№14 バスラマインターナショナル 115 (ぽると出版)

 衆議院選挙は投票が終わり、いまTV各局は開票速報一色ですが、正直私は何も見る気にはなれません。
まじめにご覧になっている方には申し訳ない言い方ですが、所詮「選挙ワイドショー」だろ?というのが正直なイメージなので。
 結果は明日見れば良いので、こういう晩はおとなしく音楽を聴いたり、好きなDVDやブルーレイ等を見たり、本や雑誌を読んだりするのが良いような気がします。
(念のため、私は投票に行って、政党名・候補者名を書いてきましたよ。)
 という訳ではないのですが、今日は25日(火)に発売された「バスラマインターナショナル 115」のレビューです。というか、気になったトピックスをピックアップして、コメントや感想を記してみたいと思います。

◆各地の新車から
 神奈中バス・阪急バスにエアロスター・ノンステップを導入。
このうち、神奈中は町田〔営〕と多摩〔営〕に比較的まとまって入りましたが、どちらも東京都内・多摩地域の路線での運用で、当面神奈川県では見られません。これにより、比較的若いエアロスター・ワンステップ(KL-・PJ-)が舞岡〔営〕や秦野〔操・湘南神奈交バス〕等に大量に移籍している模様。
 ちなみに、神奈川県でエアロスター・ノンステップが見られるのは、今の所、正式な販売開始前に稼動を開始した相模鉄道の1台のみのはずです。
 中国JRバスの周防〔営〕にはエルガ・ノンステップ。
 同社では初のノンステップ車らしいですが、広島や山口でなく周防にわざわざノンステップ車を導入という事は、当面は光付近の路線は安泰と考えていいのでしょうか。
 9月一杯の一般路線バス全面廃止をリリースしたJR東海バスを見るまでもなく、ここへ来て各JRバスの整理がまた急ピッチですから。
縁が薄い場所ですが、一度行きたい所ですね。

◆“早慶”が挑む電気バス
 特に注目されると思われるのは慶応義塾大学の研究で、大型車が想定されているようですが、それよりも神奈川県内12事業者で実証実験が行なわれるというくだりが目につきました。
 12といったら、神奈川県内に営業所を持つ路線バス事業者グループのほぼすべて(横浜市・川崎市・神奈中・相鉄・臨港・江ノ電・箱根登山・伊豆箱根・富士急・小田急・東急・京急を差すと思われる)で、実験は、例えば京急(羽田空港内循環)や都営、あるいは洞爺湖サミットなどで非接触給電ハイブリッドバスが行なったような、各事業者の持ち回りで行われるという形になると思われます。
 例えば箱根や丹沢の山間部の急坂も走ったりするのでしょうか。
 慶応大学なので、まずは「ツインライナー」(湘南台駅~慶応大学)と同じルートからかなあ。
 ちょっと期待。

◆エアロスターMP 一気乗り。
 上に上げたノンステップとワンステップ、それにエコハイブリッドの試乗。
 ノンステップの窓の段差自体は、ヨーロッパでも一世代前のノンステップ車がそうなっているし、私自身、後部の窓の下部にブラインドを貼り付ける位だったら、段差になってでも側壁にした方がコストが下がるんじゃないかと思っていたので(実際はどうかわかりませんが。)、悪いとは思いません。
 バランスが悪く見えるのはやはり車高が高いからで、ノンステップ車だったら、やはり後部も車高を抑えて全体を低くすべきでしょう。
 ワンステップ車は、再三お願いしている通り、OEM供給の日産ディーゼル・スペースランナーAと区別できるアイコンが何か欲しいです。
 エコ・ハイブリッドは関東地方では普及が進んでいませんねえ。
 知る限りでは羽田京急バスの空港内循環のみです。
 特に公営(東京都・横浜市・川崎市)が購入してくれないのが痛いのではないでしょうか。

