート自体が革張り・個人テレビ装備の豪華版になりました。
また、2003年には羽田~青森・徳島線用として、ANAよりB767-200(JA8255)をリースし、ほぼ専用機として運航していました。
但し、青森線は約半年、徳島線も1年で撤退してしまい、ANAに返却(ANAには復帰せずそのままアメリカに売却)しています。
このあたり、さすがにSKYも戦略に迷いがあったように感じられます。
2006年、SKYは社名を「スカイマーク」と改め、同時に新カラーを導入しました。
星の黄色がより大きく、目立つ存在になっています。
これは青系のANA、赤系のJALに対抗する第3勢力となる、というSKYの意気込みでしょうか。
そして、その前年の2005年にはB767-300ERに変わる新機材、B737-800を導入、開港したばかりの神戸空港への乗り入れ、同空港を起点にした路線の開設など、新たな展開が見られるようになります。
(同社は「第2の創業」と呼んでいます。)
B737導入による高頻度運航は、SKYが、LCC本来の形になりつつある事を表しています。
その一方、B767-300ERは2007年9月よりリタイアが始まり、2008年8月にはSKYの1号機であるJA767Aも退役しました。そして最後の1機、JA767Dが、明日SKYから姿を消すのです。
SKYではB737-800が既に10機体制となっていて、これは既にB767-300ERをしのぐ数です。
さらに、来年の羽田空港D滑走路運用開始に合わせてさらに増機が進められる予定で、神戸からの路線の新設も予定されており、羽田と神戸・2地点をベースに格安航空サービスが充実していくのでしょう。
その影で、日本の航空史に新たな1ページを開く活躍を見せながら、JALのB747クラシックのように騒がれることなく、静かに日本の空から消えていくSKYのB767に拍手を送りたいと思います。
この記事は、「日本の旅客機」各年版(イカロス出版)を参考に記述いたしました。
ところで、明日は本体のサイトの更新を行なう事、及び当ブログのサービスを提供するBIGLOBEが、メンテナンスのためウェブリブログのサービスを長時間停止(23:00~翌日11:00)するという事なので、明日はお休みさせて頂きます。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№39 京成「赤電」シリーズの軌跡
先週の木~土曜日の間、京成電鉄創立100年事業の一環として運行されている旧塗装復元車(「青電」「赤電」「ファイアーオレンジ」)を追跡する撮り歩きについて書きました。
この各種旧塗装をまとった3300形は、都営地下鉄浅草線直通規格によって製作された、3000形に始まる鋼製車体グループの最後のシリーズになります。すでに3200形以前は全滅、3300形も京成では4連×8=32両、他に北総鉄道に7260形としてリースされている8両、合計40両だけになっています。
そこで、簡単ですが、手持ちの画像を交えて3000形シリーズ、通称「赤電」シリーズの軌跡を降り返って見たいと思います。
なお、今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル1997年1月臨時増刊号」「同2007年3月臨時増刊号」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両12 京成電鉄」(保育社 -現在はネコ・パブリッシングによって復刻-)
「私鉄車両編成表」各年版(ジェー・アール・アール)
を参考にしています。
◆ 3000形 (1958年~1990年)
申し訳ありませんが、この形式のみ画像がありません。
1958年、浅草線(当時はまだ線名がなく1号線)直通規格で製作されましたが、改軌(1,372㎜→1,435㎜)前のデビューで、翌年に台車を履き替えました。
また、デビュー時点は「青電」カラーで、2年後に「赤電」カラーになりました。
わずかな期間ですが、「赤電」シリーズで唯一、公式に「青電」カラーをまとっていたグループになります。
冷改は行なわれませんでした。
3004号車が宗吾基地で保存されていますが、一般の目に触れる機会がないのが残念です。
◆ 3050形 (1959年~1995年)
初めから1,435mmの軌間で製作されたグループで、また、初めて「赤電」カラーが採用されました。
後に冷房改造や「ファイアーオレンジ」カラーへの変更が行なわれました。
但し、1994年には改軌35周年記念で「赤電」色が復刻しているそうです。
それから、4連×1が、1992年開業の千葉急行電鉄にリースされています。
多少脇道にそれますが、千葉急行電鉄では終始自前の車両の新製は行なわず、京成から4連をリースするという形態で車両を保有していました。
運用は京成の4連と全く共通で、画像も押上~金町間の折返し運用です。(柴又駅での撮影。)
◆ 3100形 (1960年~1998年)
3050形のマイナーチェンジ車で、スタイル的には正面のヘッドライトが中央1灯→左右2灯になった所が変わった点です。