◆バス事業者訪問131 北海道中央バス
 北海道のみならず日本を代表する事業者でありながら、なかなか詳しく取り上げられる機会がないだけに、今回の特集は歓迎。
 私のHP本体では現在までアーカイヴ・あるいは過去になった車両も含めて75枚を掲載していますが、やはり全体の規模からしたら全然少ないです。
 特に一般路線車が非常に少ないのは恥ずかしい限り。
 一度小樽にも行ってみたいですね。
 ただ、グラフィティの中に「アウトレットモール・レラ」の車両がなかったなあ。
 札幌整備工場のルポもあったけれど、融雪剤の影響は非常に大きいようですね。
 中央バスに限らず、北海道に行くと、比較的年式が新しいと思われる車両でも車体のすそに穴があいていて、それが古さを感じさせてもったいないなあと思っていましたので。
 北国の保守整備は南部とは比較にならない位厳しいようです。

◆世代交代は急ピッチ 公共交通で駆け回ったブダペストの印象
 なつかしいなあ。
 ブダペストを初めとするハンガリーは2003年の冬に訪れて、市内バスにも乗りました。当時は古い車両ばかりだったのですが、日程の大半が曇り空(霧が多かった)ため、ブダペストのバスの写真は少なくなってしまいました。申し訳ない話ですが、、この時の写真を本体の「海外の路線バス」で取り上げています。
 良かったらご覧下さい。
 鉄道や観光地の写真も収めています。
 バスだけでなく路面電車も新型が入っていて、大幹線の4-6系統にはシーメンスのノンステップ車も投入されているようです。
 しかし、ニュースによれば、ハンガリーは経済危機のあおりをまともに受け、国民の暮らしも急速に悪化しているとか。
 マイカーのローンが払えなくなって、ただで手放す人も少なくないそうです。
 この事態が公共交通に悪い影響を与えないと良いのですが。

◆連載23 バスのカタログ トヨタDRシリーズ
 トヨタが路線バスを製作していたとは知らなかったという、若いファンも多くなってきたでしょう。
 私も末期に山形で撮影しただけで、残念ながら乗車した事はありませんでした。

画像

画像

上 山形22あ158
下 山形22あ257

 たぶん、1986年に撮ったんじゃないかなあ。
 トヨタでは、車体は新三菱重工業一本に絞りたかったようですが、山形交通の場合はFHIボディになりました。
 一瞬の見た目はいすずBAみたいですね。
 山形交通は最後までトヨタを使用していた事業者として有名です。
 保存車がないのは残念です。

◆国内ニュース
〔BDFの話題〕 「萌えっ子バイオディーゼル」…。
 オジサンにはついていけないネーミングです…。
 ベースは神奈中バスらしいです。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)

 なんだかんだ言って毎日書いていますね…。
 明日はブログの更新はお休みします。
 明日の晩に本体の更新をします。





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№13 なぜ、バスファンになったのか? -私の70’s- 8〔最終回〕

 長々と、私の小学生時代の昔話を語ってきたこの連載も、今回が最後になります。
 私は小学4年生の9月を持って新田小学校から、現在の戸塚の地の近くにある小学校に転校し、東急バスとはお別れという事にはなりましたが、それでも長年通学で使ってきたバスですから、住んでいた場所と合わせて、その後も気にはなっていて、時々は乗りに来ていました。
 その中から見えた、新羽営業所のその後の動きを簡単にまとめて、この連載を終わりにしたいと思います。

〔新羽線〕 私が住んでいた地域は、特に大規模な開発が行なわれたりはしませんでしたが、それでも乗客が増えていったのか、次第に運行回数が多くなっていきます。
 そして、1986年には、亀甲橋~鳥山間で交差する新道(既に市営バス300系統(新横浜駅~江田駅)が走っていた。)を左折し、新横浜駅へ向かう系統が新設されます。
 その前の年には新幹線「ひかり」号の停車増と、市営地下鉄の延伸があり、これをきっかけにようやく新横浜駅付近もまともな開発が始まる事になります。
 そうなると、小机よりは新横浜の方が求心力があるのは当然で、次第に小机駅行から新横浜駅行にシフトしていく事になります。
 最盛期では確か、平日は新横浜2:小机1の割合、土休日は新横浜:小机が半々位になったかと思います。(違っていたらゴメンナサイ)
 大きな変化を見せるのは、1993年の市営地下鉄あざみ野延伸時です。特に専念寺前・南台町バス停の近くに北新横浜駅(開業時点は新横浜北)が開設された事で、必ずしも完全には並行はしていませんが、やはり地下鉄への乗客の転移が進んだ事で、一転して減便が続く事になります。
 1時間に1~2本、小机系統と新横浜系統が共に1時間に1本あるかないかという程度にまで減ってしまいました。
 結局2000年、ついに思い出の小机系統は廃止され、新横浜系統に一本化される事になります。
 現在〔綱72〕系統と呼称する新横浜系統は40分に1本程度ですから、私が住んでいた頃の小机系統より少なくなっている事になります。
 小机駅行はその後も新羽営業所からの川和線の出入庫便が設定されますが、2007年より早朝の営業所発便が平日1本のみの運行に減らされています。
 なお、地下鉄開通時点では新横浜系統は最初から新羽駅を経由するようになっていましたが、小机系統は直行だったと思います。
 この他、勝田折返所系統の一部が新羽駅を経由するようになっていましたが、これはすぐに取り止めになったようです。

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 新羽線小机系統が通過していた、JR横浜線の新羽踏切。
 小机系統の廃止後も、川和線の出入庫便が通過していました。
 昔はこの踏切を渡ると、亀甲橋まで田畑の中を一直線だったのですが、今は背後の横浜国際総合競技場=日産スタジアムが開場した影響で大分道路事情も変化しました。


  話が前後しますが、地下鉄の開通より前、1985年に新横浜駅~大倉山駅~新羽営業所~新栄高校~港北ニュータウンメイズ~北山田系統が新設されました。
 ルートがまるっきり違いますが、同じ新羽線という扱いになっています。
 ルートからして地下鉄の先行路線である事は間違いありません。
 この系統は横浜市営バス(303系統・港北〔営〕)と共同運行になっていました。
 1994年に廃止になるまでの間、市営バスが新羽営業所の前を通過していたわけですね。

〔その他の路線〕 新羽営業所の営業及び路線網に大きな影響を与えたと思われる出来事としては、以下の事柄が挙げられます。

★東急バス内部
(1) 青葉台〔営〕・虹ヶ丘〔営〕開設 日吉〔営〕の東山田移転

 特に日吉〔営〕は、東横線日吉駅の地下化及び複々線化(目黒線受け入れ)の工事のための移転で、このため新羽〔営〕は、東横線の東側を走る駒岡線・箕輪循環線、及び鹿島田線を受け持つ事になりました。
 鹿島田線は北加瀬・平間駅経由で川崎駅まで乗り入れていたのですが、これはすぐに廃止になって、越路までになっています。
 なお、日吉〔営〕時代は、横浜駅西口~六角橋・新横浜駅~日吉駅という系統がありました。
 これも駒岡線の扱いになっていますが、後に新横浜駅~日吉駅は大減便(出入庫だけだったみたい)になりました。
 のちにこの区間は廃止、横浜駅西口~新横浜駅間のみ新羽〔営〕持ちになりましたが、これもすぐに廃止になりました。
 東山田〔営〕は移転後からすみれが丘・東山田〔営〕から綱島駅に乗り入れていましたが、先のグリーンライン開通時の再編成で廃止になっています。
 青葉台〔営〕・虹ヶ丘〔営〕の開設は田園都市線沿線のニュータウン、及び港北ニュータウンの開発の進捗に伴うものでした。
 新羽〔営〕自体も、一時ニュータウン北線としてたまプラーザ駅への乗り入れがありましたが、現在は東山田〔営〕に移管されています。
(2) 深夜急行バス・空港バスの開始
 1990年に深夜急行バス「ミッドナイトアロー」の第2弾として運行を開始。
 なお、金曜日のみ青葉台駅系統にも運用されるようです。
 一方、2004年に運行を開始した日吉駅~羽田空港線を新羽〔営〕が受け持つ事になりましたが、後に市営バス移譲に伴う担当見直しにより、虹ヶ丘〔営〕が担当していた神奈川県内⇔羽田空港・成田空港・TDR路線をすべて受け持つ事になります。
(その代わり、新城線〔城01〕は川崎〔営〕に移管。)