ただ、3050形、3100形共に、後に行先表示装置を貫通扉上に設けて、顔つきが同じになっていますから、見た目には別形式とはわからないと思います。
3100形は6両(4連1編成+3150形と編成を組む2両)が千葉急行電鉄にリースされました。
3050形と交代でのリースで、カラーリングが変わり、現在の京成標準色の帯の関係を逆にしたものになっています。
◆ 3150形 (1963年~2003年)
3100形のマイナーチェンジで、これまで2連で製作されてきた(後に4連化)のに対して、初めて最初から4連の固定編成で製作されました。
1983年開始の冷房改造・車体更新工事では、顔つきが大きく変わり、当時の最新系列の3600形を意識した物になりました。
これは後の3200形、3300形にも受け継がれる事になります。
貫通扉の種別表示ですが、3150形のみ更新後も幕ではなく、種別が書かれたボードを差し込む形になっていました。
なお、最終編成は「開運号」使用のため、当初はクロスシートだったそうです。
3150形も千葉急行電鉄、及び当時の北総開発鉄道にリースされました。
千葉急行には当初2両がリースされ、3100形と編成を組んでいました。
(この編成がそうです。3157-3158は3121-3122と組んでいました。ただし、後に3161-3162と交代。) のちにもう一本がリースされ、3100形を置き換えました。
しかし千葉急行電鉄は経営悪化のため、1998年に京成電鉄が引き継ぎ、千原線となりました。
(千原線の運賃体系が京成の他の路線と異なるのはこのためです。)
従って、千葉急行へは最後のリース形式となります。
北総開発鉄道には4連×2=8両がリースされ、7050形となりました。
ちなみにこれは京急線の平和島での撮影で、行先の「羽田」は現在の天空橋です。
◆ 3200形 (1964年~2008年)
京成で初めて両開き扉を採用しました。
また、「赤電」シリーズは基本的にオールMなのですが、3221Fから、先頭車先頭側の台車がT化され、4連では実質3M1Tになりました。
このグループは後に6連に組みかえられ、一部が運転台を撤去した上、先頭車の台車を前後で入れ替えました。(京急線への直通を考慮したため。)
なお、最終の4連×2(90番台)は「開運号」使用のため、片開き・クロスシートでデビューしました。
このうち、3295Fは一昨年の引退の際、「開運号」復元として、「赤電」カラーになりました。
これについては一昨日書いていますのでこちらをご覧下さい。
もう一本の3291Fは試作的にVVVF改造されました。
角型一体のヘッド・テールランプが目に付くポイントです。
この他、現行色に変更する前の1991年~1992年には4連×4本でカラーリングの試験が行なわれ、1本毎に異なるカラーになっていました。
3200形も、8連一本が北総開発鉄道にリースされ、7050形と交代して7250形となりました。
京成本体では実現しなかった、8両固定編成というのがポイント。
◆ 3300形 (1968年~現役)
見た目には3200形とそう変わらないのですが、車内でつかみ棒が新設されました。
一昨日、旧塗装復元車としての「ファイアーオレンジ」色の撮影について書きましたが、実は以前、標準色としての「ファイアーオレンジ」色を撮影した事がありました。
上の3200形と同時期の撮影で、画像のように新旧混色の編成も多く見られました。
2次車以降、最初から正面に行先方向幕がつき、台車が金属バネになりました。
現在運行中の旧塗装復元車では、「ファイアーオレンジ」(3309F)が空気バネの1次車、「青電」(3353F)及び「赤電」(3345F)は金属バネの4次車と言う事になります。
そして、現在は「青電」の3353Fを持って、「赤電」シリーズの製造が終了する事になります。
3313Fでは、クロスシートの試作が行なわれた事がありました。
(上から3313・3314・3315・3316各号車の車内)
1両ごとに微妙にレイアウトが変わっていました。
私は最初にこれを見た時、「京急2000形のような本格的なものはともかく、ひょっとしたら京成でも料金不要のクロスシート車が生まれるのかもしれないな。」と勝手に思ったものでした。
結局実現する事はありませんでしたが。
ではなぜ、クロスシートの試作をしたのか、という疑問も残るのですが。
3300形もまた北総鉄道にリースされて7250形と交代、7260形として現在も運用されています。
京成は経営難もあって冷房車の導入が進まず、新車では1972年の3500形から採用されたものの、「赤電」シリーズの冷改は1983年の3150形からようやく始まりました。
冷房化率100%達成は1991年。
ほとんどは冷改と車体更新が同時でした。
ただし、3300形は先に冷改が行なわれ、その後車体更新が実施されました。
最後の「赤電」シリーズ・3300形は、京成では普通列車のみで最後の活躍をしていますが、恐らくは来年予定される成田空港鉄道の開通の時点で、北総7260形共々、姿を消す事になりそうです。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