 この他には新吉田線〔綱74〕系統の新設があります。
 綱島駅~新羽駅間をグリーンサラウンドシティ経由で運行する路線で、道が狭いため大型車が走れません。
 当初は日吉駅~さくらが丘で運用されていたポンチョが、川崎〔営〕からの転属で投入されていたようですが、乗客が増えたため、後に中型車になりました。
 現在はいすずエルガミオ・ワンステップ車が集中的に運用されています。
(新羽〔営〕で中・小型車を使用した路線は初めてのはず。)

 また2001年より、第三京浜経由の新横浜駅~溝口駅直通バスが運行を開始しました。
 深夜急行と共用のワンロマ車で運用されています。
 当初は高津〔営〕との共管でしたが、現在は新羽〔営〕の単独運用になっています。
 かつての第三京浜線と違い、第三京浜上にバス停はありません。
 運行開始当初は完全にノンストップでしたが、後に新横浜側・溝口側でそれぞれ乗降場が設けられています。
 
★東急バス外部
(1) 港北区→都筑区・緑区→青葉区の分区
(2) 港北ニュータウンの町開き
(3) 市営地下鉄3号線(ブルーライン)延伸及びグリーンラインの開業

 これが一番大きかった。
 そもそも新羽営業所自体が、敷地内を地下鉄の高架線が横切る事になったため、事務所棟及び工場棟を新築しています。
 路線としては前述の新羽線が一番影響大でしたが、綱島線のセンター南駅(江田系統)・仲町台駅(中山系統)の乗り入れもあります。
 ただ、中山系統は先のグリーンライン開通時の再編成で廃止されました。末期は1日5往復に過ぎませんでした。
(4) 横浜市営バスの民営移譲
 直接新羽〔営〕が担当するようになったのは、川和線〔市03〕系統(市営バス3系統)。2007年の事です。
 ただし、その前の年には、横浜駅西口~市ヶ尾駅系統が廃止され、これにより東急バスの横浜駅西口への乗り入れは、完全になくなってしまいました。
 なお、前述した空港・TDR路線の新羽集約も、市営バス43系統を虹ヶ丘〔営〕が担当するようになった事によるものと思われます。

〔車両〕 私の新羽在住時には日産ディーゼルonlyだった新羽〔営〕ですが、引っ越した後に三菱ふそうの配置が始まったようです。
 最初から新羽配置の車両と、都内から転属した車両があったようです。
 MP118、通称「ブル」が末期の第三京浜線で運用されているのを見た事もありました。

画像

 この車両(MP117系)は年式と登録番号のバランスからして、1985から1986年頃に都内から転属したと考えられます。

 1990年代の終わりにはノンステップ車も導入されますが、一方で長尺のワンステップ車も川和線で見られるようになりました。
 やはり、新羽〔営〕では、今でも路線によって運用される車両が決まっているようですね。
 しかし、日野やいすずの配置は、小学生当時には考えられなかった事でした。

 今日の記事につきましては、「バスラマ・インターナショナル臨時増刊 東急バスのすべて」(ぽると出版)、「神奈川のバスマップ」バックナンバー(社団法人神奈川県バス協会)を参考にさせていただきました。
 年代についてはWikipediaを参考にしています。

 本当はもっと書きたい事もあったと思うのですが、一方でこれ以上見苦しいテキストを並べるのも失礼だと思いますので、この連載は一応今回を最終回とさせて頂きます。
 鉄道・バス等の趣味は幼児体験に基づく事が多いとは良く聞きますが、今回連載をしてみて、改めてその通りだなあと感じさせられました。やはり少年時代の東急バスが、今の私のバス趣味の原点なのは間違いありません。
 一方で、「あと10年早く生まれていればなあ」とも思います。少なくとも高校生位の年代だったら、たとえ小遣いが苦しくても、それなりのカメラを買って、バスを撮り歩くという事もありえたかも知れないですから…。

 長い間、お付き合い下さいまして、ありがとうございました。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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№12 なぜ、バスファンになったのか? -私の70’s- 7

 2回お休みしましたが、私の昔話の連載を再開します。
 今回はバスでなく鉄道です。東急バス新羽線が接続する、国鉄横浜線と、東急東横線を取り上げます。
 いずれも私が新羽に住んでいた頃の状況が中心です。

国鉄横浜線
〔路線〕
 沿線も含めてローカル色を色濃く残していた当時、複線区間は東神奈川~小机のみで、以降の大半の区間が単線。
 矢部以外は行き違いが可能でした。
 町田は当時は「原町田」で、現在の神奈中バス・町田ターミナル付近にありました。
 後に小田急との乗換の便を改善するために移転・改称する事になります。
 なお、十日市場・成瀬・古淵・八王子みなみ野はまだありませんでした。
 前者2駅は複線化の進捗に合わせて新設されましたが、成瀬は駅の設置が先になり、当初は上下線が共用でした。
 ホームは複線に対応して建設されており、開業時点では現在の下り線を使用、上り線側は空いたままでした。
 後者2駅はJR化後の新設です。
〔車両〕
 まだ73系が幅を利かせていて、4両編成と7両編成がありました。
 色々な形態があって、「63型」の面影を残す3段窓の車両が残る一方で、103系並みの車体になった車両も見られました。
 一方、スカイブルーの103系(7連)の投入も始まっていました。
 京浜東北線との誤乗を避けるため、有名な「横浜線」のプレートを正面に掲げていましたが、これは103系への完全置き換え後、ウグイス色に変わっても受け継がれ、205系に置き換えられるまで続きました。
 この他、夕刊輸送用として、日中の1往復(73系4連)にクモニ13が連結されて、横浜線の名物となっていました。
 73系引退まで続けられます。
 そういえば73系引退は1979年9月30日なので、間もなくちょうど30年になりますね。
〔運転〕
 複線区間が限られていたので、トータルの本数はまだ多くはありませんでした。
 時刻表がないので正確にはわかりませんが、日中だと15~20分間隔位だったでしょうか。
 当時は東神奈川を起点として、ラッシュ時を中心に小机折返しが多数設定されていた他、日中は中山・原町田・橋本と本数がだんだん減っていくダイヤでした。
 また、日中のみ根岸線の磯子まで乗り入れがありました。
 あと、見た事がなかったので詳しくは解からないですが、八王子~橋本~(相模線)南橋本に貨物列車の設定があったそうです。
(相模線は当時は非電化)
〔小机駅〕
 当時の自宅の最寄りで、東急バス新羽線の接続駅だった小机駅は、前述の通り、当時は複線区間の終点でした。
 2面3線に引き上げ線と留置線があり、構内は結構広かったですが、駅舎は比較的最近まで木造平屋建てでした。
 今NHK-BSで「木造駅舎の旅」という5分番組がありますけれど、今残っていれば、間違いなく取り上げられていたでしょう。
 駅前広場には東急バス新羽線の他、相模鉄道バスの横浜駅西口行が入っていました。
 現在も相鉄バスは乗り入れがあります(但し現在は休日運休)。
 東急バス川和線・第三京浜線や横浜市営バスは駅前の横浜上麻生道路にあるバス停に停車、駅前広場には入りませんでした。
 ただし、市営バス39系統で1往復設定されていた(現在もある)小机駅折返しは、広場に入って折返していたようです。
 横浜国際競技場=日産スタジアムの開場に合わせ、最寄り駅となった事で、小机駅もついに橋上駅舎化される事になります。
 現在、定期ダイヤでは小机折返しはありませんが(早朝の営業の始発はある)、クラブ・ワールドカップなど、大規模な大会が行なわれる時には折返し列車が設定され、元から余裕があった構内と、広い橋上駅舎が威力を発揮しているようです。