この各種旧塗装をまとった3300形は、都営地下鉄浅草線直通規格によって製作された、3000形に始まる鋼製車体グループの最後のシリーズになります。すでに3200形以前は全滅、3300形も京成では4連×8=32両、他に北総鉄道に7260形としてリースされている8両、合計40両だけになっています。
そこで、簡単ですが、手持ちの画像を交えて3000形シリーズ、通称「赤電」シリーズの軌跡を降り返って見たいと思います。
なお、今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル1997年1月臨時増刊号」「同2007年3月臨時増刊号」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両12 京成電鉄」(保育社 -現在はネコ・パブリッシングによって復刻-)
「私鉄車両編成表」各年版(ジェー・アール・アール)
を参考にしています。
◆ 3000形 (1958年~1990年)
申し訳ありませんが、この形式のみ画像がありません。
1958年、浅草線(当時はまだ線名がなく1号線)直通規格で製作されましたが、改軌(1,372㎜→1,435㎜)前のデビューで、翌年に台車を履き替えました。
また、デビュー時点は「青電」カラーで、2年後に「赤電」カラーになりました。
わずかな期間ですが、「赤電」シリーズで唯一、公式に「青電」カラーをまとっていたグループになります。
冷改は行なわれませんでした。
3004号車が宗吾基地で保存されていますが、一般の目に触れる機会がないのが残念です。
◆ 3050形 (1959年~1995年)
初めから1,435mmの軌間で製作されたグループで、また、初めて「赤電」カラーが採用されました。
後に冷房改造や「ファイアーオレンジ」カラーへの変更が行なわれました。
但し、1994年には改軌35周年記念で「赤電」色が復刻しているそうです。
それから、4連×1が、1992年開業の千葉急行電鉄にリースされています。
多少脇道にそれますが、千葉急行電鉄では終始自前の車両の新製は行なわず、京成から4連をリースするという形態で車両を保有していました。
運用は京成の4連と全く共通で、画像も押上~金町間の折返し運用です。(柴又駅での撮影。)
◆ 3100形 (1960年~1998年)
3050形のマイナーチェンジ車で、スタイル的には正面のヘッドライトが中央1灯→左右2灯になった所が変わった点です。
ただ、3050形、3100形共に、後に行先表示装置を貫通扉上に設けて、顔つきが同じになっていますから、見た目には別形式とはわからないと思います。
3100形は6両(4連1編成+3150形と編成を組む2両)が千葉急行電鉄にリースされました。
3050形と交代でのリースで、カラーリングが変わり、現在の京成標準色の帯の関係を逆にしたものになっています。
◆ 3150形 (1963年~2003年)
3100形のマイナーチェンジで、これまで2連で製作されてきた(後に4連化)のに対して、初めて最初から4連の固定編成で製作されました。
1983年開始の冷房改造・車体更新工事では、顔つきが大きく変わり、当時の最新系列の3600形を意識した物になりました。
これは後の3200形、3300形にも受け継がれる事になります。
貫通扉の種別表示ですが、3150形のみ更新後も幕ではなく、種別が書かれたボードを差し込む形になっていました。
なお、最終編成は「開運号」使用のため、当初はクロスシートだったそうです。
3150形も千葉急行電鉄、及び当時の北総開発鉄道にリースされました。
千葉急行には当初2両がリースされ、3100形と編成を組んでいました。
(この編成がそうです。3157-3158は3121-3122と組んでいました。ただし、後に3161-3162と交代。) のちにもう一本がリースされ、3100形を置き換えました。
しかし千葉急行電鉄は経営悪化のため、1998年に京成電鉄が引き継ぎ、千原線となりました。
(千原線の運賃体系が京成の他の路線と異なるのはこのためです。)
従って、千葉急行へは最後のリース形式となります。
北総開発鉄道には4連×2=8両がリースされ、7050形となりました。
ちなみにこれは京急線の平和島での撮影で、行先の「羽田」は現在の天空橋です。
◆ 3200形 (1964年~2008年)
京成で初めて両開き扉を採用しました。
また、「赤電」シリーズは基本的にオールMなのですが、3221Fから、先頭車先頭側の台車がT化され、4連では実質3M1Tになりました。
このグループは後に6連に組みかえられ、一部が運転台を撤去した上、先頭車の台車を前後で入れ替えました。(京急線への直通を考慮したため。)
なお、最終の4連×2(90番台)は「開運号」使用のため、片開き・クロスシートでデビューしました。
このうち、3295Fは一昨年の引退の際、「開運号」復元として、「赤電」カラーになりました。
これについては一昨日書いていますのでこちらをご覧下さい。
もう一本の3291Fは試作的にVVVF改造されました。
角型一体のヘッド・テールランプが目に付くポイントです。
この他、現行色に変更する前の1991年~1992年には4連×4本でカラーリングの試験が行なわれ、1本毎に異なるカラーになっていました。
3200形も、8連一本が北総開発鉄道にリースされ、7050形と交代して7250形となりました。
京成本体では実現しなかった、8両固定編成というのがポイント。
◆ 3300形 (1968年~現役)
見た目には3200形とそう変わらないのですが、車内でつかみ棒が新設されました。
一昨日、旧塗装復元車としての「ファイアーオレンジ」色の撮影について書きましたが、実は以前、標準色としての「ファイアーオレンジ」色を撮影した事がありました。
上の3200形と同時期の撮影で、画像のように新旧混色の編成も多く見られました。
2次車以降、最初から正面に行先方向幕がつき、台車が金属バネになりました。
現在運行中の旧塗装復元車では、「ファイアーオレンジ」(3309F)が空気バネの1次車、「青電」(3353F)及び「赤電」(3345F)は金属バネの4次車と言う事になります。
そして、現在は「青電」の3353Fを持って、「赤電」シリーズの製造が終了する事になります。
3313Fでは、クロスシートの試作が行なわれた事がありました。
(上から3313・3314・3315・3316各号車の車内)
1両ごとに微妙にレイアウトが変わっていました。
私は最初にこれを見た時、「京急2000形のような本格的なものはともかく、ひょっとしたら京成でも料金不要のクロスシート車が生まれるのかもしれないな。」と勝手に思ったものでした。
結局実現する事はありませんでしたが。
ではなぜ、クロスシートの試作をしたのか、という疑問も残るのですが。
3300形もまた北総鉄道にリースされて7250形と交代、7260形として現在も運用されています。
京成は経営難もあって冷房車の導入が進まず、新車では1972年の3500形から採用されたものの、「赤電」シリーズの冷改は1983年の3150形からようやく始まりました。
冷房化率100%達成は1991年。
ほとんどは冷改と車体更新が同時でした。
ただし、3300形は先に冷改が行なわれ、その後車体更新が実施されました。
最後の「赤電」シリーズ・3300形は、京成では普通列車のみで最後の活躍をしていますが、恐らくは来年予定される成田空港鉄道の開通の時点で、北総7260形共々、姿を消す事になりそうです。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
№38 京成3300形 旧塗装復元車撮影に挑戦! 3
おととい仕事が終わって帰宅した時点では、関東地方の明日(24日(木))の天気は曇。
かなりくたくただし、明日は休養かな…。
と思っていたけれど、翌朝6時に目が覚めたら、空は快晴!
三たび京成線に、3300形旧塗装復元車の写真を撮りにでかける。
今日は19日に運行を開始した「ファイアーオレンジ」色が最大の目標。
横須賀線で東京へ向かい、京浜東北線で上野へ。
今や少数派になってしまった209系。
しかし何かトラブルがあったのか、神田でしばし停車していると、隣に201系!
慌てて降りて、2ショットを撮影。
つい最近まで当たり前だったはずの並びも、今や幸運な偶然がなければ見られません。
209系は、遅くても来春のダイヤ改正時には京浜東北線から撤退するでしょう。
201系の方は、小金井の高架化工事の進捗次第ですね。
京成上野から、今日は普通電車で東へ。
なんと、79運行で「ファイアーオレンジ」、77運行で「赤電」と、4連運用が2本連続で旧塗装復元車!
待ち構える駅はどこがいいだろうと思ったけれど、今日は堀切菖蒲園で「勝負」。
19日より運行を開始したばかりの「ファイアーオレンジ」。
まだ一週間も経っていないのでピカピカです。
惜しいのは、台車の色。
一昔前までの京成の台車は、心持ち緑色がかったグレーで、出場直後はよく目立つ存在でした。
ここまでやってくれれば、特にオールドファンはもっと納得だったかも。
車体はこの色になってからの更新なので、この点は違和感なし。
そして、今一度「赤電」。
さすがに塗り替えたばかりとあってツヤツヤピカピカです。
「赤電」の復刻は今回が初めてではありません。
一昨年の「開運号」復元車(3295F)です。
こうして並べて見ると、このカラーリングって、なかなかゴージャスですね。
京成電鉄の黄金時代、という感じがします。
ただ、両方とも更新前の、帯がフロントにまで回りこんで来る所まで再現しているため、更新後のヘッド&テールライトとの関係がちょっと変かな、とも思いますが。
なお、帯の縁取りは、現行色に変更する前はステンレスの帯でしたが、今回の復元車は全てダミーです。
これで先週と合わせて、「青電」(3353F)、「赤電」(3345F)、「ファイアーオレンジ」(3309F)、現行色(3301F)と、3300形4色全て撮影ができました!