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 2007年12月16日撮影の、現在の小机駅です。
 木造駅舎時代を知る者としては驚くべき大変化です。
 この日は横浜国際総合競技場(=日産スタジアム)でクラブ・ワールドカップの決勝戦(ACミランVSボカ・ジュニアーズ)と、その前に3位決定戦(浦和レッズVSエトワール・サヘル)が行なわれ、昼前から大勢のサポーターであふれていました。
 駅舎内にはユニフォームのレプリカなどのグッズや弁当を発売する特設コーナーも設けられていました。
 21時以降、始発の東神奈川行8本を含め、臨時列車が多数設定されています。
 

◆東急東横線
〔路線〕
 さすがに東京(渋谷)~横浜間を結ぶ大手私鉄の大動脈だけあって、駅等の姿や沿線のたたずまいは変わってきているものの、今の目で見てもある程度完成された感がありました。
 その中で、武蔵小杉は上下線を挟むように相対式のホームが並ぶだけで、現在とは大違いでした。
 田園調布や日吉も地上に駅があり、田園調布の洋館風駅舎も現役で使用されていました。
 田園調布~日吉の複々線化工事が本格的に始まるのは、90年代になってからです。
〔車両〕
 (旧)7000系や7200系が主力となっていて、(旧)5000形もまだ走っていました。
 急行は正面に加えて、側面の上にも赤地の白文字で「急行」のプレートを掲げていました。(東横線では、特急の運転開始まで、急行と各駅停車は運用は完全に分離されていた。)
 大型の8000系はまだそんなには走っていなかったと思います。
 それと、一時期8500系が走った事があったはずです。
 ちなみに目蒲線は全車(旧)3000形でした。
〔運転〕
 渋谷~桜木町は急行が15分間隔で各駅停車がその間に2本。
 急行は上下とも日吉で先行する各駅停車1本を追い抜き。
 このパターンが、特急の運転開始までずっと続く事になります。
 日比谷線からの直通は、日吉まで15分間隔でした。
〔綱島駅〕
 既に高架駅になっていましたが、特徴的なのは、バスの乗場は高架の橋脚の下にあり、バスが誘導員の誘導でバックして橋脚間に入ってくる事です。
 駅前広場がない事も理由の一つで(駅前には有名な綱島温泉がある。)、土地の有効活用という意味もあるでしょう。
 このような例は、他には神姫バスの三宮バスターミナルがあるものの、全国的に見ても珍しい例の一つではないでしょうか。
 時間がなくなると、そのままバス停に据え付けて、乗車を扱ってすぐに発車する事もあります。
 なお、新羽線の勝田折返所行は高架下ではなく、高架に沿った1番乗場に据え付けて乗車を扱います。
 また、臨港バスの鶴見駅西口行は、駅前から少し離れた場所に独立したスペースを設けて、乗車を扱っています。(ここもバック式)

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 2006年2月12日撮影の綱島駅。
 たたずまい自体は今もほとんど変わりません。
 ただ、屋根が増設されているのが目に付きます。
 乗場は①…新羽線(勝田折返所行)、高架下は橋脚間を一つ空けた後②…新羽線(新横浜駅・新羽駅・新羽営業所行)及び新吉田線 ③…綱島線 ④…新城線 ⑤…駒岡線及び市営バス59系統 ⑥…市営バス13系統(手前のCNG車ですね)及び臨港グリーンバス〔川51〕系統。
 また、臨港バス〔鶴04〕系統は、駅前の道を直進して右手の⑦番です。


 多少とりとめのない話になってしまったでしょうか。
 小学生の身分ではバスはまだしも、電車はまだそれ程乗る機会は多くなかったので、さらに記憶があやふやになってし待っているのは申し訳ありません。
 ともあれ、東急バスによってバス趣味に目覚めたのなら、横浜線や東横線が鉄道趣味に目覚めるきっかけとなったのは事実だと思います。

 長々昔話に付き合って頂きましてありがとうございます。次回がいよいよ最終回になります。「その後の新羽営業所の路線と車両」といった話になるかと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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