遅くても、来年に予定される成田空港鉄道開通の前には、4色揃って「さよなら運転」でしょうかね?
今日はこの後、東武伊勢崎線沿線に向かい、越谷や久喜でバスを撮影していました。
ただ、雲が少し多くなって、あまり多くは撮れませんでした。
その中から一枚。
松伏→南越谷の、ジャパンタローズのノンステップ車。
この画像は10月1日付け(9月30日夜)で本体にアップする予定。
なお、南越谷駅~朝日プラザ(ガーデンシティ)間の貸切輸送は、以前は飯島興業が運行していたのですが、この日見たら、「グローバル交通」という会社が運行していました。
どうも飯島興業が三郷付近の路線バスも含めて、バス事業を全面的にグローバル交通に譲渡している模様です。
この辺は、もう少し観察してみたいとおもいます。一度三郷にも行ってみないと。
さて、詳しくは話せませんが、明後日には大事な所用があります。
この準備のため、明日はお休みさせて頂きます。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)
かなりくたくただし、明日は休養かな…。
と思っていたけれど、翌朝6時に目が覚めたら、空は快晴!
三たび京成線に、3300形旧塗装復元車の写真を撮りにでかける。
今日は19日に運行を開始した「ファイアーオレンジ」色が最大の目標。
横須賀線で東京へ向かい、京浜東北線で上野へ。
今や少数派になってしまった209系。
しかし何かトラブルがあったのか、神田でしばし停車していると、隣に201系!
慌てて降りて、2ショットを撮影。
つい最近まで当たり前だったはずの並びも、今や幸運な偶然がなければ見られません。
209系は、遅くても来春のダイヤ改正時には京浜東北線から撤退するでしょう。
201系の方は、小金井の高架化工事の進捗次第ですね。
京成上野から、今日は普通電車で東へ。
なんと、79運行で「ファイアーオレンジ」、77運行で「赤電」と、4連運用が2本連続で旧塗装復元車!
待ち構える駅はどこがいいだろうと思ったけれど、今日は堀切菖蒲園で「勝負」。
19日より運行を開始したばかりの「ファイアーオレンジ」。
まだ一週間も経っていないのでピカピカです。
惜しいのは、台車の色。
一昔前までの京成の台車は、心持ち緑色がかったグレーで、出場直後はよく目立つ存在でした。
ここまでやってくれれば、特にオールドファンはもっと納得だったかも。
車体はこの色になってからの更新なので、この点は違和感なし。
そして、今一度「赤電」。
さすがに塗り替えたばかりとあってツヤツヤピカピカです。
「赤電」の復刻は今回が初めてではありません。
一昨年の「開運号」復元車(3295F)です。
こうして並べて見ると、このカラーリングって、なかなかゴージャスですね。
京成電鉄の黄金時代、という感じがします。
ただ、両方とも更新前の、帯がフロントにまで回りこんで来る所まで再現しているため、更新後のヘッド&テールライトとの関係がちょっと変かな、とも思いますが。
なお、帯の縁取りは、現行色に変更する前はステンレスの帯でしたが、今回の復元車は全てダミーです。
これで先週と合わせて、「青電」(3353F)、「赤電」(3345F)、「ファイアーオレンジ」(3309F)、現行色(3301F)と、3300形4色全て撮影ができました!
遅くても、来年に予定される成田空港鉄道開通の前には、4色揃って「さよなら運転」でしょうかね?
今日はこの後、東武伊勢崎線沿線に向かい、越谷や久喜でバスを撮影していました。
ただ、雲が少し多くなって、あまり多くは撮れませんでした。
その中から一枚。
松伏→南越谷の、ジャパンタローズのノンステップ車。
この画像は10月1日付け(9月30日夜)で本体にアップする予定。
なお、南越谷駅~朝日プラザ(ガーデンシティ)間の貸切輸送は、以前は飯島興業が運行していたのですが、この日見たら、「グローバル交通」という会社が運行していました。
どうも飯島興業が三郷付近の路線バスも含めて、バス事業を全面的にグローバル交通に譲渡している模様です。
この辺は、もう少し観察してみたいとおもいます。一度三郷にも行ってみないと。
さて、詳しくは話せませんが、明後日には大事な所用があります。
この準備のため、明日はお休みさせて頂きます。
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